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明らかになる無差別兵器の実態

戦争を知っていますか? 子どもたちへのメッセージ

被爆40年の秋に、広島市とNHK広島放送局は、被爆証言ビデオのプロジェクトを開始した。ひとり20分程度の証言を記録する作業は、被爆体験の継承に大きな役割を果たすものであった。

またNHKはテレビ局として、次世代を担う子どもたちに、1984年から「戦争を知っていますか? 子どもたちへのメッセージ」シリーズを「おはようジャーナル特集」の枠内で連続的に放送した。このシリーズはその後も1989年まで放送されている。公開番組:「戦争を知っていますか? 子どもたちへのメッセージ」シリーズ「広島 炎暑の記憶」(1985)「私の"手"を聞いてください〜長崎・ろうあ者の被爆〜」(1988)

「広島 炎暑の記憶」(1985) 戦争を知っていますか?
子どもたちへのメッセージ
「広島 炎暑の記憶」(1985)

「私の"手"を聞いてください〜長崎・ろうあ者の被爆〜」(1988) 「私の"手"を聞いてください
〜長崎・ろうあ者の被爆〜」
(1988)

NHK特集「黒い雨〜広島・長崎原爆の謎〜」(1986) NHK特集「黒い雨〜広島・長崎
原爆の謎〜」(1986)

夏服の少女たち

被爆体験を次世代へ継承するために、NHKではさまざまな番組を企画・制作している。アニメにも取り組んだ。

1945(昭和20)年8月6日、旧広島県立第一高等女学校1年生220人は学徒動員で市街の建物取り壊し作業中被爆、全員がなくなった。NHK特集「夏服の少女たち」は大野允子さんのアイディア、兼、実体験が元になっている。大野さんは広島県立第一高等女学校2年生のとき原爆にあった。当時は物資のない時代で少女たちは母親の古着をほどいて夏用の制服を縫った。そうしてできあがったのがあの夏服だった。生徒たちの残した日記をもとに、少女たちのつかの間の青春を描いたアニメーションとドキュメンタリーで構成。

8月6日を控えたある夏の日、ふろしき包みを持った老夫婦が広島市原爆資料館を訪れた。「長い間娘の形見として守り続けてきたが私たち夫婦も老い先短い。代わってめんどうをみてもらいたい」と言って包みを差し出した。包みの中身は丁寧にたたんだ燃えてボロボロになった女学生の夏服だった。

原爆の犠牲となった少女たちと残された親たちの悲しみを描いた作品は、同世代の生徒・学生たちにも大きな感動を呼んだ。公開番組:NHK特集「夏服の少女たち〜ヒロシマ・昭和20年8月6日〜」(1988)

NHK特集「夏服の少女たち〜広島・昭和20年8月6日〜」

NHK特集「夏服の少女たち
〜広島・昭和20年8月6日〜」
(1988)

広島市の動員学徒たちの被爆 1968調査(「広島原爆被災誌」)

8月6日は、軍需工場や市内の建物疎開に2万5134人の学徒が動員され、そのうち6833人が死亡。

軍需工場など49事業所に学生や中学上級生の1万6947人が勤労動員。
市内の建物疎開に、中1、中2の生徒(10〜13歳)が動員。6地区で8187人、そのうち6295人が死亡。
軍需工場への勤労奉仕の動員は郊外での作業が多かったため、被害が少なかった。

冷戦の終結、大国は核を手放さなかった

レーガン大統領とゴルバチョフソ連邦書記長は、1986年にアイスランドのレイキャビックでの首脳会談で、11時間近く核兵器の大幅な削減を議論した。しかし劇的な合意はできなかった。ゴルバチョフ書記長は、チェルノブイリ原発事故で核の脅威を痛感していた。そして1989年ベルリンの壁が崩壊する。東西ドイツが統一し(1990)、ソビエト連邦も崩壊した(1991)。東西対立が解消し、今度は核軍縮は飛躍的に進むだろうと思われた。しかし、大国は核を手放さなかった。アメリカは臨界前核実験を実施し、コンピューターによる核開発を進める。

レイキャビックでのレーガン・ゴルバチョフ(1986)

レイキャビックでの
レーガン・ゴルバチョフ(1986)

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