高校野球

2019年08月22日 (木)

履正社・岡田監督 苦節32年で悲願の初優勝

 

持ち味の強力打線で悲願の初優勝を果たした履正社高校(大阪)。優勝の陰には岡田龍生監督の32年間の苦労がありました。

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【岡田監督の道のり】。

岡田監督が履正社の監督に就任したのは昭和62年。26歳のときでした。大学卒業後、高校の非常勤講師をしていたとき、履正社高校の理事長から声がかかり、監督を引き受けました。

当時、部員は野球経験の乏しい11人しかおらず、岡田監督は「『りしょうしゃ高校』と呼ばれたり、『何の会社ですか?』と聞かれたり、どこにも相手にしてもらえなかった」と笑います。

それでも、高校時代、東洋大姫路高校(兵庫)のキャプテンとしてセンバツでベスト4にも入った岡田監督の厳しい指導でチームは徐々に力をつけていきました。

監督就任から10年後の平成9年には夏の甲子園に初出場し、強豪校の仲間入りを果たしましたが
その後、大きな壁にぶつかります。

「選手を甲子園に連れて行きたい」という熱い思いが体罰につながり、平成14年、半年間の謹慎処分を受けたのです。

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ここから岡田監督は指導方法を一から見つめ直し、選手や保護者との対話を重視することにしました。毎年秋に選手全員、それに保護者と個別に面談を実施し、
学校やグラウンドでの様子を伝え、家庭を巻き込んでひとりひとりの課題や長所を一緒に考えていくようになりました。「寮がないため、選手は自宅通学をしている。その特徴を逆に生かそうと考えた。保護者にも食事や体のケアなどで協力が得られるようになり、選手の育成がうまくいくようになった」と岡田監督は話します。


【甲子園で勝つために】。
さらに岡田監督が最も大事にしたのが選手の自主性です。ことしのセンバツでは星稜の奥川恭伸投手の前に3安打、17三振で完封負け。好投手への対応力が課題になりました。


しかし、岡田監督は「自分自身で考えないと身につかない」と、あえて具体的なアドバイスはしませんでした。センバツでの敗戦後、選手は自分たちで話し合い、1打席目の結果を次の打席に生かすことを徹底したといいます。

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センバツの再戦となったきょうの決勝で岡田監督が育ててきた選手の自主性が実を結びました。

4番の井上広大選手は1回にスライダーに手が出ず、見逃し三振。続く3回の打席で、そのスライダーを狙っていました。

「奥川投手はアウトにした球種を次の打席の初球で投げる傾向があったので、前の打席で抑えられていたスライダーを狙った」と逆転のスリーランホームラン。チームも奥川投手から11安打で5点をあげて見事に攻略し、初優勝を成し遂げました。

岡田監督の32年間の苦労が報われた瞬間でした。

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閉会式のあと、岡田監督は「『まさか甲子園なんて』という状態からスタートして32年間は長かった。これで厳しく指導していた時代の選手たちにも恩返しができたと思う」とほっとした表情で話していました。

(甲子園取材班 今村亜由美記者)

 

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NHK甲子園 特設HP

 

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