宮崎恵理「My Way, My Style パラアスリートの流儀」

涙の1週間から到達した景色〜走り高跳びT44・鈴木徹選手〜

ゆっくりとなめらかな助走。踏み切り、体が美しい放物線を描いてバーを超えていく。着地。
2m01、1回目の試技で成功。
控えめだが力強いガッツポーズが、思わず飛び出した。

20170723_miyazaki001.jpg(写真)2m01を成功させた直後の鈴木選手

切断などのクラス(T44)走り高跳びで、鈴木徹がシーズンベストを更新し銅メダルを獲得した。
「完璧なジャンプでした。ジャストミートしましたし、初めて体がバーに触れずに2mを超えることができました」

午前10時3分、競技開始。鈴木の跳躍順は4人いる選手の3番目だ。
実際には、4番目のトルコの選手が1m65からスタートしたため、他の3選手はそれぞれ自分がジャンプする高さまで待ち続けていた。
鈴木が立ち上がった。1m85でスタートする。
助走スタート位置から、鈴木はスタジアムの観客に拍手をもらう仕草をした。1本目からこれを行うのは珍しい。
拍手がこだまする中、鈴木は最初の跳躍を、気持ち良さそうに高く、高く浮き上がって見せた。

続く1m90、1m95、いずれも一発クリア。1m98は2回目でクリア。そして、2m01の成功。
その後2m04に挑戦し3回ともバーを落とした。2m01までの跳躍で失敗したのは、わずかに1回だけ。きれいなフォームを崩すことなく、2mを超えたのだった。

20170723_miyazaki002.jpg


「海外でこれだけミスが少ないレースは珍しいです。今日は、最初からお客さんの拍手をもらおうって決めてました。あったほうが絶対に楽しめるし、実際リラックスして全ての試技に臨めたと思いますね」


昨年、2m02の自己ベストを出し、2mはもはや鈴木のアベレージになりつつあった。だからこそ、リオデジャネイロパラリンピックでの活躍に、誰もが期待した。一番期待していたのは、鈴木本人だろう。しかし、好調の波をリオ本番で発揮できず、1m95という記録で4位に終わった。

「あの時には、実際に何が起こっているかよくわからなかった。今日の1位、2位の選手らもリオで戦っているけれど、どんなジャンプをしたのか、全く覚えていない」

リオのスタジアムで体育座りのまま、呆然としていた。
リオでの競技が終わって1週間。ただ涙が止まらなかったという。
「体の中から悔しさが、そのまま出てくるんですね」
帰国して2週間が経ち、小中高生のための陸上競技大会に呼ばれ、練習もしないままトラックに立った。
「そうしたら、あ、やっぱり跳びたいな、レースに出たいなって思ったんですよ」
ジャンプは、自分を表現する最高のツールである。
「もしジャンプを辞めてしまったら、他に何もやりたいことがない。それに、走り高跳びは、本当に奥が深く、まだ極めていない。そのことに、改めて気づいたんです」

詰めていた息を、大きく吐き出した。そして、再び歩を進めた。
「もう一度、クリアランス、空中姿勢、動作をしっかり強化し直そう」
技術的なトレーニングと同時に、メンタルトレーニングも受けてきた。

しかし。それでも、今季に入って今大会直前まで不調が続いていた。6月に行われた日本選手権では1m89、7月に行われた関東パラ選手権でも1m90。アテネパラリンピックの頃のような記録の羅列だ。

20170723_miyazaki003.jpg

(写真) 関東パラ陸上選手権での鈴木選手

「関東パラまで、もうひたすら空中姿勢の修正、きれいなクリアランスばかりに意識がいってしまって、そもそもジャンプの高さが足りていなかった。日本選手権と関東パラの反省から、意識を上に、上に、というふうに変換させたんです」
これが奏功し、ロンドン出発直前の練習で1m95をクリアした。
「最後にグーッといい形で上がる感覚が掴めたんです」

そうして、久しぶりに超えた2m01。
「福間(博樹)先生と、ずっと東京を見据えて取り組んできた。おそらく、空中姿勢の改善が間に合わなければ、今回も1m98で終わっていたと思う。少しずつ、身についてきた成果なのかな、と思っています」
優勝したポーランドの選手の記録は2m14、2位のイギリス選手は2m08。
「東京に向けては、もっと上を目指していかないと。まずは2m04を跳ぶことですね」

世界選手権では、2006年のオランダ大会の時にリレーで銀メダルを獲得している。が、個人種目としては、今回が初メダルである。
レースが終わった後、国旗を選手団から手渡され、オリンピックスタジアムをウイニングランした。
「こっちの方が緊張しました(笑)。リオではスタンドから仲間のウイニングランを見ていた。やっぱり、景色が違います。そこに到達した人にしか見えない景色が、確かにある」
シドニーパラリンピックから日本の“チーム切断”を牽引し続けてきた。レジェンドは、さらに技術と体と心を磨いて、3年後の東京パラリンピックへと疾走していく。


鈴木徹選手: 1980年5月生まれ  山梨県山梨市在住

キーワード:   
著者:スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)
1960年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

宮崎恵理さんへのインタビューはこちら
Road to Rio特別編 ~パラリンピック、かかわる人々。Vol.4 スポーツライター・宮崎恵理さん~