2020へ、決意のラストジャンプ ~走り幅跳び・中西麻耶選手~

リオデジャネイロパラリンピックの再来のような、軽い既視感を覚えていた。
切断などのクラス(T44)女子の走り幅跳びに中西麻耶が出場し銅メダルを獲得した。自身初となる、そして今大会ジャパンチーム第1号のメダルだ。

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前半3本のうち、1回目と3回目はファウル。2回目は4m28。後半も記録を伸ばせず、あと1本を残すのみとなっていた。中西は、スタンドにいるアメリカ人コーチの近くに駆け寄り、アドバイスを求める。その後、自分のマーカーを少しだけずらしてから、スタートポジションに戻った。
一つ、大きく深呼吸をして走り始める。まっすぐに加速する。踏み切り、そして着地。白旗が上がった。
記録は、5m00。直前まで3位につけていたオーストラリアのサラ・ウォルシュを抜いて銅メダルが決まった。
「最後の1本、コーチから“キミの走りは悪くない。ただ、タイムはそれほど上がっていない。だからマーカーを前に15cmだけずらした方がいい”と言われました。最後の1本、跳躍の前に何かを変更するのは正直怖いです。でも、コーチを信じて、自分を信じて跳びたかった」

1年前、4位となったリオパラリンピック。大会直前にアジア記録を叩き出して臨みながら、苦戦を強いられていた。が、最後に改心の5m42をマークした。

20170716_miyazaki_002.jpg(写真) 2016年のリオパラリンピックの女子走り幅跳び(T44) 中西選手は右から2番目

2017年、ロンドン最後の1本。ようやく5mをクリアした。直後に笑顔が弾けた。

アメリカ人のコーチはトニー・キャンベル氏。1988年ソウル五輪の110mハードル銅メダリストだ。中西はロンドンパラリンピックを目指す過程で、世界屈指のトレーニング環境を求めて単身アメリカ・サンディエゴに渡った。当時、中西を指導していたのは、オリンピック三段跳びの金メダリスト、アル・ジョイナー氏だった。同じトレーニング施設で陸上競技のコーチを務めているキャンベル氏は、中西が何か迷っている時、あるいは途方にくれている時に、ユーモアを交えながら相談に乗ってくれていたという。

中西は、アメリカでの練習環境を手に入れながらも、ロンドンパラの走り幅跳びでまさかの惨敗を喫する。大きなプレッシャーと一人戦い、それをはねのけることが最後までできなかった。試合直後、消え入りそうな声で「もう、陸上競技を離れます」とメディアに向かってつぶやいていた。

 

20170716_miyazaki_003_02.jpg(写真) 2012年、ロンドンパラリンピックでの中西選手

「実際には、当時はまだまだ英語でのコミュニケーションも未熟で、技術的な細かい部分を理解できないことも多かった。そういうフラストレーションもたまっていました」
そんな中西の姿を、キャンベル氏はずっとそばで見つめ続けていた。

その後、再び陸上競技へのモチベーションを取り戻しリオデジャネイロへと向かう。ロンドン以降に指導してくれた日本人コーチがリオの現場に来られなかった時にも、今大会と同じように「自分を信じろ」と心の支えになってくれた。
「これまでずっと外からではありましたけれど、5年間、見守ってきてくれていたんです」

今年、シーズンインを目前にして中西は肉離れを起こし、まともに練習やレースができない状況にあった。6月に開催された日本選手権に久しぶりに出場するも、もどかしさが残った。

20170716_miyazaki_004.jpg(写真) 6月、日本パラ陸上選手権での中西選手

どうしても、7月の世界パラ陸上選手権では、しっかり自分らしいレースをしたい。そう思って、6月末、思い切ってアメリカに飛んだ。
「ずっと私は風向きに弱い選手と言われ続けてきた。でも、じゃあどうすれば風の影響を受けずにコンスタントに力を発揮できるのか、どんな練習をしたらいいのか。トニーさんに何としても教えてもらいたいと思って」
今大会直前まで10日間のトレーニング期間で、走り出しから踏み切りまでのタイムを計測し、ベストタイムはどのくらいか、実際に跳躍した時のタイムと踏み切りのタイミングがどうずれるか、自分のピッチと踏み切り動作などを細かくチェックしてくれた。それによって、自分の中で修正すべき点が明確にイメージできるようになったという。
「走力が安定していないことが問題。しっかりマックススピードに持っていってそのスピードのまま踏み切りまで継続させること」
技術的な理解が足りていないと感じれば、キャンベル氏はタブレット端末のアプリを使って説明を尽くしてくれる。頭をあげるタイミング、体や脚部の角度などが明確になった。

そうして、臨んだ今大会だった。
「1本目、3本目でファウルをした時に、正直、ロンドンの悪夢のような悪い流れの中に放り込まれたような気持ちになってしまいました」
そんな中で、最後の1本。
「これがちゃんと跳べなかったら、もう後は何もできないと思っていました。おそらく、2020の東京の舞台では、想像を超えるようなプレッシャーがあるはず。今以上の決意を持って戦わなくてはいけない。今、この瞬間をしっかり決めることができなければ、何も先はないと言い聞かせてスタートしました」

今大会、メダルを獲得した選手にはコーチにプレゼントできるもう一つのメダルが授与される。
「メダルの意味は、ものすごく深いです。記録としては、もちろん6mという目標を持っていて、そこに全然届かなかったわけですから、納得できるレースではなかった。それでも、どうしてもメダルをトニーさんの首にかけてあげたい。そう思って手に入れたメダルです。大事な時期に、手渡したいと思う人がそばにいてくれた。その成果だったのかな」
ロンドンという地で、過去の自分を振り切りメダルを獲得した。中西の目の前には、また新しい道が続いていく。



中西麻耶選手: 1985年6月生まれ  大分県由布市在住


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著者:スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)
1960年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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