トップページ > 核・平和をめぐる動き > 1994年、米クリントン政権、北朝鮮の核施設の空爆破壊計画

風化させてはならない被爆の体験、核拡散の時代

朝鮮半島に朝鮮戦争以来の危機

北朝鮮との交渉は難航し、1994年3月には北朝鮮はIAEAの査察活動の重要な一部を拒否、6月には実験炉から燃料棒の抜き取りを行った。事態は緊迫し米クリントン政権は北朝鮮の核施設の空爆破壊を選択肢のひとつとして計画した。北朝鮮は「米国の核施設空爆には、38度線からの砲撃でソウルを火の海とする」と応え、朝鮮半島は、朝鮮戦争以来の危機が高まった。ソウルでは市民の大規模な避難が行われた。韓国金泳三大統領は韓国側に甚大な被害が生じると米国に空爆中止を要請した。韓国が同意しなければ空爆はできない。クリントン政権はカーター元大統領を派遣して金日成国家主席との対話路線に転換した。

北朝鮮政府は「黒鉛減速炉は核兵器開発のためでなく発電用原子炉だ」と主張した。5か国(米国、日本、韓国、ロシア、中国)は、疑念を抱きながら妥協の「枠組み合意」を作った。北朝鮮は黒鉛減速炉の発電を中止。その代わりに純度の高いプルトニウムを生成しにくい代替の軽水炉の発電所を北朝鮮に無償で建設する(費用の30%を日本、70%を韓国負担)。当初完成予定は2003年とされ、完成までの間の火力発電用の重油を米国がKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)を通じ提供することとした。これは北朝鮮が核兵器の開発を放棄するという「枠組み合意」のはずであった。

消える原爆の痕跡 被爆建物・樹木・橋梁の保存へ

被爆50年も近づき、被爆者自身の減少ともに、原爆の痕跡を残すものは広島からどんどん消えていた。被爆の現実が目の前から消えてしまうという危機感から被爆建物などの保存を求める要望が市民から出され、広島市は1993年に爆心地から5km以内に現存する建物・樹木・橋梁などを被爆建物台帳に登録し、所有者に保存・継承の協力を呼びかけ、保存工事の際の費用助成をはじめた。

現在、爆心地から半径5km以内には、原爆ドームをはじめ94件(公共所有25件・民間所有69件、平成16年12月現在)の被爆建物が残っている。

樹木は、平和記念公園内にある被爆アオギリなどがよく知られているが、爆心地から半径2km以内の52か所に約150本残されている。

この時期、自らの被爆体験を語り継ぐヒロシマの語り部たちを追った番組が数多く制作された。

テレビは語り部たちの体験と思いを記録し、風化を堰止める役割を果たそうとした。

公開番組:新日本探訪「アオギリの語り部〜広島平和公園〜」(1993)、ドキュメントにっぽん列島「原爆乙女の戦後〜復帰40年・鹿児島奄美大島〜」(1993)

語り部として活動する沼田鈴子さん

語り部として活動する沼田鈴子さん

沼田さんの語りを聞く子ども

沼田さんの語りを聞く子ども

被爆建物など
被爆建物 原爆ドームをはじめ94件(公共所有25件・民間所有69件、平成16年12月現在)
被爆樹木 爆心地から概ね半径2km以内の52か所に約150本
被爆橋梁 爆心地から半径5km以内に残る被爆橋梁は6橋のみ

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