宮崎恵理「My Way, My Style パラアスリートの流儀」

野球から陸上へ、大舞台でつかんだものは 〜やり投げ・山﨑晃裕選手〜

上肢障害のクラス(F46)男子やり投げ、スタートリスト2番手で出場した山﨑晃裕の1投目、53m55。思わずガッツポーズが出た。
「1投目でいい記録が出れば、きっといける」
初めての世界選手権で、手応えをがっちり掴んだのだった。

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山﨑は生まれたときから右手の手首から先がない。小学3年で野球を始め、左手にグローブをつけてボールを受け、素早くそれを外して投げるスタイルで甲子園を目指していた。大学に進学してからは障害者野球チームに所属し、新しい野球の世界で初めて世界を目指す意欲を掻き立てられた。
転機が訪れたのは、2015年に行われたパラアスリート発掘イベント。野球で鍛えた肩の力に、陸上競技関係者が目を見張った。
「当時は、野球と2足のわらじでもいいのかと思っていました。が、そんなに甘い世界じゃない」ということに気づき、一旦野球とは決別し、やり投げ1本に集中する覚悟を決めた。
身長167cm。全身、筋肉の塊。肩で投げるというよりはガッチリした下半身を中心に推進力を生み出している。
「今回のロンドンは、直近で目指してきた大きな舞台でした。こんな舞台で投げられる経験は、人生に数えるほどしかない。すごく幸せです」



20170715_miyazaki_002_R.jpg(写真)2015年11月、選手発掘イベントに参加したときの山﨑選手

自身の持つ自己ベストは、転向を決めた直後に出した54m48。日本記録である。
「ロンドンでは、55mを超える記録を出してメダルに絡むことが大きな目標でした」
優勝したインドをはじめ、スリランカ、中国などの強豪が次々と2投目以降に記録を伸ばすのを横目に見ながら、実際には1投目を超える距離は出せなかった。
「自己ベストを更新できなかったことは悔しい。でも、これまでのどの大会以上に、6投のアベレージは高かった。何の競技でもそうですが、自分が初めて挑む大会では非常にプレッシャーがかかります。そこで、自分なりの記録がコンスタントに出せたことは、メンタル面での成果としても大きい。今回の経験で、世界と対等に戦えるという実感が得られた。そこに努力の成果があったと思います」
今大会のベスト記録となった1投目は低く鋭い弾道でやりが伸びていった。
「自分の体力や技術を考えると、少し低めの弾道の方がいい記録が出るので、それを狙って投げました」

自分より上の選手はいずれもアジア勢。来年には、インドネシアでアジアパラ競技大会もある。そこでも世界選手権と同レベルの戦いができる。
「体力、技術を全て鍛え直す必要はある。でも、陸上を始めて2年目でここまで成長してこれた。だから、これからも向上できると確信しています」
2020年は東京パラリンピック。それこそ、目指すべき本当の大舞台だ。
「そのために、転向したんです。今回の世界選手権で、メダルを取るという気持ちを新たに持てた。体のでかい強豪選手たちと戦うためには、さらに一回り、自分を成長させていきたいと思っています」

山﨑晃裕選手:1995年12月生まれ 埼玉県鶴ヶ島市出身・在住 東京国際大学在学中


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著者:スポーツライター 宮崎恵理(みやざき・えり)
1960年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、雑誌「Tarzan」ほか「スポーツグラフィックナンバー」などで執筆。現在、「Tarzan」「それを最大限に活かせ! パラアスリートGO!」の連載を展開中。12年ロンドン・パラリンピック、14年ソチ・パラリンピックではNHK開会式中継解説を担当。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。

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