自らのステージを上げた銅メダル 〜三段跳び・芦田創選手〜

「個人としては初めてのメダルです」
芦田創は、そう語り真一文字に唇を引き締めた。
芦田は、上肢の切断などのクラス(T47)三段跳びに出場し、13m58の記録で銅メダルを獲得した。

20170719_miyazaki2_001.jpg

リオデジャネイロパラリンピックの走り幅跳びでは、あまりの緊張感で頭が真っ白になり本来の跳躍ができずに終わったという。リオ以降、ストライドとピッチのバランスを重視して、じっくりとトレーニングを積んできた。その成果が、今年3月に走り幅跳びに表れた。オーストラリア・キャンベラの大会で初めて7mの壁を越える7m15をマークしたのだ。
跳躍に手応え、あり。走り幅跳びは7m、三段跳びは14m。この数字が、芦田の明確な目標値になっていた。

1回目。芦田の記録は13m38。ロンドンのクイーンエリザベスオリンピックスタジアムは、世界陸上に向けてトラックを張り替えていたという。
「トラックの反発が強い、と感じていました。助走から踏み切りはしっかりできるのですが、その後、ホップ、ステップで抜けてしまう感じがあって飛距離につながらない」
トラックの感触を確かめるように2本目まで跳んだ後、思い切って跳び方を変える決断をした。
「ホップからの滞空時間を長くするために、腕の振りをシングルアームからダブルアームに変えました」
本来の自分の跳躍に近いフィーリングで跳べたという3回目で、13m58をマークした。

「ロンドンに入ってから、ダブルアームで体を作ろうと調整していました。でも、助走のキレがすごく良くなってきたので、シングルアームでスピードを生かしたほうがいいのかなと思って、1本目、2本目はシングルアームでトライしたのです。それでも、トラックの反発の感覚の違いに、どうもうまくいかない。それでダブルアームに変更した3本目で、少し記録が伸びた。なので、後半はダブルアームを継続しました」

20170719_miyazaki2_002.jpg(写真)代表選手記者会見での芦田選手 2017年6月

2015年から、芦田は母校の早稲田大学競走部の監督を務める礒繁雄氏に師事する。今大会、初めて芦田のコーチとして世界選手権に帯同した。跳躍ごとにスタンドにいるコーチからひとことアドバイスを受ける。
「技術的な指導やアドバイスはありません。いい跳躍ができている、とにかくまずは13m80台を目指そうということを言われていました」

自身も、体の動きは悪くないと感じていた。だから「今日は絶対にメダルが取れる」と確信していたのだという。
「特に前半は、跳躍順がラスト。とても冷静に周りが見えていましたし、他の選手の様子を見てから跳べる順番でした。メダルを取れることはわかっていたけれど、目標の14mに届かなかったのは悔いが残る」

とはいえ、初めて手にした銅メダル。
「自分のステージを一つ上げられた。そこは評価したいと思います」

 


芦田創選手: 1993年12月生まれ  大阪府池田市出身 東京都新宿区在住


キーワード:   
著者:スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)
1960年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

宮崎恵理さんへのインタビューはこちら
Road to Rio特別編 ~パラリンピック、かかわる人々。Vol.4 スポーツライター・宮崎恵理さん~