2019年09月04日 (水)
ラグビー元日本代表 林 敏之さん
いよいよ2019ラグビーワールドカップ日本大会が始まります。オーストラリア、ニュージーランド、イングランド等の強豪国が参加するなか、着実に力をつけた日本代表チームへの期待も高まっています。林敏之さんは、第1回と第2回の大会に出場。第1回大会では、日本代表の主将を務めました。林さんにラグビーへの想いを伺いました。
林さんは、徳島県立城北高校、同志社大学を経て神戸製鋼でプレーしました。ポジションはロック。強烈なタックルや激しい突進は「壊し屋」という異名をとり、相手チームから恐れられました。神戸製鋼時代は、平尾誠二さんらとともに、日本選手権で7年連続日本一という偉業を成し遂げました。
ワールドカップ第1回大会が開かれたのは1987年。林さんが27歳の時です。初戦のアメリカ戦ではペナルティゴールがなかなか決まらず、18対21で惜敗。2戦目のイングランドは、相手が理屈抜きに強く、7対60で完敗します。主将としてどうチームを立て直したのでしょうか。このままでは恥ずかしくて日本に帰れない。メンバーに泣きながら訴えました。熱い想いが伝わりオーストラリア戦では、前半連続トライを上げるなどシーソーゲームに。後半は逆襲され23対42で負けはしましたが、納得のいく試合ができたそうです。
第2回大会は、林さんが31歳の時、チームの最年長でしたが「年齢に甘えるな、苦しさに勝てなくなったら引退」と自分を追い込んで臨みました。スコットランド、アイルランドに連敗しますが、最終戦のジンバブエに52対8で大勝、ワールドカップでの初勝利です。その夜は嬉しくて皆で飲み明かしたそうです。2つの大会を振り返って、勝利への執念やチーム作り、フィジカル面の強化など様々な課題を感じたそうですが、林さんたちの世代の経験が、今の日本代表の起点になっていると言います。
林さんは、36歳で現役を引退した後、日本代表のコーチを務めました。そして今、力を入れているのが、子供たちへのラグビーの普及です。NPOを立ち上げ、次世代の育成活動に携わっています。今年春には6か国が参加して「こどもラグビーワールドフェスティバル」を開催しました。ラグビーの魅力を伝え未来へのすそ野を広げることが、将来の日本のラグビーに何よりも欠かせないと感じているそうです。
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