歴史秘話ヒストリア

2016年09月13日 (火)

今回のヒストリビア:「金が大好き!豊臣秀吉①」

 すこし公開が遅くなりましたが、「金が大好き」な豊臣秀吉公についてのお話しです。この「金」は、お“カネ”ではありません。キンキラキンの“キン”、ゴールド、元素記号Auの方です。

 

 番組をご覧のようにおカネの名人だった秀吉ですが、戦国時代に興味ある人は、そのハデなよろいや“金のヒョウタン”、黄金の茶室、絢爛豪華な大坂城などから、秀吉の黄金イメージって強くありませんか?

 

 日本史の教科書でも“秀吉の黄金”アイテム出てきます。今回の番組冒頭にも出てきた「天正大判」です。むかしばなしでおなじみ、「大判小判がザ~クザク~!」の大判、日本で初めて本格的につくらせたのは秀吉でした。番組の大判は特に「長(なが)大判」と呼ばれ、タテの長さおよそ17センチ、重さ165.4グラム、純度70~74%(18金くらい)。現存する金貨としては世界最大とか。ちなみに、小判の方も、実物は残っていませんが、大判と同時期に秀吉が鋳造させたという史料があるそうです。

 

 金の大判小判の生みの親、かもしれない秀吉ですが、関白殿下はあくまでつくらせたヒト。つくった人が別にいます。代々「後藤四郎兵衛(ごとう しろべえ)」をなのる金工職人とその徒弟たちです。この四郎兵衛家、初代は罪を得て投獄されながら、その彫りの技があまりにみごとなことから一転 足利将軍家お抱えになったとも伝えられるスゴ腕の家。ただし、もっぱらつくっていたのは刀剣の装飾具でした。時の後水尾天皇や織田信長にも賞されましたが、秀吉の時は5代目 徳乗(とくじょう)さんが当主のころ。後藤徳乗は秀吉に「判金改・分銅役」を命じられ、刀の飾り製作からまるで違う貨幣鋳造にあたることになります。天正大判をよく見ると上下左右に小さく“丸でかこんだ桐”のマークが刻まれていますが、これは秀吉の家紋、ではなく徳乗がつくったことを示す極印だそうです(後藤系のほかの人の印では“菱の中に桐”なども)。銀山開発でも番組登場のプロ山師 原丹波・淡路の登用で成功した秀吉でしたが、大判づくりでも屈指のプロを使い、最高のモノをつくらせていたことがうかがえます。

 

 ちなみに、山師の原父子のその後はようとしてわかりませんが、徳乗はたどることができます。豊臣家から「永代不易(永久に変わらない)」として250石の禄と京都に土地を賜り、けれどもそれで豊臣シンパとみなされたか、関ヶ原合戦で徳川家の天下となるやいったん落ち目に。しかし息子と共に徳川将軍お抱えとして復活。その一族は代々、幕末にいたるまで大判小判鋳造を担い続けました。

 

 大判(そして小判も当初は)、金貨・貨幣ではありますが、今のお金のように売り買いに用いるわけではありません。番組でも少し触れましたが、使い道はもっぱら“贈答品”。家臣・大名や朝廷の貴族などに、秀吉は自家製金貨を贈りまくりました。天正17(1589)年にも貴顕およそ300人に大判5000枚を無料?配布する、その名もそのまんま「金賦り」―かねくばり、という催しをおこなっています。その上で数々の大事業を実施、豪壮な城をいくつも築き、朝鮮出兵まで…。秀吉が亡くなっても、豊臣家は各種造営事業を再開、大坂の陣の戦費も独力でねん出できたのですから、一説に200兆円という秀吉の金(きん)と金(かね)の力には、あらためて驚きを禁じえません。

 

 ちょっと、金の“大判”にかたよってしまいました。秀吉と金(きん)のハナシ、まだまだございますが、それはまた次の秀吉公ヒストリアの講釈で。(芥川隆行(先生)風)

 

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■ コメント(1)
  • なんばりん

    2016年09月15日 07時49分

    とても楽しく拝見しました。簡単には銀は手に入らないんですね。複雑な精錬過程があったとは…
    ケンコバさんの秀吉役にはちょっと笑ってしまいました。
    ところで、再放送はいつのなるのでしょうか?ぜひ録音したいと願っています。