2020年度 第41回
BKラジオドラマ脚本賞 選評

大森 寿美男(おおもり すみお)

脚本家。神奈川県出身。
1997(平成9)年脚本家デビュー。「泥棒家族」「トトの世界~最後の野生児~」第19回(2000年度)向田邦子賞受賞。代表作に大河ドラマ「風林火山」「64(ロクヨン)」連続テレビ小説「てるてる家族」「なつぞら」大河ファンタジー「精霊の守り人」「天使にリクエストを」がある。監督と兼務で「風が吹いている」「アゲイン 28 年目の甲子園」を執筆。

 ラジオドラマという表現の幅が広い特性からか、あまり日常では起こり得ないような奇抜な発想の作品が多くみられました。 それはいいことで、自分のことを語るようなものより、たくさんの人を楽しませるエンターテイメントを目指してほしいものです。 その中で、日頃、日常で作者が強く感じていること、思うことがどこまで反映されているかが勝負だと思います。それが作品の個性を生むような気がします。 そういう個性的な作品と出会うことを期待して審査に当りました。 作者の年齢も性別も知らずに、粗削りでも光る個性を、これからの可能性を求めたのですが、結局は作品の出来不出来で判断するしかなかったというのが率直な感想です。 それが当たり前といえば当たり前ですが、贔屓の観点がなく自然と評価は辛くなりました。

『父を偲んで、京都で繋ぐ』

  三姉妹の奇妙な旅の話である。母親の不倫・妊娠と父親の自殺という、かなりヘビーな秘密が暴露されてゆくのだが、それが淡々と語られて、特に悲壮感もなく、それがかえって不気味に思えるのは、大人になった三姉妹という関係性ゆえであろう。一人で秘密を抱えてきた年の離れた長女の心情、自ら不倫をしてまったことなど、これまでの葛藤をもっと知りたいと思うし、次女と三女には、そこにもっと興味を持ってほしかった。母や父、母の不倫相手への思いよりも、この三姉妹の変化、葛藤をもっと色濃く描いてほしかった。長女の心境が秘められすぎていて、ただの語り部のように思えるし、それぞれに成長したところはあっても、あまり三姉妹の関係が変わったように思えないのが一番の不足だ。

『ツマエナガ』

 中学生の恋の話。学校中から注目されるほどの美少女とまったく冴えない男の子の幼馴染。美少女は男の子が好きだが、男の子は気づかず、硬派な同級生の恋のキューピットを務めたりする。そこにきて初めて男の子は自分が美少女を好きなことに気づく。心臓の鼓動で気づく。だけど素直に認められずに別の人が好きだと嘘の告白をしたりする。そして二人はすれ違い、美少女は突然引っ越していなくなるという展開に。一体いつの時代の話だと思うような純情ベタなエピソードのオンパレードだ。それを自らツッコミを入れるように関西弁でギャグを入れながら語るので「はい、わかってやってますよ」と言わんばかりで、こちらも真面目にツッコむ気さえしなくなる。それでも、いつの時代の中学生だよと思っていたら、最後に今の中学生ではないことが明示される。語られていたのは回想だったのだ。これには思わず納得してしまった。二人は結婚し、これから生まれてくる子供のために、思い出の「ツマエナガ」の本物を北海道に見に来た時点から語られていたのだ。しかし、ここが不満だった。ここは思い切って、もっと先の年代になった二人でも良かったのではないか。四十代でも五十代でも六十代でも成立しそうだし、今の二人がどんな状態で昔の純情すれ違い物語を回想していたのか、ここにこのドラマの大きな核心が生まれるような気がする。そこで作者が選んだのは、純情ベタの延長にあるただのハッピーエンドに過ぎないように思えた。

『アメフラシ』

 主人公の雨宮は、緊張すると必ず雨が降るので、昔から海の生き物にちなんで「アメフラシ」と呼ばれている。では、これまでどんなときに緊張して雨が降ってきたのか、周りからそう呼ばれるようになった経緯を知りたいところだ。
 その雨宮が、コロナ禍で仕事も住む場所も失って車上生活を余儀なくされている。金のため詐欺に加担しようとしていたので、緊張して雨が降ってきた。そこへ偶然、元刑事の西原が雨宿りを求めて来て、雨宮の車に乗り込む。雨宮にとっては、もっとも緊張する場面となるはずだが、どうもそうは感じられない。西原に対して警戒心がなさすぎて、西原が職業柄、その人の職業はだいたいわかると意味深なことを言ったときも、占い師かと思うだけでは呑気すぎるのではないか。そもそも、たった五万円で犯罪とわかっている闇バイトに手を出すほど追い詰められている理由が、コロナ禍だからというだけでよいのか。それに同情するように西原の方は、雨宮が犯罪者になりかけていることをわかっていて近付いたことがのちに明らかになるのだが、初めから雨宮が良い人間だという前提で動きすぎている。全体的に、あらゆる偶然が重なって、ある一人の男が救われてゆく話になっているだが、それ自体は悪くはない。面白いアイデアだと思う。しかし、今の時代、作者が一番やってはいけないことは、コロナ禍だから仕方がないと、不幸や犯罪の言い訳やお膳立てに安易に使うことだ。
 もう一度、なぜ雨宮がそこまで追い詰められているのか、今どんな精神状態でいて、本当は人生に何を求めているか、そこで偶然、西原と出会ってどう変わってゆくか、それがいかに奇跡のようなことであったか……その辺を見極めて書いたら、この作品はもっと個性的になる。このアイデアを出せる作者なら、きっと傑作になるはずだ。

『摩耶ぎつね』

 女狐が人間の姿になって恩返しではなく敵討ちをするという、今さらこんな御伽噺のようなことをなぜ書こうとしたのだろう。そこに興味を抱いて読み始めたら、端正な語り口によって自然と物語の世界に誘われた。モノローグも、ほどよく説明をしながら、情緒を醸し出す舞台装置の機能を果たしている。登場するキャラクターも無理なく立っていて、主人公の女は、艶っぽくて怨のこもった声が、敵の絵師は、偏屈でありながら生来の愛嬌があるしわがれた声が、自然と聞こえてくるようである。脇役もそれぞれが的確な立ち位置で役割を全うしている。物語の核である絵師が女と関わって自然と変わってゆく様もきちんと描かれていて、それも絵を描くという行為によって、絵空事がリアルな話に変わってゆくような感覚に陥る。ラストにあっさり死の結末をモノローグだけで語られるところに、物足りなさを感じるが、これも最後にそっと御伽噺や神話の世界に言霊を返そうとする作者の意図であろう。そう思うと、最後にまるで狐の供養碑を立てられたような、誠実で心地良い余韻が残った。

『ポーちゃん』

 ロボットの老朽化、パーツの交換を、延命治療や献体移植のように描くアイデアは面白い。それだけに、なぜロボットにそこまで愛着を持つか、その実感を描くことが不可欠だろうが、そこが十分とは言えない。犬でも車でもロボットになればもっとコミュニケーションが取れても良いのではないか。そこの執着が描けてこそ、この物語は滑稽さとリアリティの両方を描けるように思う。テーマ性の強い作品だけに、人間がロボットに対して愛着を強く持つことによって、その果てに起こり得ることを、もっと深く掘り下げて描けば、もっと共感できる作品になると思う。

『やっちゃれ!』

 主人公は東京で役者になるという夢を追うも、挫折して帰省したひと夏。実家はミカン農家で本来なら跡取りで、地元のマドンナのような姉が結婚もせずに手伝っている。さらに双子の兄弟がいたが、一人は川で溺れた子供を助けて命を落としている。二人はともに高校球児で、バッテリーを組んで甲子園にも出場したという輝かしい過去があった。それも死んだ弟のほうが優秀で、その弟がその夏、不意にあの世から兄に交信してきて……と、ここまでベタな設定を並べられたら、ベタ好きな私はもうたまらない。あらすじを読んだ時点で、面白そう!感動しそう!と期待感しかなかったのに、期待していた物語にはならなかった。
 弟が助けた少年が六年経って主人公たちの母校で高校球児になっているのだが、イマイチ野球に熱が入らず、その少年を励ますように死んだ弟は挫折しかけている兄に頼むのだが、私が期待した物語はここだった。ベタな設定の中で作者は新鮮な発見をしたと思ったのだ。それなのに肝心の、その少年と兄の交流がほとんど描かれない。地元のヒーローの命と引き換えに命を救われた少年の六年間とは一体どんなものだったのか。兄は自分の六年間と重ねて、どんな言葉を少年にかけられるのだろうか。そして二人は、どんなことを乗り越えて、どんな関係を築くのか。その過程で、きっと兄は姉や父や母にも、少年のことを相談するだろう。そのとき姉の六年間も知り、父と母が、その少年のことをどう思っているかも知るだろう。そんな残された人々に弟が伝えたかったことを双子の兄が伝えることによって、物語のラストはどこに行き着くのか。そう期待したのだ。   
 しかし、ベタな設定はベタなまま点在し、一つの流れにまとまることもなかった。作者は、ベタの中で自ら手に入れた宝物に気づかないまま帰省を終えてしまったようで、ひたすらもったいない気持ちだけが残った。もう一度、引き返して考え直してもらいたい。

『それでも割と、悪くない』

 まず、SEが最小限の情報だけで場面転換を示そうとしているのだろうが、それがどんな音なのか、もっと人物の動きや空間の広がりが見えないと、具体的な音が聞こえてこない。ラジオドラマにも、いや、ラジオドラマだからこそト書き表現の追求は必要だと思う。それは登場人物の関係性についても言える。どこが記号的なのだ。おそらく作者の中では人物設定がちゃんとできているのだろうが、その設定にのっとって人物に言わせたいことを書いているだけに思える。だから誰と誰が出会っても、最初から距離がべったりと近くて一定なのだ。だんだんと近づいて関係が深まっていくようなことが一切ない。影響し合うようなこともない。これでは、人物はいても関係を描けていないのと同じである。今作のように、ちょっとシュールな出会いから、不思議な人間関係が生まれてゆくような話だからこそ、作者は、その人間と人間が出会えば、どんなことが最初に起きて、どんな風に変わってゆくのか、注意深く発見していかなければならない。人間関係の変化こそがドラマの核である。

『怪夏夜話』

 新型コロナウィルスの流行と重ねて、講談による導入部で、「十歳の娘が悪夢を見るところから、この物語は始まります!」と言われては、もう興味津々である。しかし、読み進めていくと、話としてはとても面白く読めるのだが、その世界観になかなか入り込めない。それは、講談によっても会話によっても、ただ物語をわかりやすく説明されるだけだからだ。父と娘がどんなふうに暮らして来たのか、なぎと草次にどんな心の交流があったのか、そのドラマが見えてこないので、大事な要素である喪失や離別の悲哀といったものが実感として伝わってこない。いちいち状況説明があって、そこに主人公が放り込まれるので、主人公の心情に寄り添えない。主人公の行動、エモーションによって物語の展開を引き寄せてゆくような工夫がなければいけない。そうしなければ見せ場や芝居場は生まれてこない。中世のリアルファンタジーを得意とした溝口健二監督の言葉を引用すれば「これはあらすじであって、シナリオではない」ということか。しかし、溝口にそう言われた脚本家の卵は、のちに名脚本家になった。この作者にもその可能性はあると言える。

『空のひと』

 会話のテンポが良く、関西弁の特性を生かしたユーモアがあって、文字で読むと十分に楽しめる作品になっている。最後の演奏シーンなど、音楽の特性も生かし、ラジオドラマにしたときには、さらに彩りの豊かなものになるように思う。ただ、設定が単純で、最後まで軽さとテンションが変わらないため、物語としては、何も印象に残らない可能性がある。馬鹿馬鹿しく始まるものは、それをのちにどこまで裏切れるかが勝負だと思う。登場人物がジャズ好きだというだけでなく、どんなことに悩みながら生きて来たか、そのためにどうして音楽が大事なのか、亡くなった人がどれほど大切だったのか、リアリティのある人間の深みや意外性が見えてくるようであれば、ラストに向かって飛行機が落ちる落ちないのパニック感が人間の心理と重なるような、上質なエンターテイメントになる気がする。

『鏡のメッセージ』

 繊細な人間の心理描写。本当の想いを伝えられない人間関係のもどかしさ。人と人が繋がることの難しさ、その大切さを描きたい。という思い、志には大いに好感を持てるし、共感する。成就すれば、秋風のように爽やかでありながら、どこか侘しさも感じられる、心地よくも切ない作品になるだろうという気がする。しかし、どうしても肝心なところになるとモノローグで解説してしまっている感が否めない。それなら、小説にして朗読したほうがよほど伝わるだろう。それをドラマにするなら、もっとドラマとしての志がなければいけないと思う。たとえば、思い切った沈黙があってもいい。言葉にならない呻きのような声があってもいい。その声をその人の代わりに伝えようともがき、思いがけない言動をする主人公の衝動があってもいい。ドラマをつくるとは、演じる者の息遣いを存分に伝えることだ。いっそのこと、モノローグを禁じ手にしたら、この書き手はもっと深い人間の心理描写に辿りつけたのではないかと思う。冒頭のモノローグに倣えば「周りをじっくり見つめれば、気配を感じさせてくれたり、時を超えさせてくれたりするものが、息を潜めている」はずなのに。作者がそのことを一番よくわかっているはずだ。

『ミミ、ヘム、パイル』

 歴史あるタオル業界の話には興味が湧くが、主人公の抱えている問題がよくわからない。主人公は仕事に対しても家族に対しても真面目に生きて、タオルに対しても十分に愛着があるように思える。それならば、他社に負けない最高のタオルでありたいという願うことや、プロジェクトを任せられたらリーダーシップを持とうとすることは必然で、そこから逃げることと、人と争いたくない平和主義というのが重ならない。高校球児なのにレギュラー争いを放棄したという過去のエピソードもまたしかり。それでは野球が好きで、もっとうまくなりたいという気持ちはなかったのか。その上で、何が彼を悩ませているのかを見せてほしかった。主人公がモノローグで悩んでいる割には、話は特に混乱もなくスムーズに進んでしまう。タオル日本一大会にも不正や理不尽さは感じられず、社長の我欲にしても悪意や問題があるようには思えない。主人公が何と戦い、何を乗り越えなければならないのか、目の前の問題は何で、どうしてそこから逃げてしまうのか、それによって周囲はどのような影響を受けるのか、そこを明確に描かなければならない。人に対する眼差しやセリフを楽しむ心は伝わってくるので、『逃げてはいけないが逃げることも時に大事』みたいな借りてきたようなテーマに頼らず、この作者には、もっと自分が描きたいテーマをじっくりと見極めてほしい。

オカモト 國ヒコ(おかもと くにひこ)

劇作家、演出家。大阪府出身。
BALBOLABO主宰・作・演出。舞台脚本の他、NHK「FMシアター」「青春アドベンチャー」などラジオドラマの脚本、関西制作のTVドラマ脚本なども手がける。NHK連続テレビ小説「てっぱん」の脚本協力。FMシアター「薔薇のある家」では、平成22年度(第65回)文化庁芸術祭 優秀賞受賞。

 とても読みやすい作品が増えた。
 と、二年ぶりに選考委員の任についた身として、全体の傾向の変化を言っておく。
 二年前はラジオドラマ独特のルールを完全に無視した作品もいくつかあった。今年はそのような作品はまったくない。もしかすると下読みの段階でそのようなものが以前より落とされやすくなったということかも知れない。
 ラジオドラマ独特のルールとはどのようなものか一応言っておくと、一つはモノローグ(心の声)の問題である。
 これはラジオドラマでは主人公しか言ってはいけないことになっている。
 映像作品では主人公以外の心の声が聞こえても何の混乱もないし、漫画原作のアニメなどでは主人公どころかそれに対する敵側の心情の揺れ動きが見どころだったりするものさえよく見かける。しかし、これは音声作品ではNGである。
 もう一つは場面転換。
 ラジオドラマでは主人公がそこにいない場面を描くというのもNGである。
 映像作品では普通に行われることだが、例えば主人公が牢屋に捕まっている間に自宅では主人公の恋人が真犯人に襲われて大ピンチというような場面を音声作品ではそのまま書いてはいけないことになっている。書くとしたら「後で聞いたがこの時、恋人の身にはこのようなことがあったのだ」などと主人公が思い浮かべる形式をとらなければならない。
 何故そんな面倒なルールがあるのかと問われるなら、それは単純にラジオドラマとはつまるところ「語り」であり、リスナーは語り部たる主人公の視点に寄り添って物語を体験しているものだからだ。
 なので主人公が知りえたものしか語ってはいけない。
 仮に主人公が気絶しており、その間に真犯人と恋人が実はグルだったという内緒話交わされたとする。この会話がリスナーであるあなたに聞こえていいかというと、これは聞こえてはいけないのだ。もし聞こえたなら主人公は実は気絶してなかったという事になる。だってその会話をリスナーである我々にドラマ仕立てで語ってくれてるのは気絶してるはずの主人公なんだから。
 ちなみにモノローグを一切使わない場合や、第三者のナレーションに頼る場合は上記の限りではない。 
 余談が長くなったが、ともかくそういうルールを無視した作品はなかった。
 逆に、全体に親切すぎる作品が多かった。
 ほぼ全作品、何をテーマにしているのかが1~2ページも読めば分かるようになっている。そして、ここがすごく残念なのだが、その提示したテーマで予測されるオチや展開をまったく裏切らないまま最後まで語り終わってしまう作品ばかり。
 どこかで聞いたような分かり切った話を無難につなげていくだけで、果たして人は50分も聞いてくれるものだろうか。
 予想が裏切られるから、あるいは思い込みが覆されるから、興味が持続し先が知りたくなるものではないだろうか。
 重要なのはカードの切り方。どんなに使い古されたストーリーラインでも、どこから話し始めるか、誰の目線で語るかだけでも新鮮さを見出せる。そして、物語を締める為のここ一番の切り札だけは辛抱強くその時までちゃんと伏せておくべきである。

『父を偲んで、京都で繋ぐ』

 この脚本賞は関西をテーマにという規定があるので、関西在住でない応募者の方々はその部分で苦労しているのだろうと思う。
 この作品は主人公である三姉妹を京都ツアーに出かけさせるという手でこの問題をあっさりと解決している。それについては物語的に京都である意味がもっとあるべきとは思うものの別に悪くはない。
 悪いのは旅行という移動の中ということもあってか、三姉妹の会話がずっと嘘っぽいところだ。
 「ああ、実際の姉妹ってこんなのなんだろうなあ」と思うところが一つもない。作者なりに分かりやすくしようとした結果かもしれないが、三人の説明的な会話で表現されているのは結婚観の差などの記号的なキャラクターづけでしかない。
 実際にこの台本でラジオドラマを作るとなったら、演者は姉妹っぽさをどうやって出そうかとても困るはずだ。それくらい姉妹らしさを表現した場面がない。もしこれが新しい出会いアプリを作ってるOL三人の京都ツアーというなら、説明的なこの会話でもそんなに問題はないと思うのだが。
 妹二人が母の過去の浮気話を長女の口から妹たちが聞くというのがストーリーラインだが、その母の浮気話の方が圧倒的にドラマチック。そちらをメインのストーリーにした方がよかった。

ツマエナガ

 唯一、手書きで送られてきた作品。
全篇が恐ろしく癖のある丸文字で書かれており、それはもしやこの作品の世界観を少しでも伝えたいという作者のやむにやまれぬ思いの発露なのかも知れなかった。
 その意気や良し。
 ただ、コツをつかむまで読むのに非常に時間がかかった。
 内容は週刊少年マガジンで90年代前半に連載されていた「BOYS BE」のようだ。
 「BOYS BE」とは思春期男子の甘酸っぱい妄想ラブストーリーを描いた一話完結の短編漫画で、当時10代だった僕もあまりにも主人公に都合のよい展開をバカにしたふりをしつつ、こっそりキュンときたりして毎週かかさず読んでいたものだ。
 この作者も失礼ながら同世代の同志ではないだろうか。
 本作のストーリーは、朴訥でモテない思春期男子である主人公が、芸能界もほっておかない超絶美少女の幼馴染に一方的に好きになられており、彼女に恋する周りの男子達から嫉妬されつつも朴念仁な日常を送っているといったものだ。クライマックスに明かされるヒロインがなぜ自分を好きなのかという謎の答えは、冒頭に丁寧に示されていた子供のころ一緒にツマエナガを見た時に交わした結婚の約束であったという、なんというか、非常にシンプルな妄想話である。
 21世紀も20年を過ぎた今これを書いてくるということは、もしかしてこれは作品全体で狙ってきたギャグなのでは?という議論もなされた。
 確かにそんな気もする。
 ラジオの前で「なんじゃそら」「アホか、この展開」などとつっこみつつ笑いながら聞けるような作品なのかも知れない。
 だがしかし、そういうのを脚本賞で認めてしまうのもどうか。
 これが良いとなると、もはや作品なんて何かのパロディであれば十分だということになってしまう。
 作品全体としてギャグである可能性も含めて、僕は反対した。

『アメフラシ』

 個人的には、いきなりなし崩し的に車上生活という底辺まで落ちてしまっている主人公もなくはないと思う。そこに大した危機感もなく、それほど切羽詰まってる心象でもないのにお仕事アプリで明らかに犯罪的な仕事をやろうとしている危機意識の低さも、なんというか現代的であるようにすら思う。
 主人公がダメ人間だとは明言されてはいないものの冒頭の独り言のいい加減さから十分ダメなことは感じられるし、僕もどちらかと言えばずるずるとダメな方向へ行くタイプの人間なのでそれなりに共感出来る主人公像ではある。
 しかし、主人公のこのダメな状況の原因をコロナにするのはちょっと違うのでは?
 おそらく作者はコロナ禍の中、多くの舞台が中止・延期に追い込まれてることをニュースで知り、舞台が飛んで仕事がなくなった舞台美術家という主人公像を考えたのだと想像する。しかし実際にはよほど孤立した仕事ぶりでない限り本人がぼーっとしてても舞台監督なりプロデューサーなりが給付金の申請など助けてくれるはずであるし、短期間に車上暮らしにまで落ちてしまったのはつまりもう舞台美術の仕事を続けたくなかったという心理の現れとしか思えない。何故なら舞台美術はそれを作るアトリエがないと仕事が受けられないのだから。
 そこにコロナを絡めるのは何か違う気がするし、単純に時事ネタの扱いとして配慮を欠いていると感じた。
 そうめんが不思議とうまそうに感じた。いくつか食事のシーンが描かれた作品があるが、うまそうと感じたのは本作だけである。また、関西弁の会話が自然である。
 後半、クライマックスにあたる部分の「おとり捜査」だが、他の選考委員の評判はすこぶる悪く、雑すぎるというのが大方の意見であった。
 しかし、個人的にはこの話はどこに行ってしまうのかというツイストとしてちゃんと機能していると感じられたし、その顛末をすべて事後として全く描かずに処理してしまうのも、大胆な物語的省略として楽しめた。
 色々と書いたが作品として悪くないと思っている。
 ただ、表題ともなっている「アメフラシ」のネタは物語として全く効いてない。
 この作品含め、全体に今年はタイトルがうまくないと思う。

『摩耶ぎつね』

 言葉の雰囲気がよい。
 ラジオドラマは言葉が最大の武器である。
 モノローグもダイアローグも一癖ありながら微笑ましく、滋味のある世界観が全体に心地よい。
 人物も生きが良い。主人公格の二人だけでなく、ちょっとした脇役までちゃんと実在感のある愛すべきキャラクターとなっており、読んでるだけで顔が浮かんでくる。
 惜しむらくは、ストーリー。
 ぶっちゃけ、ふわっとしてる。
 というのも、冒頭で物語の仕掛けと顛末がほぼほぼ暗示されており、それならば最後にどんなどんでん返しが用意されているのかと思えば、ない。
 果たして、敵討ちという目的と主人公の正体と敵討ちの道具であるお多福草の効能を、冒頭であそこまで明確にしてしまってよかっただろうか。冒頭での設定を踏まえて読んでいくと、なるようにしかならなかったという話としか思えない。
 普通に考えて、物語には謎やサスペンスを仕掛けるべきである。
 冒頭のみことの会話による設定説明を、物語の中で段階的に回想として挿入すれば「果たしてこの美女は何者なのか?」という謎と「敵討ちは成功するのか否か」というサスペンスを、回想する順番次第ではあるが十分加えることが出来たはず。
 しかし、この作品はそのような小細工を弄せずに人物と世界観の魅力だけで最後まで語り切ってしまった。
 欠点は上記。だが、それを上回る言葉の魅力があり、50分じっくりと聞けるものになるだろうと思い推した。
 ひねりのないラストシーンも今となっては心地よい。

『ポーちゃん』

 ロボット犬のメンテナンス停止という題材の目のつけどころは素晴らしいと思う。
 売る時は一生可愛がってくださいなどと言っときながら時が経てば使ってる者の愛着を無視して次の新型を買えという。
 こういった、企業が我々消費者へ時折ぶちかましてくる理不尽への怒りは多くの人々の共感を得るものだと思う。
 ただ、その題材を素直に時代に取り残されつつある高齢者を主人公に書いてしまったのは失策だと思う。なんだか長い説教をされたような読後感のある作品になってしまった。
 やはり作品のテーマらしきことを登場人物、それも主人公が大きな声で主張してしまうのは避けるべき。受け取る側はどうしても少なくない反発を感じてしまうものだ。それがどんなに正しく、主張すべきものだったとしても。
 一案だが途中、公園で出会う小学生の女の子を語り部にしてはどうだったろうか。
 まったく同じプロットでも、老婆がいかにロボット犬を愛していたか、長い人生でどんなことがあってロボット犬を飼うことにし、ロボット犬を治そうと奮闘したのにどう無碍なく断られたのか、少女を語り部に老婆が話す構成にすればもう少し、老婆の経験した理不尽とそれに対する思いを味わい深く感じられたのではないかと思う。
 老婆が自分のロボット犬の部品を、少女の壊れたロボット犬に譲るのはとてもよいプロットだ。
 誰の視点で語るか、どの時系列で語るかで物語の印象はかなり変わる。柔軟にうまい手を考えて欲しい。

『やっちゃれ!』

 失礼ながら、今回読んだ十一作の中で最も凡庸だと感じた作品。
 死んでしまった弟と通話が出来る霊界電話というのが今作のキーアイテムだが、それ自体はよく見かける凡庸なアイデアである。なので後はどうオリジナリティーある展開にするかが勝負。
 にもかかわらずこの作品はどこかから借りて来たような設定と結論に終始してしまい、どこにもはっとする要素がなかった。
 脚本賞は受験のようにあらかじめ何かの正解があっての点取り合戦ではないはずだ。なので、どこかで見たことのあるようなストーリーを破綻なく書ける能力に点を上げるわけにはいかない。
 また、この作品の作者だけではなく応募者全員に伝えたいが、応募先がNHKだからといっていい話に着地する必要はないと思う。この作品はいいメッセージの作品だから賞を取らせようなどと主張する人間はNHK側の選考者も含めて最終選考の場に一人もいないのだから。
 人物が生き生きと描かれて実在感があり、題材に対して誠実に深く考察されていれば、どんな結論の物語だってそれは魅力ある作品のはず。 
 素朴に、自分自身がラジオでどんなドラマがやってたら夢中になって聞いてしまうかを考えて書いて欲しい。

『それでも割と、悪くない』

 脇役に官能小説家が出てきたりと、ドラマを面白くしようという工夫は感じる。会話もところどころぎこちなさは感じるものの、悪くない。
 ただ、主人公である老婆の造形は果たしてこれで良かっただろうか。
 過去オレオレ詐欺の被害にあったにもかかわらず落ち込まず逆にガサツなくらいエネルギッシュに生きている元気印のキャラクター、を狙ったのは分かる。だが「なるほどそういう人もいるかもな」と納得できる感じではなかった。
 面白くしたいという欲が暴走してしまったのかも知れない。
 オレオレ詐欺で財産を持っていかれたという背景と実際に描かれた人物の間に大きな齟齬を感じる。こういう人はオレオレ詐欺に引っかからないんじゃないか。引っかかったとしても金相場詐欺とか自分が欲かいて儲け話に乗った結果、騙されてしまったのをオレオレ詐欺だとごまかしてるんじゃないか?などと余計な邪推すらしてしまう。
 また、老婆が最後に希望を託す、すべてを信じてしまう天使のような女子高生もよくわからない。
 何故そんなに他人を信じるのかの理由はと言えば「騙されるかもと思って最初から信じないのもいやだなって思ってるだけ」というまさにそれだけ。この50分という短いドラマの中で描くべきは、同僚の老女と青年の結婚詐欺か否かといったありがちなドタバタではなく、この若い彼女が何故そんな風に思うに至ったかの方ではなかっただろうか。
 ラストシーンでは「すべての人が彼女みたいに考えられたら世界はよくなるのかも」とまで主人公が語っている。
 ならばそこはもっと掘っておかないと無責任だと思う。

『怪夏夜話』

 コロナ禍の世情に少し触れつつの講談師の語りから始まる本作。
 雰囲気もセリフ回しも古めかしく、選考委員の中には今流行りの「鬼滅の刃」を連想する方もいたが、僕としては子供の頃に見た「妖怪人間ベム」や「カムイ外伝」、あるいは「赤胴鈴之助」といった当時としても再放送だったテレビアニメ活劇を想像しながら読んだ。
 何故ならこの作品、セリフがとてもぶっきらぼうなのだ。
 そこが面白い。
 作画の上で難しいからだろう、当時のアニメーションのセリフは細かい芝居を避けるため、端的さが重視されていた。いきおいそれが際立ちすぎて人物の言動としては不条理ではないかと思える領域まで踏み込んでいるようなものも多く、それが独特の魅力ともなっていた。
 本作のそれも稚拙さゆえではなく、そのような昭和の、紙芝居的な魅力を再現しようと狙ったもののように思える。演出がうまくつけば、ラジオを聴く人は昭和40年代にタイムスリップしたような不思議な感覚を体験できるだろう。
 ただ、惜しむらくは展開もそれに合わせるようにぶっきらぼうというか、荒さが目立つ。三幕構成で言うところの二幕目はやたらにもたもたしているし、展開したかと思えば今度は講談師の語りを生かす意図か、伏線のまったくなかった強引な場面へ繋がったりして、ここまでくると流石に「作者の都合に振り回されてるな・・・」という気分になってしまう。
 また、応募作同士を比較しては失礼かと思うが、最優秀の「摩耶ぎつね」も大きく考えれば本作と同じく妖怪・時代物だと言える。あちらは特定のアニメ作品や絵柄を連想することなく読み進むことが出来、こちらは上記に書いたように連想の上でしか読み進めなかった。
 それがすなわち優劣とは思わない。
 しかし、純粋に読み手として「摩耶ぎつね」はキャラクターや世界観を味わいながら読み進むことが出来たのに対して、本作は「趣向」は十分に面白く味わえたがキャラクターも世界観も味わうという境地には一歩届かなかった。

『空のひと』

 この作品は現実の旅客機内の様子を想像すると成立しがたいことが多い。
 冒頭、隣の席の女性の言う「ずっと空の上にいました」という謎めいた言葉を受けて主人公は「まさか幽霊!?」と早合点し、前の座席の男性がその女性に話しかけるや「あなたにも見えるんですか!」と大声を出す。
 作者はアニメやコントの絵面を想像して書いているのかも知れないが、実際に生身の俳優に演じてもらうことを考えるとやはり違和感を感じざるを得ない。
 そういった違和感は主人公への好感度にも直結してしまう。
 例えば、前の席の男性が「マイル修行僧」だと知った主人公が色々とそれについて否定的な持論を述べる場面がある。たまたま前の座席に座った初対面の人間の趣味嗜好についてこれでもかとダメ出しをし続けるのだが、これが十代の少年なら妙な理屈っぽさも幼さゆえの可愛げとして受け止めることも出来る。しかし、今作の主人公は29歳のNY帰りのジャズトランぺッターだ。ずいぶん幼児性の強いやつだなという印象になってしまい、そうなると、単身NYにジャズ修行に行っていたというストーリーに関わる経歴も(それがかなり簡単に描写されているのも気になるが)きっと適当な感じで独りよがりに過ごしてたんだろうなと邪推してしまう。
 とはいえである。
 ラジオに限らず主人公が思ったままをべらべらと口にするような社会性を無視したドラマは日常的に放送されているし「もはやドラマってそういう不自然なもんでしょう?」と言われれば、確かに今はそういうのも多い。
 そう考えるとなかなか判断が難しいところだが、その描写が主人公たちキャラクターの魅力になっているならOK。足を引っ張っているならNGといったところか。
 しかし、少なくともNHKで作られるラジオドラマに関しては声優でなく俳優が呼ばれ演じることがほとんどであり、そうである以上、人物同士の距離感や空間のリアリティーについては一考すべきだと思う。

『鏡のメッセージ』

 失礼ながら、もっともピンとこなかった作品である。 
 主人公がもう長く会ってない男にまだ恋していることはちゃんと伝わってくる。きっと何かとてもいい思い出があるのだろう。そう思って読み進めても、それが一向に出てこない。最後の最後で何かがあるのだろうと思ったがないままだった。
 表題の「鏡のメッセージ」を素直に受け取るなら、この男が20年前に手書きで鏡の木枠に書いた「元気があれば何でもできる」というこの言葉がこの恋の原因なのだろうか?主人公もすぐさま「猪木みたい」とくさしたこのメッセージが?
 誰もが好きになるような魅力あふれる美男美女によるラブストーリーでさえ、何故相手を好きになったのかというきっかけのエピソードはしっかりと分かりやすくドラマチックに描かれているものだ。そこがごまかされていたり、「なんとなく」ではやはり観るものが気持ちよく感情移入できないからである。
 「なるほど、それなら20年引きずるのも無理はない」と我々を気持ちよく納得させるだけの心に響くエピソードが描かれていれば、それだけでこの作品は特別な輝きを放つ傑作になったのではないだろうか。
 主人公の気持ちにまったく感情移入できないままストーリーが終わってしまった印象だ。

『ミミ、ヘム、パイル』

 冒頭、いかにもテーマですと言わんばかりに娘との会話を回想が入ってくる以外は、軽妙なキャラクターとテンポの良い会話で非常に読みやすく好感がもてた。
 中盤まではタオル業界という題材の選び方とそれをしっかりリサーチした誠実さも伝わり、物語運びの手際の良さとユーモア溢れるダイアローグもあいまって、今年はこの作品が最優秀になるだろうなと思いながら読み進んだ。
 しかし、急激に、クライマックスの大会出場あたりから、流れるようだった展開が妙にぎくしゃくとし始める。
 決定的に読む手が止まったのは、主人公たちが大会出場を命じた社長の思惑を知る場面だ。実は自分たちが優勝することにより、社長は日本タオル連合の次期会長になれるという密約を交わしていたのだ。それを知った主人公たちは白け、やる気を失うのである。「自分たちは社長の出世の為、業界で権力を握る野心の為に利用されていたのか」と。
 なんで?
 25歳の一緒に頑張っていた部下がこんなこと言うのはまだ世間知らずという事でいい。56歳のベテラン女性職人もきっと前からまだ40歳になったばかりの若い社長が気にくわなかったんだろう。
 しかし、主人公までその気持ちに同調してしまってよいのか。(セリフでは発していないものの、モノローグ内では同調しており、モノローグとは絶対に本心の表現である)
 顛末としては、主人公がここまでの二人の努力を思い起こし「社長の為じゃなく工場の為に戦うんや!最後までやらせてください!」とわざわざ妻子までその場にやって来させた上で下町ロケットみたいな檄を飛ばすことで場は収まるわけだが、まったくのれない。
 あなたそんな人じゃなかったじゃない。
 「えー?二人とも今更そんな高校球児みたいなこと言わんといてよ。そんなん社長ともなったら色々あるん普通やんか」くらい言ってまあまあと収める懐の深いキャラクターだとこちらは思っていたのに。
 大体、社長の出世の為には頑張りたくないなんて嫌うほど社長そのもののキャラクターがしっかり描かれているわけでもない。タオル会社の社長が日本タオル連合の会長になりたいという野心は私利私欲でなく、会社と工場全体のためを考えた至極まっとうなものだとさえ思える。
 ここは作者による捻じ曲げを感じざるを得なかった。
 選考会でもここは議論がなされ「自社のタオルへの愛がある人間が、何の理由があるにせよ大会で勝ちたいと思わないのは納得できない」やら「この年齢までこの会社で働いていた酸いも甘いも経験したはずのおじさんがこの程度の理不尽で揺らぐのは不自然」などの意見が出た。
 僕としては主人公の「戦わない主義」「平熱主義」とも言えるキャラクター自体には現代的なリアリティーを感じているし(中年になればどんな業種であれ大体こんなもんだろうと思う)、そこに共感していただけに、それをテーマとして強調しようとしたかのような不自然なクライマックスが大きな傷に思えて残念である。
 筆力は十分。
 今後はテーマなんて血の通ってないものより、せっかく生み出した生き生きしたキャラクターの声を信じてあげて欲しい。

新井 まさみ(あらい まさみ)

脚本家。京都府出身。
シナリオ・センター大阪校にて脚本を学び、2015年第36回BKラジオドラマ脚本賞で最優秀賞を受賞し、同作は2016年に文化庁芸術祭ラジオ部門で優秀賞受賞。その後NHK「FMシアター」「青春アドベンチャー」などラジオドラマの脚本やTVドラマの脚本、ゲームシナリオなども手がける。FMシアター「エンディング・カット」では令和元年度文化庁芸術祭ラジオ部門大賞、第56回ギャラクシー賞ラジオ部門奨励賞受賞。

 今回の審査では、応募条件にある「関西を舞台にした」という点が議論になることはほとんどありませんでした。「関西弁で書かれているとなんとなく面白く感じてしまう」という意見はあったものの、この応募条件が決め手となる作品はなく「泉州タオル」を扱った作品だけがうまくクリアしていたのではないかと感じる程度でした。なかなか悩ましい「関西を舞台に」案件ではありますが、アイデアの魅せどころでもあります。是非、作者にしか書けないとっておきの関西を見つけていただけたらと思います。
 内容的には主要人物が高齢者という作品が11編中4編あったものの、コロナ禍やオレオレ詐欺、鬼退治の人気アニメを彷彿とさせる作品など、時代を反映しつつバラエティーに富むラインナップだったのではないでしょうか。二度の投票の結果、最優秀作品に選ばれたのは、キツネが人間に化けて出てくる日本昔ばなし風ファンタジー。確かな筆致が最後の最後で他を圧倒した形となりました。
 補足として、推敲途中の作品がいくつかありました。修正前の余分なページが挟まっていたり、登場人物のセリフが「(〇〇寺の説明文)」であったり。後で清書するつもりだったのでしょうが、もったいないです。また、下調べが不十分なものもありました。思い込みもあるかもしれません、実在する場所や地名、固有名詞を使う場合は必ず確認することをおすすめいたします。

『父を偲んで、京都で繋ぐ』

 三人姉妹が京都を旅しながら、過去を紐解く物語。性格も出来事も、ひたすら語られていて、ドラマとしては芝居をするところが少なく感じました。旅の途中、主に彼女たちの母について語られるのですが、その内容はというと、母が不倫をして不義の子を流産、再びその男性の子を妊娠し出産(二人も!)、そして父は自殺…。実は自分たちが不義の子だと知る妹たちと、それを明かす姉。なかなか感情移入するのが難しい設定です。つまり、ドラマが起きているのは過去の母であり、三姉妹はその話を語るか聞いているだけなのです。たとえラストでその男性と会い「一生に一度の恋でした」と告げられようとも。三姉妹の設定は面白いので、もっと彼女たちの今の物語になっていればと惜しまれます。ですが、難しい会話劇に積極的に挑む姿勢は志が感じられると複数の審査員から高い評価を得ました。

『ツマエナガ』

 丸文字の手書き原稿で、内容は昭和の少年少女ドキドキ初恋もの。異彩を放っていました。
恋する少年のバク、バク、と聞こえていた心臓の音が、突然「バカ」と聞こえたり、それがなぜか彼女にも聞こえてしまったり、他にはない独自の工夫が印象に残りました。清々しいくらいに振りきった書きっぷりはとても面白いのですが、残念ながら、初恋に気づくだけでは50分の尺は埋まりません。今の中身のままでは短編の分量でしょう。また、映像作品のように柱が立ててあるなどオーディオドラマの脚本として成立していない箇所がいくつかありました。ナレーションが多すぎなことも補足しておきます。

『アメフラシ』

 最後まで佳作かどうかを競った作品です。コロナ禍を扱った点を「意欲的」と捉えるか、または「安易」と捉えるかで評価が分かれました。オレオレ詐欺に手を染めようとしている主人公が元刑事の孤独な老人に出会い、直前で思いとどまる。この流れは緊張感があり読み応え十分でした。脇の人物たちも生き生きと描写されていて最後まで飽きさせません。しかし、犯罪に走るその原因がコロナ禍で職を失ったから、だけでいいのかと議論になりました。もちろん悪くはないのですが、今この時、現在進行形のコロナ禍を描くのに、あとひとつ説得力が足りなかったという印象です。オーディオドラマ的なことでは、ナレーションとモノローグの併用とその使い分けの曖昧さが気になりました。

『摩耶ぎつね』

 人間の娘に化けたキツネが絵師の男の元へ母の敵討ちに向かう物語。お伽噺の世界観が高い完成度で描かれていました。やがて、二人は愛し合うようになるのですが、絵師が母キツネを助け、絵のモデルにし、お墓まで作っていたことを知らされる娘…。そこから、私は母の身代わりじゃないという葛藤に変わっていくのが若干分かりにくく、個人的には前フリ通り「母を殺めた男なのに愛してしまった」展開を望んでしまいました。また、二人が魅かれ合う前提なことや、着物の帯を解かれ「あーれー」と抵抗しない娘も前時代的です。ですがオーディオドラマとして、しっかりとセリフで構成され、モノローグの分量も的確、このまま放送化しても問題ないと、他の追随を許さぬ圧倒的筆力が決め手となり、最優秀作品に選ばれました。

『ポーちゃん』

 後期高齢者の一人暮らしの女性が大切にしているロボット犬、ポーちゃん。ある日、ポーちゃんが動かなくなり、修理を依頼するも既にサポート終了と言われ困った果てに…、というお話。11編の中で唯一、社会批判要素を感じました。高齢者の運転免許返還問題、50歳になる娘に対し「仕事ばかりで寂しい思いをさせてきた母」との未だ消せない罪悪感、などなど、年老いてこその哀惜が独特の空気感で描かれていて好感を持ちました。ですが、物語の展開や人物同士の絡みが弱く、主人公の想いの吐露にとどまった印象です。主人公と副主人公の話として考えると、人物表の二番目に来るのは仲良しの隣人ではなく、公園で知り合う少女ではないでしょうか。いつもの隣人とのお喋りの中ではなく、新しく出会った少女との会話の中に主人公の気づきや変化がもっと早く生まれていれば、その後の物語の展開も変わっていたのではと思います。

『やっちゃれ!』

 高校球児だった双子の兄弟。有望選手だった弟は川で少年を助けて溺死。その後、野球を諦め今は売れない役者をしている兄。久しぶりに故郷の弟のお墓に訪れると、そこに弟の幽霊が現れてある頼みを聞いてくれと言う…。オーソドックスな物語で、とても読みやすかったです。難点は主人公が役者を志す動機もよくわからないまま、幽霊弟がかつて助けた少年が気になると相談、少年は甲子園を目指すもスランプ、そこに父が病気で倒れ後継ぎ問題勃発と、どこかで聞いた話の連続になってしまうことです。セリフもこなれていて筆力は十分なのに、ひとひねりが足りないために類型とみなされてしまう最も損なパターンです。こういった審査ではオリジナリティーが勝敗を左右することが少なくないと思われます。

『それでも割と、悪くない』

 かつてオレオレ詐欺の被害にあった高齢女性が主人公。騙された過去を悔やんでいたが、ひまわり荘の人々に出会い、頑な心を解されていく。この、ひまわり荘の面々を描いている時の作者はとても楽しかっただろうと想像できました。それくらい、ノって書かれているのが伝わってきます。と同時に、オーディオドラマの場面転換に苦労なさっている様子も伝わってきました。コップをテーブルに叩きつける音がしたらアパートの中、足音と車の運転音で移動、ドアの開閉で場所替え。どの場面も同じ音ばかりです。セリフと同じくらいト書きやSEにも愛ある心配りが欲しかったです。とはいえ、「たとえ騙されたとしても相手を信じたい」という優しいメッセージが心を打つ良作でした。

『怪夏夜話』

 タイトルがあらわす通り、講談調の怪奇時代劇ファンタジー。鬼や天狗が登場する世界は非日常に連れていかれる心地良さがあり、どちらかというと、アニメを想定して読んだという意見もありました。特殊な設定ゆえ、講談師の説明を後から聞いて理解するシーンが多く、オーディオドラマとしてはやや分かりづらい印象です。リスナーに正確に伝えるにはもう少し丁寧な描写が必要かと思います。全体的に登場人物に感情移入することが少なく、こんな世界観はいかがですか?と問われているような感覚をおぼえました。好き嫌いがハッキリ別れる作品でしたが、それだけ魅力的だったと言えるでしょう。最終投票まで支持を集めました。

『空のひと』

 飛行機の中のほぼ一幕もの。偶然、隣り合わせた女性から「夫が飛行機事故で死んだので私も同じように死にたい」と告げられる主人公。結局、主人公の男はその女のことを知っていて、女も彼を覚えていると言い、墜落事故もあっけなく回避されます。マイル修行男や名乗り出る医者も特に意外性はなく、サラリと終わってしまいました。途中、回想が入るとしてもワンシチュエーションで50分持たせるのは至難の技です。とてもチャレンジングな作品なのですが、夢破れた過去と機内トラブルだけでは残念ながら間が持たなかった印象です。こちらの作者も、ありあまる筆力ながらスジの運びで損をされているとお見うけいたします。キャラクターに既存のストーリーを結びつけるのではなく、そのキャラクターだからこそ生まれるオリジナルで心わき立つ物語、どこかにきっとあるはずです。

『鏡のメッセージ』

 かつて密かに想いを寄せていた男性に会いに行く50代独身女性。彼は姉のように慕う年上女性の元夫で余命僅かの身。主人公は彼の世話ができる幸せを感じながらも、彼と年上女性の切っても切れない関係に複雑な思いを抱く。やや小説的で、いかにもモノローグですべてを語ってしまいがちなお話でした。しかしながら、言葉にしにくい感情や年を重ねた男女の心の機微など、他の人が選びそうにない題材に挑戦する心意気が票を集めました。ひとつ付け加えるとすると、タイトルにもなっている「鏡のメッセージ」ですが、ここは著名人の名言(に似たもの)よりも、そのキャラクターの口から出るであろう作者渾身の力を込めた決めゼリフの方が、より感動的だったのではないかと思います。

『ミミ、ヘム、パイル』

 とても読みやすい作品で、受賞レベルなのは間違いないと直感しながら楽しくページをめくりました。泉州タオル製造のディテールを説明するシーンも、ただの知識や蘊蓄の紹介にならずタオルへの愛情を感じましたし、主人公である中年男のぼやき風セリフから彼の表情や姿が浮かんできて、すぐに作品世界へと引き込まれました。もしかしたら、リスナーにとって一番聞きやすい作品になったかもしれません。ですが、クライマックスのエピソードは本当にこれでよかったのでしょうか。魅せ場となる全国タオル大会の決勝直前で突然知らされる社長の目論み。これが、しょぼかったというか肩透かしというか、ここぞという場面で効果的に配置されているとは思えませんでした。他が良かっただけに残念です。とはいえ堂々の佳作入選作であります。