2017年度 第38回 BKラジオドラマ脚本賞 選評

山本 雄史 
(やまもと たけし)

今年の候補作10編は、いつもと違って題材や内容に似通ったものがなく、多様な作品が並び、楽しい審査となりました。ただ、題材も内容も、ほとんどが「平均的」な域を出ていないのが、もの足りないし残念なところです。もしや「NHKのコンテストだから、これぐらいが無難だろう」などと考えているとしたら、そんな思い込みは無用だし改めるべきです。何ものにもとらわれることなく自由な発想でもっと「びっくり」させ、「とんでもないものを書くヤツだ」と喜ばせてほしいのです。
それから、今回もまたモノローグを多用する作品がいくつかありました。「ラジオドラマは語りで話を進めるもの」という思い込みがあるようです。ラジオドラマでも、話を進めるのはモノローグによる「語り」ではなく、セリフによる「対話」であるべきです。人物どうしが感情をぶつけあう対話があって、その補足またはある種の効果のために「必要最小限」なモノローグ(語り)がある。単純にいえば、1回に5行も6行もモノローグが続いたり、原稿をパラパラめくってみて、モノローグ(M)の文字が目につくほどなら、それはやはり多いのですよ。ついつい便利づかいにモノローグを書いてしまうのかもしれませんが、長いモノローグに酔いしれているのは作者だけです。書く時には、このモノローグは本当にここに必要か、説明しすぎていないかを常に考えてみてください。

『ベイビーチョコレート』
実は日本語しか話せないのに、外見だけで日本語が話せないと勘違いされる中学生のハーフの女の子のお話。しかし、この「勘違いされる」くだりが乱暴です。初登校でクラスメートに紹介するまで、主人公が日本語を話せるかどうかを担任教師が把握していない。そんなことがあるでしょうか。転校の手続きに保護者の母親が学校を訪れることもあったでしょうし、受け入れる学校側も事前にわかっていないと対応のしようがないでしょう。つまり「なるほど」とは思えない、リアリティーがないのです。
この話の面白さのひとつは、まわりが勝手に勘違いしていく過程だと思います。小さな嘘が次の嘘を呼んでやがて大きな嘘に発展するように、最初はささいな勘違いが次の勘違いを生み、どんどんみんなが勘違いしていって、もはや真実を打ち明けられないほどになって……というこの一連に「なるほど」と思わせる工夫がほしい。
また、せっかく落語を取り入れながら、それを上手く利用していない。なぜラストはスピーチなのか。たとえば主人公が高座にあがって、英語落語かと思ったらペラペラと日本語で噺を始めた、なんてこともあるでしょう。日本語しか話せないことを打ち明けたい主人公と落語、この2つを組み合わせて「うまく話を作って」ほしかったですね。

『一言一会』
ナンパ勝負をするCMプランナーの主人公と心理学の元教授。しかし、二人の「ナンパ術」はいずれもありきたりで、このドラマなりの独創性に欠けます。ナンパの方法を図書館の本で学ぶ設定になっていますが、もしや本当に実際の本の内容を参考にしたのでしょうか。主人公と大学教授はいずれも人物の魅力に乏しい。個性が弱く、なんだかスベスベして当たり障りがなく、印象が薄いのです。
ラジオCMを題材にしたのは評価しますが、その中身はどうもピンときません。最大の問題は、クライマックスに実際のラジオCMをそのまま使っていること。「ありもの」を丸ごと使ってドラマを解決させようとしてはいけませんね。それから、教授が病気で亡くなること。この話で人が死ぬことがはたして必要だったのか。全体的に「作り物」感がある作品でした。

『行ったるで、甲子園』
あらすじを読んだ時は面白そうだと期待しました。しかし本文を読んでみたらそれほどでもなかったのが残念でした。主人公の男子中学生2人の「違い」が見えづらい。2人のセリフのやりとりを読んでいると、だんだんどっちがどっちかわからなくなります。やはり「大きな対立要素がない」のが原因か。単に「口調」をかえた程度では違いはあまり見えません。必要なのは「元々の大きな考えの違い」です。それがあれば両者の違いが際立ってくるものです。
甲子園の「幻の25号門」、その門の番号を示すニセのボード。実際の球場門のボードの大きさや形状がイメージできないのですが、それははたして近所の店で簡単に調達できるようなものなのでしょうか。そしてそれで中学生を騙せるものなのか。そのあたりがひっかかりました。
出だしは勢いもテンポもあっていいのですが、中盤はもっと「甲子園に着くまでの苦労」がなかったものか。そしてラストはくどくど理屈っぽくなってしまいました。人物それぞれが「実は……」と事情を長々打ち明け合うというのは、ドラマの解決としては感心しません。主人公は元気な中学生です。彼らなりのエネルギッシュで不器用な「行動」で表現できなかったでしょうか。「何を言ったか」ではなく「何をしたか」です。

『他人の横顔』
夏の暑い昼下がり、開け放ったマンションの窓、外の甲子園球場から高校野球の歓声、その部屋で鉢合わせした妻と愛人――。充分なお膳立てです。あとは書くだけです。この設定でドラマを書こうとしたことは大いに評価します。面白く書けています。書き慣れた作者の力量を感じます。しかし、何か物足りないのです。展開が少ないからでしょうか。50分ものならもっと紆余曲折がほしい。密度が薄いからでしょうか。妻と愛人の対決はこの程度で済むものか。もっと2人のダークな部分をえぐり出せなかったでしょうか。
モノローグの多用が気になります。巧さを感じますが長すぎる多すぎる。長いモノローグが入るたびに、せっかくのドラマの進行が止まってしまいます。モノローグに自ら酔いしれるのはよくありません。もっとモノローグで描かれている内面を、妻ばかりでなく愛人の内面をも、どうやったらセリフ・対話で「わからせる」ことができるか、そこに最大の努力をはらってほしかったです。
ラストは審査会で話題になりました。これは妻が夫を取り戻すという結末でしょうか。夫は妻が突然訪ねてきた時、マンションを飛び降りてケガをした愛人を見捨てた男です。これは夫が妻と愛人のどっちを選んだかという問題より、もはや「人間として」許せない行為です。妻がそれをよしとしてはいけないでしょう。「どっちが」夫を取ったかではなく、「どっちも」夫を棄てたというのが納得のいく結末ではないかと。それでこそ妻と愛人に友情の芽生えがあろうというものです。

『天王寺サブロー』
今年の佳作入賞作。主人公・朱里の元気でまっすぐな人物像には好感が持て、介護施設の描写にもリアリティーがあります。ただ、このお話は基本的に「浪花節」で、そこに観客として気持ちがうまく乗っかれば感動を共有できたはずですが、私はいまひとつ乗りきれなくて端っこのほうでフラフラしていました。
後半、サブローの弟子だったいう人物が突然現れて事情を長々と説明し、さらにはサブローの生き別れた娘が偶然にも施設の職員募集に応募してきてと、都合よくバダバタと進んで物事が解決していくのが気になりました。ドラマを動かす主人公として、朱里がいろいろな難を乗り越えて主体的に行動することでサブローの真相が解き明かされていく展開にならなかったものでしょうか。そこが残念でした。
認知症で身元不明だったサブローが介護職員たちの尽力で過去を取り戻していく。それ自体は心あたたまるお話で異論はありません。しかし、過去の人生を失ったまま取り戻す術もない人たちも実際にはおられることでしょう。そんなに人に対して、元気でまっすぐなこの主人公・朱里はどう向き合うのだろう……ふと考えてしまいました。

『夜明けの轍』
タイトルの意味がよくわかりませんでした。話のどこかに意味をわからせる工夫がほしかったです。20数年、母と娘がふたりきりで生きてきて、今、その関係の見直しを迫られている。それにしては、長く互いに依存しあってきた2人にしては、その対話は浅く、もの足りなさを感じました。もっと逃れようにも逃れられない独特の何かがあるのではないか。「お母さん」と呼べず母を名前で呼ぶ主人公の娘。そのことの理由が見えてきません。おそらく良い理由ではないはずです。そんな「傷」を含めて、20数年の2人の人生丸ごとが、対立の中でえぐり出されてくる。そういう激烈な展開があってこそ、「轍」という意味が見えてくるのかもしれません。
ラスト、自立して親子関係を清算するに際して、教師という仕事をも辞めてしまう主人公に納得できませんでした。親子関係と仕事とは別問題ではないでしょうか。主人公の結論に清々しさより無責任さを感じました。

『永遠の嘘をついてくれ』
佳作入賞作。まずモノローグが多いこと。モノローグで気持ちを説明しすぎなこと。そういう部分をもっと人物どうしの対話で表現できなかったか、それが残念。しかしそれでも、この作品はよくできています。つらい過去の回想を入れることなく、「今」を描くなかで「過去」が浮かび上がってくる。ユーモラスな会話のなかに背負ってきた哀しみが見えてくる。特に留守番電話の録音のアイデアは秀逸。過去の声が今に甦り、回想で語り聞かせる以上の臨場感を持って主人公の女子高生に迫ってくる。留守電の録音の日付が震災の日に近づき、サスペンスが高まっていくあたりは感心しました。
ですが、ちょっとした疑問。審査会でも話題になりましたが、留守電の録音は22年前のものですよね。当時、声の主の「お祖母ちゃん」はまだ40代だったはず。それにしては、なんだか「お年寄りのような物言い」に感じます。人物表には現在の年齢「65才」と記されています。しかし65才のお祖母ちゃんはまったく登場しません。意図がよくわからないのですが、もしかして勘違いしたりしていませんか?
いつもなら、この作品が入選となったかもしれません。しかし今回は相手がタダモノではなかった。今回の入選作と比較すれば、どうしてもこちらは平均的な「普通」の作品に見えてしまいました。

『家族のコツ』
今年の入選作。原稿はじめのあらすじを読んで、「バカなこと書いてるなあ」と思わず吹き出しました。本文が楽しみです。冒頭、主人公ひとりが隕石に当たるところでは、「そんな隕石が落ちたら街全体がタダではすまんやろ」とツッコミ。それから先はなかなか調子よく話が進みます。娘(主人公)とその父と母、3人がそれぞれ個性的。作者の「骨」と「墓」と「死」への異常なこだわりを感じます。いったい何が作者をそうまでさせたのか心配せずにはいられませんが、その徹底したこだわりこそがこの作品の一番の面白さです。こういうアイデアストーリーは得てして最初はいいが後半グダグダ腰砕けになりがちなもの。だけどチューリップの歌にしつこくこだわって、お母さんのバッティングセンターも伏線がうまくきいてイイ感じ。いいぞ、その調子。婚約者が結婚詐欺師って、なんじゃそれの急展開。頼むぞ、最後まで踏ん張ってくれ!
でも心配することはありませんでした。勢いは持続して、最後はほろっと感動さえしてしまうではありませんか。素晴らしい。極めて独創的なホームドラマ。まさに「とんでもない」作品です。こんな作品を私は待っていたのです。もう何も文句はありません。いや、ひとつだけ。ラストのお父さん、骨壺を拭いてあげただけでまた墓の中に閉じこめてしまうのは可哀相です。不憫でなりません。もうちょっと優しくしてあげて。哀れなお父さんに情けを。
作者のこれからが楽しみです。どうか「この入選作が結局最高傑作だった」ということにならないよう、より一層の精進をしてください。

『働かない男』
とにかくモノローグが多い。中にはモノローグが10行続き、間にセリフが1行入って、また長いモノローグが続くというページもありました。これではドラマでなく朗読です。なんだか「長いあらすじ」を読んでいるような気になりました。
ただ、主人公の妻の人物造形には共感できました。自分の価値観を主張して夫や子どもを抑えこもうとする妻。どこまでもブレないで現実路線を貫く妻。その妻が結果的に夢へ暴走しそうになる夫を現実に引き戻し、この話を安易なファンタジーに終わらせない役目を担っている。そこが面白く思いました。

『寄り添う人』
「あんたは人の気持ちがわからない」と言って妻に去られた男がはじめた仕事は霊柩車の運転手。助手席に座る「喪主」とのエピソードがいくつか続く構成になっています。しかし、そのエピソードのそれぞれが「点」でしかなく「線」でつながっていかない。それは主人公をただ「人の気持ちがわからない人間」としか設定していないからではないでしょうか。「人の気持ちがわからない人間」とは具体的にどういうことか。そのことで主人公は過去にどんな経験をしたのか。それが今、助手席の喪主たちとの関わりとどう重なってくるのか。喪主たちとのエピソードに主人公は過去の自分を重ね、反省することで変わっていく。エピソードの連なりに、主人公の気づきが積み重なっていくことで、1本の「線」となっていくのだと思います。
ラストは「ありもの」の歌を一曲まるまる歌って解決とは安易に過ぎます。だんだんと積み重なってきた彼の変化の行き着くところ、「人の気持ちがわかるとは何か」を他人の歌に頼らずに、作者の言葉、表現でしっかり描いてほしかったです。

以上
山本 雄史
(やまもと たけし)
脚本家。昭和30年、大阪生まれ。大阪在住。
昭和63年BKラジオドラマ懸賞募集(現在のBKラジオドラマ脚本賞)で佳作入賞。ラジオドラマでは青春アドベンチャー「タイムスリップシリーズ」のほかFMシアターを数多く手がける。テレビドラマ作品としては、土曜ドラマ「再生の町」第4回のほか、中学生日記を多数執筆。FMシアター「鳥が教えてくれた空」で文化庁芸術祭優秀賞受賞、「かわり目~父と娘の15年~」で放送文化基金賞優秀賞受賞、中学生日記「おじいちゃんのふるさと」でブルガリア国際テレビ祭グランプリ受賞。

東 多江子 
(ひがし たえこ)

「ベイビーチョコレート」
黒人とのハーフであるがゆえに、転校先で日本語が話せないフリをするという設定。
担任教師が転入生の日本語レベルを知らなかったというのは、どう考えても現実的ではない。そこをクリアする作劇的な工夫が必要だろう。
なぜ主人公は落語が好きなのか、理屈では書かれているが、彼女が落語の世界で解放されていく体感的描写に乏しいと思った。
主人公を受け入れてくれる唯一の存在、学級委員。彼女の孤独もまた少し描かれているが、主人公がそれに気づかなくてはならないはずだ。他人の痛みを知って初めて、主人公の成長につながるのだから。

「一言一会」
冒頭、モノローグが長く、映像が止まっている。ラジオドラマで「もっともやってはいけない」パターンだ。
婚活サイトのラジオCMを作る担当者、とは現代的モティーフだと思う。
だが、主人公とナンパ合戦をする元大学教授が、いかにも教養あふれる優しい人物、ステロタイプである。もっとエロいおっさんだったら? 主人公を揺さぶる人物像を作るべきだっただろう。

「行ったるで、甲子園」
動き出しが遅い、という印象を受けた。
甲子園にあるという幻の「25号門」を見つけに行く旅――であるけれど、作者にロードムービーという自覚はあるだろうか? もっと動きを、もっと出来事を!
中学生同士の会話は、「中学生たる自分たち」を説明しているように見える。その自意識ばかりが強調されている。
自殺願望のある19歳の女性、にも残念ながらリアリティを感じられなかった。

「他人の横顔」
この作品もまた、女2人の対峙するシーンで、モノローグが必要以上にインサートされていて、緊張感がとぎれる結果になった。
女2人、台詞のうまさはある。
物語の最後、妻は、愛人が夫のマンションの二階から飛び降り、それが原因で足が不自由になったのだと知る。そのとき夫は、東京から突然やってきた妻と子に対して取り繕うのが精いっぱいで、ひとりで姿を消そうとした愛人には見向きもしなかった――その事実を知って妻はどう思うのか?
その部分こそ描くべき事がらではないのだろうか?

「天王寺サブロー」
介護人情話、というべきか。
ヒロインの女性の一生懸命が、いやみなく描かれていて好感がもてる。「登場人物がみないい人」という批判も出たが、アンサンブルとして悪くないとわたしは思った。
現実に、認知症がゆえに、保護されても身元がわからないまま施設にあずけられているケースが多いと聞く。
物語だからこそ、老人は実の娘に再会できた。かんなの匂いで、娘の「ああお父さんの匂い」という台詞。目頭が熱くなった。

「夜明けの轍」
「お母さん」と呼べない主人公。一緒に暮らしだした九歳からそうなのか、そのきっかけを明らかにすべきでは? 作者の中でもぼんやりとした「設定」なのではという印象を受けた。
母と娘、2人ともすくんでいる関係。
例えば有吉佐和子の「香華」の描く母と娘とは、異質の2人だ。いや、それとも似たテーマでありながら、表現が及んでいないのか?
母と娘、ふたりの人間がわからず、もやもやしたまま読み終わった作品だった。

「永遠の嘘をついてくれ」
阪神淡路大震災で、結局遺体が見つからず、行方不明のままの妻。その声は、留守電のテープのなかに今も生々しく残っている。そのモティーフはラジオドラマとして大いに効果的なものと言えるだろうが、22年前と言えば、妻は40台半ばのはず。しかしそれが、どうしても現在の年齢(60代)の物言いに聞こえてしまうのは残念だった。
これは、戦争や天災によってもたらされるテーマでもある。遺体なき死と、遺族はどう向き合うのか。課題が大きすぎたか。

「家族のコツ」
骨と骨が会話するコツニケーション。ラジオならでの発想。
母が娘の骨を食べるとモノローグにあるが、オンで描写されていないのはいかにも残念。これぞラジオでこそ表現できることなのに。
また、コツニケーションが成立している時点で、「いい家族」という印象を与える。けんかできなかった妻、その心の深淵をもっと表現してほしかった。娘の骨だけを移す、というのは現実にありそうで面白いが……。

「働かない男」
毎日営業の数字に追われるサラリーマンが、高学歴なのに彫金だけで生活を楽しむ「高等遊民」に徐々に惹かれていく過程が興味深い。
「快適ではあるが、幸せとは言っていない」という働かない男の台詞がいい。
苦悩しあがき、時には絶望し……そんな市民生活のなかに実は「幸せ」の芽が潜んでいるのか、と思わせられた。思うがまま気楽に人生を送りながら、決して幸せそうに見えない「働かない男」が、不思議なテイストをかもしている。
最終選考に残った中で、わたしが一番物語として魅力を感じた作品だったが、モノローグが多用されしかも長いという指摘があった。
読み返してみれば、確かにそうだ。すべての作品に共通して言えることだが、モノローグや語りに頼らず、台詞=人物と人物ののぶつかりあいで、ドラマを組み立てていく努力をしてほしい。

「寄り添う人」
パワハラの責任を負い辞職、しかも離婚手続き中の男。「人の気持ちがわからない男」と言われてきた。
再出発は、霊柩車の運転手。
と、設定は興味深い。
エピソードが重なっていくうちに、主人公が人間性を快復していくという流れだが、そこに緩急があったならば、と残念である。
そもそも「人の気持ち」を持っていた男なのか、初めて人らしくなっていくのか、作者はどう捉えているのか、そこがよくわからなかった。


重ねて言いましょう!
音声で聴きながら、リスナーの脳内に映像ができあがっていく、それこそ優れたラジオドラマだとわたしは思います。
ラジオドラマを書く人間が、自身の脳内のモニターをちゃんと機能させているかどうか。
機能させているとしたら、冗長なモノローグでせっかくの芝居を「ストップモーション」にはできないはずなのですが……。
発想やキャラクターが面白ければなおのこと、残念に思います。

以上
東 多江子
(ひがし たえこ)
脚本家、小説家。福岡県北九州市生まれ。
同志社大学文学部社会学科卒業。1982年「テレフォンキッス」にて、BKラジオドラマ懸賞募集最優秀賞受賞。現在、日本大学芸術学部放送学科非常勤講師、東京作家大学講師。おもな作品――「ええにょぼ」「アフリカポレポレ」「相棒 Season3」(以上テレビ)、「つづれ織り」「人生の使い方」(以上ラジオ)など。2015年、NHK名古屋局制作FMシアター「真昼の流れ星」にてABU最優秀賞受賞。

オカモト 國ヒコ 
(おかもと くにひこ)

去年に引き続き審査員を務めさせていただきました。
二年目ですので比較対象は去年の最終候補10作しかないのですが、比べれば今年の候補作は全体にどれも手堅く、丁寧で、まとまりのよい作品が多かった印象です。ただ、逆に言えば無難で小粒の作品ばかりだったとも言えます。
そんな中、今回最優秀に輝いた「家族のコツ」は文字通り異彩を放っていました。
作品が全身で「この発想、どや!?おもろいやろ!どや!?」そう叫んでいるような図太い厚かましさが最高でした。(「」内をあえて大阪弁で書きましたが、作者は関西の方ではありませんし、作品はもっと品があります)
そもそも、脚本とは作り手が読む物です。
「これ演出してみたい!」「この役、演ってみたい!」そう思わせてナンボのはずです。
そういう意味で、今回の候補作の中で真に作り手を惚れさせる力があったのはやはり最優秀作だったと思います。
実際、(僕が作るわけでないですが)脚本を一読した段階で惚れ込み、これしかあり得ないと信じて、最終審査の場では推しまくらせてもらいました。
NHKの賞だからって変に畏まらないで欲しいのです。これは入学試験ではありません。単なる優等生になかなか人は惚れたりしないものです。
前置きが長くなりました。以下、各作品の評です。

「ベイビーチョコレート」
「本当は日本語しか話せないのに、外見から日本語を話せないと誤解されてしまったので日本語が話せないフリを続けてみた」という設定自体は面白いと思いました。しかし、その状況を作る為に色々と歪めてしまっているのが残念です。
まず担任教師がセネガルと日本のハーフの転校生の日本語能力の有無をまったく知らないまま教室まで連れてくるなんてことありえるでしょうか。さらには同級生たちが主人公を評して「チョコレートドール」と呼ぶ場面があります。現代の若者と思えない言葉のセンス。もしかして作者は関西の地では外国人がまだまだ珍しい存在だと思ってるのでしょうか?そんなことはないです。
ともかく全編が書き割りのように感じました。

【一言一会】
まずナンパに使える心理学なんていうコンビニ本レベルのことを大真面目に発言させている時点で、作者はこの物語上で最も重要なキャラクターである「大学で心理学を教えていた元・教授」を真剣に造形する気がないのだと思いました。
クライマックスにセイコーのラジオCMを丸々引用しています。
これがセイコーの創業者の生涯を描いたドラマや、そのCMを作ったディレクターが主役のドラマだというならそれも良いと思います。ただ今回の割とライトな物語の中では、このCMの良さだけが際立つと言いますか、このストーリーとしての魅力あるクライマックスを導いているとは思いませんでした。
脚本上での、楽曲やCM音声の使用の指定が問題というわけでは決してありません。
ですが、せっかくの自作のクライマックスを既成の作品のイメージや言葉に明け渡してしまう姿勢はどうでしょう。僕ならば最初から最後まで自分の言葉のみで編まれた作品の方を支持したいと考えてしまいます。

【行ったるで、甲子園】
中学生二人がヒッチハイクで見知らぬ街に向かう冒険譚は魅力的です。
しかし、ならばもっともっと二人を冒険させてあげて欲しかった。正直、ハラハラドキドキが全くないまま、彼らの焦りや不安にこちらが寄り添う前に、型にはまったような人物が出てきてさっさと彼らを助けてしまいます。それ以降は説明ばかりの退屈なロードムービー・・・残念です。
主人公達がせっかくコンビなのにちゃんと書き分けられていないのももったいないです。あるかどうかわからない都市伝説である「52号門」を見つけに行くという話ならば、片方はその存在を信じているが片方はまったく信じていないという具合にしておかないとこの二人の冒険に聞く側がうまく乗っかることが出来ません。
また、「関西弁うまく言えないギャグ」はこの作品だけではないですがなかなかキツイです。実は実際に演じてみるとあれは絶対に面白くならないのです。

【他人の横顔】
モノローグが得意な方なのだと思います。ただの説明でなく、ある情感を伝えようとしている姿勢は評価できます。ただ、やはり多すぎます。
もしもモノローグなしで、単身赴任の夫の部屋に現れた謎の中年女性の正体をめぐるこのストーリーをうまく展開できたとしたらどうなってたでしょうか?
物語の解決も回想シーンでなく、それとない言葉や仕草の端々が伏線となって、最後に主人公が相手の正体を、彼女のこれまでに発した言葉を取り上げながら推理し喝破するという純粋な会話劇で成立させることが出来たとしたら?
それはとてもスリリングな聴き応えのあるオーディオ作品になったはずです。
この作品のような一幕劇で人物が少ない場合は、人物の挙動、言動、表情のすべてをじっくり想像し細心の注意を払いながらセリフを書いてください。そうすれば、モノローグはほとんど必要なくなるはずです。

【天王寺サブロー】
主人公のキャラクターもよく、テーマの選択もそれに対する捉え方も申し分ないと思います。介護施設のディティールも面白く、なにより得難いユーモアの感覚が作者にはあります。とても面白く読みました。
しかし、後半のご都合主義な展開にはやはり興を削がれました。
確かになんともハッピーエンドには出来ない題材です。
現実のそこには救いはなく、いっそファンタジーに逃げ込むしかない。そう考えた結果かも知れません。
ただ、現実に実際に多くの人が苦しんでいるこの問題を扱って、作劇上もっとも安易な方法でハッピーエンドを取り繕うことが、この作品と登場人物達にとって果たして良いことだったかどうか。
何か他の救いの手段がなかったでしょうか。

【夜明けの轍】
最終審査の席で意外なほどにけなされていた作品ですが、僕はそんなに嫌いではありませんでした。
大阪弁の自然さもあり、ある母子家庭の素朴なお話として割とすんなりと読み進めることが出来ました。ただ、誤字脱字が多すぎです。ちゃんと読み返しましょう。
おそらく皆がひっかかっていたのは「毒親」というパワーワードを前半で提示したわりに、たいして毒でもない母と物分りのいい娘の話に終始してしまっていることではないでしょうか。
確かに、主人公が9歳になるまでの5年間、母親は施設に迎えに来ず離れ離れだったというかなり強烈な設定がしてあり、その割にそのことが大してドラマに絡んで来ません。ただ、この苛烈な設定の割に妙にあっさりした母娘関係というところが逆に「トラウマトラウマ言うけど、現実には意外とこんなもんかもよ?」という作者のメッセージなのかと僕には思えたのですが。
もしも本当にそれが狙いなら、「えっそんなんトラウマちゃうん!?あっさりしすぎやで、自分ら母娘!」とびっくりしてあげるツッコミ役が必要だったと思います。

【永遠の嘘をついてくれ】
最優秀を最後まで争った力作でした。人物の造形がうまく、会話も自然です。留守番電話を使った展開も自然かつサスペンスフル。テーマも申し分ありません。
僕の中でも「家族のコツ」がなければ間違いなく一位でした。
しかしながら、これはおそらくは作中の阪神淡路大震災ではなく、東日本大震災を念頭に置いて作られた物語なのではないでしょうか。しかしこの賞は関西を題材にが条件なので、急遽設定を阪神に変更したのでは?そのせいだと思うのですが、ある人物の年齢に大きな混乱があります。それは単なる数字の問題ではなく、セリフから読める人物造形もそうであったはずのない年齢で表現されてしまっています。ともあれささいな傷ですが。
阪神大震災から二十年以上が経ち、その間に様々なドラマが作られました。それを「いまさら描く」というのは当然、これまでにあった作品群とまた違った切り口、捉え方を提示できなくては意味がありません。
「失ったという事実をどう受け入れるか。どう次に伝えるか」
東日本も含むこの大きなテーマと向き合おうとしたことで高いハードルそれ自体は、辛くも越えていたのではと思えます。

【家族のコツ】
独特の世界観。まちがいなくラジオドラマでしか出来ない物語です。
ラジオの聴取者の想像力を信じて、50分という尺の中で、精一杯に楽しもう、楽しんでもらおうとしてくれています。
現実にあり得るとかあり得ないとか、そんなことはどうでもいい。
既成の何かのモノマネではなく、この作者ならではの奇妙な世界観があります。
さらに独特のユーモアも。
このへんてこな世界を読み進むうち、家族について、死について、妙に考えさせられている自分に気付かされます。それは演説めいた説教臭いセリフからではなく、ナンセンスな展開を含むこの世界の有り様そのものからいつの間にか考えさせられているのです。
ちょっと褒め過ぎな気もしてきました。
タイトルが悪いという意見もありました。それには全面的に同意します。

【働かない男】
タイトルから何かとんでもない作品が来たのではと期待しましたが、実態は実に大した事のない男たちの、実に大したことのないお話。
なのに妙な魅力があるのが不思議なところです。
この魅力の正体はなんなのだろうか、中年男性の持つちょっとしたモラトリアム幻想なのだろうか、などと色々考えてみたのですが、よくわかりません。
ただこの脚本は僕には何か、サザエさんと同じような感覚で読めるのです。
マスオさんが働かない男に出会い「僕も会社をやめるぞ!」と決断します。しかし、弟子入りに行くと働かない男は「実は実家で会社をやってる兄が怪我しちゃって。働かない生活はこれまでです」としれっと実家に戻ってしまう。取り残されたマスオさんは家族と夕食の食卓を囲みながら「いやー、気の迷いでした」と笑ってラストシーンを迎える。
そんな魅力、と言えばわかってもらえるでしょうか。これをわざわざラジオで50分かけて聞きたいとは僕は思いませんが。

【寄り添う人】
「都落ちしたエリートが霊柩車の運転手になり、様々な喪主に寄り添うことで少しずつ人間性を取り戻していく」と書かれた企画書の通りに、素直に脚本を書くとこうなるのだろうという印象の作品でした。
全体に説明っぽいセリフ、モノローグ、展開が少し気になりますが、大問題というほどではありません。
ただ、50分の中で4人もの喪主のエピソードを詰め込んでしまったのは、やはり構成ミスなのではないでしょうか。特に4つが有機的に作用しているわけでもありませんし。
僕の好きな手塚治虫作品に「ミッドナイト」というのがありまして、それは主人公の深夜タクシー運転手が毎回、乗せた客のエピソードに巻き込まれてしまうというお話でした。手塚作品らしく、主人公はしっかりと振り回されてラストシーンはいつも不思議な読後感を味わえたものです。
霊柩車にタクシーほどの自由度はないでしょうが、じっくりと斎場までの30分弱を、二つ描いても良かったのではないでしょうか。


今回も最終審査の席で取り沙汰されました、モノローグ多すぎ長すぎ問題。
年を追うごとに少しずつマシにはなっているのだ・・・と先輩審査員の山本氏はおっしゃってましたが。
モノローグを長く多く書いてしまう原因として、日本語に対するリズム感の問題もあると思います。
是非、書き上げた自作を最初から最後まで声に出して読んでください。
その半ページ以上ある長い長いモノローグ、ほんとに楽しく読めますか?
せっかく調子のいい掛け合いの会話をわざわざ止めてまでその心の声、必要ですか?
声に出して読むのが楽しくないところ、感情を乗せて読めないところは全部失敗です。削るか書き直すかすべきです。
声に出して読んで、全部楽しい!全部面白い!と思えたら、それは寝不足であなたの判断力が著しく低下しているか、ほんとに素晴らしい脚本が完成したかのどちらかです。
後者であることを信じて、今度は友人か親兄弟を捕まえて最初の10ページを読み聞かせてみてください。
気づくはずです。最初をモノローグから始めると、相手は面倒くさそうにしか聞いてくれないことに。聞き手が「えっ?」と食いついてくる部分は、すべてダイアローグだということに。
是非、客を引きつけるリズム感を身につけてください。
オカモト 國ヒコ
(おかもと くにひこ)
劇作家、演出家。大阪府生まれ。
劇団テノヒラサイズ主宰・作・演出。舞台脚本の他、NHK「FMシアター」「青春アドベンチャー」などラジオドラマの脚本、関西制作のTVドラマ脚本なども手がける。NHK連続テレビ小説「てっぱん」の脚本協力。FMシアター「薔薇のある家」では、平成22年度(第65回)文化庁芸術祭 優秀賞受賞。

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