歴史秘話ヒストリア

2016年11月04日 (金)

今回のヒストリビア:「世界一周なおなお書き(前編) 一周ぐるりアレやコレや」 

 一度も海外旅行をしたことのない女性2人が、いきなり世界一周!しかも、そのうち1人は出発の日のお昼まえまで全然そのつもりじゃなかった、という恐るべきこのレース旅はこのあとどうなるのか。勝負の行方が気になるところですが、放送本編の物語もそれこそ道なかば。今回のヒストリビアは、ネタバレにならないよう注意しつつ「世界一周」をぐるりめぐるアレやコレやを…。

■同時並行!世界一周

 ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』はフランスの日刊の新聞「ル・タン」で1872年11月6日~12月22日まで連載されたものが世に出た最初です。実は、連載開始の少し前 9月6日、トマス・クックというイギリス人が添乗員となって本当に世界一周するツアーの一行が出発しています。参加客8名、イギリス・リバプールから蒸気船「オセアニック」号(下記「■蒸気船で~」の項参照)に乗ってスタートしました。その3年ほど前にスエズ運河と米大陸横断鉄道が開通。“世界一周”が先の見えない危険な冒険ではなく、予定が組める楽しみとしての“旅行”にできるメドが立ち、現代の旅行代理店の祖といわれるクックがさっそくツアー企画にしたわけです。

 一行は「西回り」で、アメリカのナイアガラの滝や西部の景観に感嘆、日本は横浜~長崎を瀬戸内海を行きつつ堪能、インドでは鉄道車両を1両貸し切ってツアー主体で自由に移動しつつ横断。エジプトからイギリスに帰るまではもうよくある旅行コースだからと添乗員のクックさんは離脱(!)。クックの名誉のために言っておくとサボったのではなく他の多忙なツアーを手伝ったり、あらたな企画のためトルコやヨーロッパ各地を見て回ったりしてロンドンに戻りました。

 イギリスの新聞やクックの会社「トマス・クック&サン」(現在もこの流れをくんだ旅行会社があります)の広報誌などで、このツアーの旅行記事が何かと掲載されたので『八十日間世界一周』とあわせて世間では盛り上がったそうです。アメリカからヨーロッパに着いた船客の多くが、すぐに架空と実際2つの世界一周の現在状況を知りたがったとか。

 ちなみに、実際の世界一周でクックがイギリスに帰ったのは翌1873年5月6日。結果“二百二十二日間”世界一周でした。

 

■蒸気船でもっと遠く、というよりもっと速く!

 番組中でもふれたとおり当時、19世紀末も近いその頃は“蒸気機関の時代”。それまで馬か風頼みの帆船くらいしか高速化の手段が無かった陸海の交通手段は、急速にスピードアップしていきます。特に蒸気機関を搭載した船―蒸気船は船会社同士の速度競争となり、ネリー・ブライとエリザベス・ビズラントの勝負も、その旅の多くを過ごす蒸気船の速さが戦いの決め手でした。最初にネリーが大西洋を渡るべく乗船した「アウグスタ・ヴィクトリア」号も“greyhounds of the ocean(海の猟犬たち)”といわれた高速客船群の中でもとびぬけて速く、ネリーが乗る半年前に7日と12時間30分で大西洋を横断した際には到着したニューヨークで3万もの群衆から歓呼の声で迎えられたとか。蒸気エンジンとスクリューを2つずつ備えた当時の最新型で、のちにロシア帝国が買い取りバルチック艦隊の1隻として日本近海にもやってきました(オトリとして途中から太平洋方面に向かったため運命の日本海海戦には参加せず)。

 そして大平洋では「オセアニック」号。海運会社ホワイト・スター・ライン最初の客船です(同社はのちに、悲劇の「タイタニック」号を世に送り出します)。なんと、エリザベスが往路、ネリーが復路で二人ともこの船を利用しました。その船体は全長と幅の比率が10:1、当時は8:1くらいがふつうでしたのでつまりきわめてスマート。優美な帆柱も備え「客船というより王室のヨット」「航海する宮殿」と評された美しさでした。ボタンひとつでボーイが呼べて、特に船室とお手洗いが近いこともエリザベスにはうれしかったようです(笑)。で、洗練されているとスピードも出る!大平洋横断13日と14時間という最速記録を有し、エリザベスの横浜への航海でも大平洋を16日で航走、快速船としての評判を保ちました。では、ネリーの時は…おっと、これは次のヒストリアでご説明させていただくようです。詳細はみなさんの目でお確かめ下さい。

 とにかくスピード大好きなこの時代。航行の新記録が出ると新聞に掲載され、当時の乗客はレコードホルダーの客船に乗りたがり、乗るとより短い時間での到着を望みました。では、どうやって蒸気船はスピードを上げるのか。それはすなわち、機関室のボイラーを増やし石炭をくべる“火夫(かふ)”により多くの石炭を、休憩を減らして入れ続けさせることに直結します。空気の流れない暗い機関室で50~70度という暑さの中、立ちこめる炭塵とヤケドに苦しみながら何時間も働かされた火夫たち。航海中に倒れるのは一度や二度でなく「火夫病」とよばれた肺や呼吸器の病にかかり、仕事に就いて2年ほどで亡くなることも珍しくありませんでした。精神が錯乱して海に飛び込んでしまった火夫もいたそうです。文明の光あるところ、必ず闇のあったことも忘れてはならないと思います。

 

■世界一周はどこまで早くなった?

 ネリーとエリザベスは、当時驚異的だった世界一周80日という早さに挑戦しています。現代の私たちだとどれくらいで世界を回れるのでしょうか?まず、徒歩1秒で回れる手段があります。北極点あるいは南極点(地球の最上・下?の地点)に行って、ぐるっと回るコトです。人類が初めて極点に到達できたのは南極点でも2人の競争から20年ほどあとのこと。現代にいたる人類の進歩によってなしえた最速の世界一周法!…え、反則ですか?それを一周とは言わない?…筆者“001”もそう思います。

 彼女たちのように既存の交通機関の定期運行を利用しての世界一周となると、私たちにはなんといっても“飛行機”があります。ズバリ「世界一周航空券」も発売されています。旅行マニアの方々の世界中の各種運行表、時刻表を徹底的に調べたシミュレーションだと43時間!ただしこれは机上の計算ですので、実際にやるとなると数日はかかってしまうようです。

 運行時間とかカンケーなし!自家用機でやってしまえ!となると、所有のビジネスジェットで挑戦した人がいて、2010年にスイス・ジュネーブ空港を出発して57時間54分で帰ってきました。これが今のところ世界一周最速飛行とされています。

 ここで、アレ?ヒコーキってもっと速いのなかったっけ?戦闘機なんかでマッハとか出るヤツあるじゃん?と思ってるあなた。そのとおり。速さでいえば、先述のビジネスジェットは平均時速600㎞ちょっとというスピードでしたが、超音速機の音速(マッハ1)だとこの倍近くに達します。現在最も速いとされている有人航空機「X-15」はマッハ7近くをたたき出していますので、5時間ほどで地球・赤道上を一周できる計算になります。なるんですが、飛行機は燃料が切れると飛べません。記録を出したビジネスジェットは途中飛行場に降りて給油しています。くだんのX―15が補給ナシで飛んでいられる距離はたったの450㎞、赤道距離の100分の1程度。ジェットではなくロケット機で自力で離陸できず、ニュースなんかで見る空中での給油もできませんので、速さはともかく息が続かずムリ!となりそうです。ちなみに現在、最新最強といわれるF-22戦闘機はマッハ1ほどでずーっと飛行可能、空中給油もバッチリなので、やろうと思えば40時間前後で新記録を出せるかも。運用するアメリカ軍がその気になればですが…。

 あっ!そんなのとはケタ違いに早く世界一周できる空飛ぶ有人機がありました。空といっても宇宙ですが。国際宇宙ステーション(ISS)は地球を一周するのに要する時間がおよそ90分。時速およそ2万7000㎞!突然世界一周を命じられたエリザベスが旅支度にゆるされた時間、5時間で世界三周はできるスピードです。ヴェルヌ先生―!我々はここまで進歩しましたよー!

 

 実は私001、初めて見た映画が「東映まんがまつり」でそこで上映されたのがアニメ『長靴をはいた猫 80日間世界一周』。子どもゆえのかなしさ、ヴェルヌの原作もペローの長靴をはいた猫オリジナル話も知らず『八十日間世界一周』は長靴ネコの冒険物語だとずっと思ってた、というのはココだけの話です。そんなこたぁおいといて世紀の世界一周レース!次回のヒストリアで決着です!!そして、このヒストリビア「世界一周なおなお書き」も決着です!!(何が?)

歴史秘話ヒストリア

「挑戦!80日間世界一周」

http://www4.nhk.or.jp/historia/