トップページ > 核・平和をめぐる動き > 市民の手で原爆の絵を

まぶたの記憶

まぶたに焼きついて忘れられない

「私があの日にこの目で見た地獄のような光景を、死ぬまでにどうしても残しておきたかったのです」

1974(昭和49年)年5月15日、小林岩吉さん(77歳)が下駄履きでNHK広島放送局を訪れて、1枚の絵を担当者に見せた。この絵と小林さんの言葉に心を動かされた担当者は、早速「市民の手で原爆の絵を残そう」という呼びかけをはじめた。テレビは「届けられた1枚の絵」を紹介する番組を放送した。反響はすさまじいものだった。

被爆者がそのまぶたに焼き付いた被爆の経験を絵に記録したこれらの「原爆の絵」は公開番組:市民の手で原爆の絵を(1975)にまとめられた。

この絵は1982(昭和57)年には、アメリカ大陸を横断して巡回展示された。その模様を記録したのが、公開番組:NHK特集「これがヒロシマだ 原爆の絵アメリカを行く」(1982)である。

届けられた原爆の絵
1974.7月末までに900枚(被爆当時7歳だった36歳の主婦から90歳のおじいさんまで)
2年間で2225枚、絵を描いた人758人(これらの絵は一括して広島市に寄贈、原爆資料館に永久保存)
2002年夏 中国新聞社などと共催で28年ぶりに広島・長崎で募集
・広島484人、1338点
・長崎130人、300点
1976〜78年 原爆で失われた戦前の街や暮らしへの思いを込めた「わがなつかしの広島」の絵募集
・800枚

奇跡の生存者による奇跡の絵

原爆の絵には、特別の価値が存在する。原爆投下のその日の惨禍を記録した写真・映像はほとんどないのだ。あのピカ!の瞬間とキノコ雲の下で人びとが経験した"地獄"を呼び起こし、記録するのは、被爆者自身の体験・記憶以外にない。これらの絵は奇跡的に生き残った被爆者のまぶたの記憶を絵に写し出した世紀の記録である。

原爆の絵を市民の手で残そうという市民運動は、爆心復元運動とともに、NHKテレビがその機能と役割を地域で果たしたものと言われた。

吉村吉助さんの絵(広島)

吉村吉助さんの絵(広島)

中山高光さんの絵(長崎)

中山高光さんの絵(長崎)

前へ

次へ

ページのトップに戻る