歴史秘話ヒストリア

2016年12月02日 (金)

今回のヒストリビア:「なまはげよりコワイ?子どもしつけ用の戦国武将ってダレ!?」

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最上義光像

 

 今回のヒストリビアは、番組でご紹介したかったけれども、放送時間の都合でできなかった、“こぼれ話”です。

 

 今回の取材の中で、山形に暮らす80代の男性から大変興味深いお話をうかがいました。

 

 男性は子どもの頃、夕暮れ過ぎまで外で遊んでいると、ご両親から『カゲカツ来っぞ!』と脅かされたそうです。ほかにも、言うことを聞かなかったり、駄々をこねたりした時も同じように『カゲカツ来っぞ!』と叱られたとか。

 

 おさなごころに『カゲカツ』というのは、子どもをさらって殺してしまう恐ろしい化け物だと感じていて、親から『カゲカツ来っぞ!』と言われると、すぐ言うことを聞いた、と男性は話してくれました。

 

 だいぶのち、大人になってから親が言っていた『カゲカツ』とは戦国武将の上杉景勝のことだと知ったそうです。

 

 慶長5(1600)年の9月、山形の最上義光は上杉軍の攻撃を受けました。その際、最上領内の多くの城や村が上杉軍によって荒廃しました。その恐怖の記憶が、“子どものしつけ”にかたちを変えて400年以上経た現在まで伝わっていたのです。まさに、暮らしに歴史が息づいている、です。

 

 ちなみに、番組でもお伝えしましたが、実際に軍勢を率いて山形を攻めたのは、上杉景勝ではなく、大河ドラマ「天地人」「真田丸」で有名な直江兼続でした。ですので『カネツグ来っぞ!』が実際に即していると思うのですが、お話を聞かせてくれた男性によると、やっぱり『カネツグではなく、カゲカツだった』そうです。当時の人々は、上杉軍と聞けば当主の上杉景勝をまっさきに想像したのでしょうか・・・。正しい理由は定かではありませんが、とても興味深いですね。

 

歴史秘話ヒストリア

http://www4.nhk.or.jp/historia/

■ コメント(12)
  • 最上派な私

    2016年12月03日 15時55分

    このトリビアおもしろいですね!
    井上さんの番組放送後の後日談も聞きたいです。

  • 匿名

    2016年12月09日 17時02分

    山形出身ですが知らないことばかりで、たいへん興味深く、本日の再放送を拝見しました。最上義光にあまり良いイメージがなく(すみません)、郷土史もなおざりにしていたことを後悔。今からでも自分で勉強してみたいと思いました。こちらのお話も、とても印象深いですね。小さな話に大きく心動かされる歴史秘話ヒストリア、これからも楽しみにしています。
    あさひさん、がんばってください♪

  • さなだ げんじろう

    2016年12月11日 12時48分

    15才のかわいい駒姫を処刑にした秀吉が許せません‼大坂の陣で豊臣家を守ろうとする、真田幸村も嫌いになりました。「真田丸」の残り2回は、徳川軍を応援します。
    義姫の2度目の手紙で伊達の援軍が来たシーンは、とても感動して泣きそうになりました。今回のヒストリアは、文句なしの傑作だったと思います。今後も期待しています!

  • makowara

    2016年12月12日 01時59分

    山形美人は何人か知ってるけど絶世の美女が嫁にもいかずに死んじゃうとは…もののあはれ、とはこのことですね。秋田美人は小野小町から有名ですが、水戸から国替えになって怒った佐竹が選りすぐりの美女100人を連れて行ったとか。傾城傾国の美、美女は命を削る鉋とか、女性も大変ですね。あさひさんもお幸せに。

  • リアリスト

    2016年12月13日 16時55分

    さなだ げんじろう様

    お気持ちはわかりますが、徳川家康も、大坂夏の陣のあと、8歳のかわいい国松丸を処刑していまいました。この国松丸は、秀頼が側室に産ませた子で、家康の曾孫ではありませんが、織田信秀の玄孫というのが皮肉です。
    信秀が6歳のかわいい竹千代を殺していたら、歴史はどうなっていたでしょうか。

    全ては、平清盛が平治の乱のあと、14歳のかわいい頼朝(といっても、参戦して人殺しも経験している)と2歳の赤ん坊だった義経を助命した結果のことを教訓としているようです。

  • リアリスト

    2016年12月13日 18時06分

    秀吉は、実の妹の「あさひ姫」を、夫と離縁させて、家康に嫁がせてしまった。そのあと、母親を人質に出すなど、人たらしで、戦わずして家康を丸め込んでしまった。

    あの時代の人間を、政略結婚など人質などと、苦労したことに感嘆はするが、現代人の視点で一方的に解釈してはいけない。

    家康は、最初の正室である築山殿と長男の信康を、信長の命令で殺したと言われているが、この話、どこまで本当か?
    信長の立場で考えてみると、この時期、家康を敵に回して武田勝頼に寝返られては厄介だ。そもそも、家臣でない家康に対して、そんな命令を出すか?
    信康については、徳川家のお家騒動で、処分することにしたが、信長の婿でもあるため、一応、家康が信長に伺いを立てたらしい。
    築山殿については、家康の家臣である野中重政が暗殺したが、自身でやったのか、家康の命令でやったのかは定かではないが、信長は全く関与していない。
    その他、築山殿の嫁いびりとか、信康のDVに耐えかねた信長の娘が、父に訴えたとかいろいろ言われているが、それだけのことで、同盟を組んでいる家康の面目をつぶすとは、信長でもというか、信長だからこそやらない。
    信長を、昭和の日本軍の参謀本部の連中や、現代日本のパワハラ野郎と同一視してはならない。

    現代日本人の皆さんも、ブラック企業にこき使われて、鬱病になったり、自殺に追い込まれたりせずに、戦国時代の人間のように、逞しく生きよう!

  • リアリスト

    2016年12月13日 18時13分

    この手の話は、世界のどこにでもある。

    三国時代の呉では、「張遼(魏の武将)が来る」と言うと、子どもも泣き止んだ。
    十字軍時代のアラブ世界では、「リチャード(1世。獅子心王)が来るよ」と、子どもを寝かしつけるときに、母親が言ったらしい。
    ナポレオン時代のイギリスでは、子どもがいたずらすると、「ボナパルトが来て、さらっていくよ」と脅したそうだ。

    現代では、誰が相当するだろうか?

  • さなだ げんじろう

    2016年12月14日 14時32分

    リアリスト様
    家康は国松を処刑しましたが、国松の妹は、出家することを条件に助命され、秀頼の側室も処刑されていません。敗者の一族でも、女性の命は助けるのがこの時代のルールだったと思います。
    対して秀吉は、秀次の妻子と側室30数名を処刑しました。
    リアリストさんは、豊臣と徳川のどちらを支持しますか?

  • リアリスト

    2016年12月14日 20時34分

    さなだ げんじろう様

    お返事ありがとうございます。
    歴史に対するロマンを覆すようで、申し訳ありませんが、この時代、人質として預けられていた女性が処刑されたなどという例はいくらでもあります。
    殺されなくても、本人の意思に反して、むりやり側室にさせられたケースもあります。
    そもそも、戦争をするということは、戦場で、戦闘能力を有した敵の将兵と殺しあうだけでなく、女性や子どもも巻き沿いにしかねない行為です。
    家康は、大坂城の天守閣に砲弾を撃ち込み、淀殿の侍女が犠牲になりました。それ以前に、自分の孫娘が嫁いでいる城に攻め込むことは、(結果的に千姫は救出されましたが)それなりの犠牲も承知の上でのことだったと思います。

    秀吉も家康も権力者です。命令一つで、自分の気に喰わない人間を消せる立場にあります。今でも、そういう権力者の支配下に置かれている国民はいます。

    今の日本でも、いじめによる自殺やブラック企業での過労自殺など、本来なら死ななくてもいい人間が、毎日のように大勢、命を絶っています。
    駒姫のような存在は、戦争のないはずの現代日本でも、そのような犠牲者を出さないための、貴重な教訓とは考えられませんか?

    豊臣と徳川のどちらかを支持するかですが、秀吉も信長と同様、本人の死後、家が続かなかったのに対し、徳川家は足利家と同じく15代続いたことを考えると、家康の手腕は見事かと・・・。
    ただ、私があのときの真田信繁(幸村)の立場だと、九度山で流人生活を送るくらいなら、大坂に参戦するほうを選びます。さもなくば、兄の口添えで待遇が良くなったとしても、「親父の七光り」で終わってしまいますからね。

  • リアリスト

    2016年12月14日 21時45分

    さなだ げんじろう様
    ところで、一般に真田幸村として知られている人物は、諱(本名)は信繁、通称は源次郎、官職は左衛門佐であることは、あなた様も御存知だと思います。武士は生きているとき、本人に面と向かって諱で呼ぶのは失礼なので、通称や官職名で呼ばれていたわけですが、本人が公式文書に署名したり、戦場で名乗りをあげるときには、堂々と諱を名乗っていました。
    それに対して、現代の日本人はどうでしょう。職場でもプライヴェートでも、「沢田」とか「中村」などと、姓のみの存在として扱われ、名前で呼んでくれるのは両親だけ、なんてことになってはいませんか?
    あなた様のコメントにある、「豊臣」とか「徳川」というのは、家(一族)を意味し、個人をさす場合は、「秀吉」とか「家康」となりますよね。
    大河ドラマと現代日本を舞台にしたドラマを見比べて、私はいつも、現代日本人はどんなにがんばっても、没個性の存在であり、考えようによっては江戸時代の百姓以下の存在ではないかと、いつも思っています。
    私の本名も、武士の諱みたいな名前なので、誇りに思っていますが、ファーストネームで呼んでくれるのは外国人だけです。外国人に対しては、「俺の名前はサムライの名だ」と堂々と言っていますが。

  • さなだ げんじろう

    2016年12月15日 14時58分

    リアリスト様
    続けて質問します。
    大坂夏の陣の直前に、幸村は家康から、寝返れば信濃40万石の大名にする、という誘いを受けます。リアリストさんが幸村だったら、この誘いを受けますか?ぜひお答え下さい!

  • リアリスト

    2016年12月15日 23時43分

    さなだ げんじろう様
    以下の二つの理由で拒否します。
    一つは、当時の信繁(幸村)の立場になって考えると、家康は、この時点では大坂城を落とすことが第一目的なので、信繁を甘い条件で誘うでしょうが、その後、信濃40万石に封じられたとはいえ、些細なことに言いがかりをつけられて、改易されることもあり得るからです。福島正則が好例です。 
    もう一つは、400年後の現代から当時を振り返って見て、江戸時代はその後、2世紀にも渡って太平の世が続くわけですが、信繁のような人物だと、退屈で、自分の才能を活かす機会に恵まれないからです。
    ただ、信繁には、九度山で流人生活を送る、脱出して豊臣方に参戦する、家康の条件に応じて信濃40万石の大名になるという、三つの選択肢がありました。その点が、日本という国家への忠誠を無条件で強制されるという旧日本軍の軍人(そして自衛官)とは立場が異なります。
    我々現代日本人にも、一度しかない人生を、姓のみで呼ばれる現代日本で没個性のキャラに徹するか、海外に雄飛して周囲の人からファーストネームで呼ばれる存在になるか、選択肢があるわけです。
    歴史上の人物の生き方を知ることは、戦争はないもののストレス社会の現代日本で生まれた我々にも、人生のヒントを与えてくれます。