歴史秘話ヒストリア

2019年01月23日 (水)

【井上あさひ】牧野富太郎 夢の植物図鑑

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植物の精 牧野富太郎

 今夜は「牧野富太郎」の秘話をお届けいたしました。1500種以上の新種に学名を与えた牧野は「牧野日本植物図鑑」という欧米の専門家をもうならせるような金字塔を打ち立てた、日本植物学の父と呼ばれる人です。

 牧野はみずからを「植物の精」と語っていたそうですが、人間の側から植物を観察していたのではなく、植物の側に立っていたのだと思うと、偉大なる業績についても“なるほど”と思えてしまいますよね。

 

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牧野の植物図鑑の魅力

 牧野は、「植物観察会」によって全国に植物ファンを育てます。そしてそのネットワークを使って、さらに日本の植物の実態を把握していく活動を展開しました。書簡のやりとりなどで牧野と接触した当時の植物ファンの中からは、後進となる植物学者が誕生しています。牧野の情熱と知識のほどが、植物を愛好する人々をどれほど魅了したことでしょうか。

 こうして日本全国の愛好家の熱い思いが託された「牧野日本植物図鑑」は、牧野という人物のあまりある魅力を凝縮したかのような一冊になりました。

 私も実際に図鑑を拝見させていただきましたが、植物だけにとどまらない鳥や昆虫などの深い知識がちりばめられていて、牧野の手によって編まれたこの一冊の背景にある「知」の深遠さをかいま見た気がしました。

 

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牧野を支えた妻

 牧野の偉業を語るからには、妻・壽衞(すえ)の支えのことを書かなければなりません。壽衞の働きがなければ、牧野の偉業もなしえなかったと思うからです。

 しかし、壽衞の献身はけっして苦行ではなく、その日々に悲壮感はなかったといいます。牧野に対して常に敬意を持ってさまざまな作業を引き受けていた壽衞は、牧野と同じように植物を愛おしく思っていたのではないでしょうか。

 再現ドラマにおける2人が亡くなるそれぞれのシーンが、まるで重なって見えたのは私だけではないと思います。植物への愛を共有した2人の“好きなコト”への真摯な向き合いかたに心打たれました。

 

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「植物の精」は“イモータル”

 牧野の生涯を追ってみて、根っこに“好き”があることが、これほど豊かな知識と魅力を生み出すことをあらためて知りました。損得勘定などは超越して、シンプルに好きであることが原動力になると、これほどまでにパワーが生まれるということに、人間の面白みを感じます。

 好きなコトをとことんまで追いかけ続ける。そんな牧野の青春は、まさに“イモータル(不滅)”です。

 「牧野日本植物図鑑」は“現役”の図鑑だといいます。牧野の偉業は、現在も、そして未来へも語り継がれ、好きなコトを追いかける人たちを励まし続けてくれるのではないでしょうか。


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■ コメント(6)
  • 八束 磨里

    2019年01月23日 23時32分

    こんばんは。秘話も去ることながら、素敵な映像も楽しませて頂きました。ムジナモの花に、ミジンコさんを食べちゃう瞬間……。あれを観察しながら細密画にして行った彼は、きっと楽しかったに違いありませんね。
    横倉山という、古代地層に根差した自然の宝庫から、土佐を廻る植物探索の旅が、更に日本国中の植物巡りになり、あの大図鑑ができたというのは、余りにドラマチック。しかも、そこには壽恵さんという、素晴らしい内助の功の奥さんがいて、日本国中の『教え子』がいたからでもあった……。だけど、それを得られたのは、やはり牧野先生の人柄そのものだったのかも知れませんね。
    植物の精……。それはつまり、植物にだって宿っている『命』を、みんなに示すメッセンジャーたる意、なのかしら? と思いつつ、『スエコザサ』で、大泣きしちゃいました、今回も……。

  • ぶるちゃん

    2019年01月23日 23時39分

    こんばんは。
    決してお金持ちでなかった、牧野富太郎とスエの家。それでも幸せを感じていたような、そんな気がしました。好きなことをやっていたからかな。
    スエの内助に牧野富太郎は助けられていました。借金取りとのやり取り、これ内助の功と簡単に言いますが、普通なら逃げ出したくなるところ。スエの度胸はスゴイですね(^^)何というか、才能ですよね。小さい頃のお店での経験が活きた!?のかもしれません。頼もしく、優しい妻ですね。
    好きなのことをひたすらにやっていくのも素敵な生き方のひとつだと感じました。自分も幸せを追い求めることをしてもいいよな!なんて考えが浮かんだ今日の放送でした。
    なかなかそこまで頭が回らなかったなぁ。反省です。

    それでは、また!!

  • まめちゃん

    2019年01月25日 00時49分

    牧野富太郎氏を取り上げて下さってありがとうございます。子どもの頃にこの方の本を読んで、植物が好きになりました。その頃の夢は植物学者でした。
    10歳の時、地元に牧野氏の弟子だった方が住んでいることを知り、手紙を出しました。当時、その方は80代。以来、亡くなるまでの10年、交流させていただきました。
    兄が亡くなったから実家を継げと命じられて、東京に家出して、強引に弟子になったそうです。牧野氏から学んだものは多く、帰郷後、彼は地元の農業の発展と、後継者育成、種子の保存、自然保護活動を続けていきました。活動は多くの人々に伝わっています。
    地元では牧野富太郎の名前を知っている人はいないでしょう。でも弟子を通して、恩恵を受けています。

  • ピピ

    2019年01月25日 19時25分

     牧野富太郎は、幼くして両親を亡くして寂しい思いをしたでしょうし、小学校になじめず中退してしまったようなので、富太郎にとって山や植物は親であり友達だったのでしょう。それにしても、16歳の時に描き写したという本草学の絵や、夏場に数時間しか咲かないムジナモの花の絵は、テレビで観ても尋常ではない迫力を感じます。
     そして、妻の壽衛の支えなしには富太郎の仕事は続けられなかったでしょう。借金で家財を差し押さえられたり、標本や蔵書を持って30回も引っ越したりと、よく付き合えたなと思います。やはり、夫の仕事の重要性を理解し、同じ志を持った同志だったのでしょう。壽衛が病に倒れ、自分の名を付けてもらったスエコザサを愛おしく見るシーンに、思わず泣いちゃいました。
     小山氏が小学生だった頃に富太郎から送ってもらった手紙にも、植物を愛する人と真剣に向き合うという人間性がよく伝わる物でした。尊敬と感謝という言葉からも分かるように、多くの人に尊敬されていたからこそ、一生懸命に協力くれてフローラが完成したのだなと思いました。
     それと、日本人にとって古くから山や森は修行の場であったり、氏神様が天から昇り降りする神聖な場所であって、簡単に入れない山も多くあったと聞いています。明治時代以降、外国人がハイキング気分で山に登ったり植物を調べたりすることが、その当時の日本人には屈辱的なことだったのではないかと思います。多くの人が協力したのは、日本人の誇りを保つためであり、その先導者が牧野富太郎だったのかなとも思いました。

  • 歴史の旅人

    2019年01月26日 11時11分

    再放送で拝見しましたです。。ブログにあさひさんが書かれてるように、妻すえの存在なくして、この偉業はなしえなかったでしょうね、すえが居たからこそ没頭できたから。。ネットワークで標本集めを呼掛け、それにこたえ標本を送った方々の中に、異才巨人の南方氏がいたんですね~、牧野氏の本は現在進行形なら南方氏の研究は、解析なかばの段階、二人に共通する点は研究に対する膨大なエネルギーと執着でしょうか。。

  • makowara2

    2019年01月31日 23時23分

    昔、子供の頃に伝記を読んでいたはずですが、すっかり忘れていました。名前以外は。社会人も長くなって好きなこと、意義あることでも追及し続けていくことの大変さを思うと、牧野さんの偉業には素直に頭が下がります。執筆始めてすでに老境。しかし、あくまで高い完成度を求めて研鑽を続けていく、その姿勢にはただ唸るのみです。しかし、夫としてはどうか、というと。今の時代ではまず、離婚ですね。奥様の献身、糟糠の妻とはこのような方をいうのでしょう。もちろん、ケチをつけるのは野暮です。辛さの中に楽しさを見つける逞しさや優しさ。それが原動力なのでしょう。あさひさんも奥様がいるといいですね(笑)