2015年。戦後70年の節目の年。
NHK沖縄放送局では、沖縄戦を語り継ぐ取り組みとして戦後70年のテーマソングを
Kiroroと仲宗根泉さん(HY)の3人にお願いしました。
ユニット名は「さんご」― 育児中の母親である3人の共通点である「産後」と沖縄の美しい「珊瑚」から名づけられました。
いのちの大切さを歌い、たくさんの思いを紡いでできたテーマソング「いのちのリレー」。
編曲・プロデュースは、J-POP界のヒットメーカー亀田誠治さん。
子どもたちの平和な未来を願い、ドラマチックにアレンジしていただきました。
“悲惨な戦争を必死で生き抜いて、いのちをつないでくれた先人たちがいたからこそ、今の私たちがいる。
戦争に限らず、災害、テロ、犯罪 やいじめ、自殺など悲惨な出来事がある現代にあっても、いのちの重みを胸に子どもたちにもたくましく元気に生きていってほしい。
いのちを大切にして次の世代にリレーしていこう”
というメッセージが込められています。

Kiroro
金城綾乃さん自分たちがイメージした通りの曲になり、うれしいです。亀田誠治さんのアレンジ、そして子どもたちのコーラスも入って、本当に歌に命が吹き込まれた感じです。多くの方に聴いていただきたいです。
Kiroro
玉城千春さん沖縄のお母さん代表という気持ちで心を込めて曲を作りました。皆さんが平和について考えるきっかけになるような一曲になってほしいです。みんな笑顔で、愛に満たされ、平和であることを願っています。
HY
仲宗根泉さん命の大切さ、今ある命が当たり前ではなく、戦争を生き抜いた方々からの“いのちのリレー”があったからこそ、私たちがいるという思いで歌を作りました。Kiroroのお二人には、姉妹のように仲良く接していただき、感謝しています。
亀田誠治さん
地方発の思いが込められた企画、平和を願う曲作りに参加できて、本当に光栄です。未来に伝えたいすごく大切な曲です。三人の息もぴったりでした。この歌を多くの人に聴いてほしいです。











- Kiroro玉城さんと仲宗根さんの出会いについて。
仲宗根さん「3人で歌を作ることになったきっかけは3年前のことです。当時、出産を終えたばかりで、歌手活動に不安を感じていました。母であるのが一番なのか、でも仕事をしているHYの仲宗根泉が一番なのか…。わからない状況。番組の企画で、先輩のKiroroの玉城千春さんとお会いさせていただきました。」
玉城さん「対談のときに、泉さんの率直な気持ちをうかがいました。母親の形もいろいろです。自分なりの、母親でいいと思うんです。大事なところをしっかり持っていければ、歌手として歌うことも良いのじゃないかと。そのとき、自分のなかに、歌いたい気持ちがあれば。」
仲宗根さん「私はもともと、Kiroroさんに憧れていました。小学校の時にはじめてCDを買って。同じような仕事をするようになっても、お会いできなかったので、対談の機会を得たときは、わくわくしました。千春さんのアドバイスに感謝しました。いつかKiroroさんと一緒に曲をつくりたいと思っていました。」
- ユニット「さんご」について
-
金城さん「それぞれに候補があったんです。」
仲宗根さん「Kiroroの「きろ」と泉(いずみ)の「み」で「きろみ」を提案しました(笑。)
金城さん「私は「じゅごん」を提案しました。平和の象徴になるかなって思っていたんですけど、泉さんが「私のことでしょう」といったので…(笑)。」
玉城さん「沖縄を象徴するのは珊瑚かなと思って「さんご」は?って。」
金城さん「そう。沖縄の美しい海の「珊瑚」と私たちの母親として子どもを育ててきたという「産後」をかけて、これに決まりました。」
- 戦後70年テーマソングについて
-
仲宗根さん「自分が思っているイメージとしては、あんまり戦争はいれたくないってい うのがあった。戦後70年というのは企画の中に入っているのですけど、社会的な歌みたいなのはあんまり嫌だなと思っていました。それよりも「未来へ」とか、 そういうメッセージを子どもたちへ伝えたいという思いが強かったです」
玉城さん「戦後70年というテーマをいただいて、いままで自分のなかで、戦争について書いたことが無かったし、向き合わないと書けないという思いがありました。掘り下げて行くことから。戦争とかに、母親として、向き合うのが、私は大変でした。」
金城さん「3人で集まっては、どうやったら伝わるか、戦争のことばかり語っても、私たちは戦争を経験してないし…。それが伝わるのかって。自問自答でした。とにかく、いのちの尊さを伝えたい。子どもたちに対する思い入れが何よりも強かったです。」
- 戦争に向き合うことの辛さ
-
玉城さん「戦争を体験していない自分たち。当時の写真をみるとモノクロで色がついていないんですよ。でも実際にあったのは凄惨な色の世界ですよね。母親になった人も子育てをしながら、戦争を乗り越えていったのかなって思うと、考えすぎて苦しかったです」
金城さん「戦争の現実をどこまで深く切り込んでいくかというのがずっと心にありました。子どもたちに怖いイメージをあたえてしまわないか。でもちゃんと伝えないといけないという狭間で悩みました」
仲宗根さん「私たちHYが地元うるま市で昨年11月開催した「スカイフェス」で、私たちが命の尊さについて書いた歌を子どもたちが歌ってくれることになったんです。歌う前に歌の意味を伝えようと、子どもたちに会いにいきました。そのときに子どもたちが作文を書いてくれたんです。私たちが戦争の現実を描くと惨たらしいとか、痛々しくなると心配していたことが、子どもたちはしっかりと受け止めていたことがわかりました。恐れることはないんだと思ったときに、曲がぶわーっと湧いてきたんです。」
- 曲作りへの思い
-
玉城さん「曲をつくりながら、感動している自分がいました。レコーディングも、子どもたちとの合唱も。」
金城さん「タイトルにもすごく悩みました。だからこそ、たくさんの思いがつまっています。」
仲宗根さん「自分たちが歌えているのは、命があるからだし、戦渦が激しかったあの時代に「生きる」ことを選ぶことのほうが、大変だったと思うんです。しかも生きることが大変な時代に、新しい命を産み育んでいるとおもうと「いのちのリレー」を感じずにはいられないのです」
- こどもたちの歌声
-
玉城さん「小学校では子供たちがエイサーを踊って歓迎してくださり、感激で胸がいっぱいでした」
仲宗根さん「録音のときにも先生たちは「もっと声だして!」と激励していましたが、わたしたちは「大丈夫、大丈夫~」と微笑みながら声をかけるという、いい役をさせてもらいました(笑)。」
玉城さん「録音をしている音楽室の外でも、見学をしていた皆さんが一緒に手をつないで歌っていらっしゃる姿がありました。それは、皆が一体となった感じがして、とても素敵でした。」
金城さん「これがつながりとなっている。「いのちのリレー」がスタートした!って。感動で涙が止まらなかったです。」
仲宗根さん「大人がつくった歌に、子どもたちの声がはいった。こんなにも多くの人が関わっていただけたことに、今までのことを思い出して、心にぐっとくるものがありました」
- 音色にのせた思い
金城さん「戦争を生き抜いてきた方々の壮絶な思い。すこしでもわかろうと思いをよせ、ピアノの音色をのせました。そして、ふたりの声をささえられるような音がだせれば…。」
玉城さん「これまでいろんな歴史がありましたけど、忘れないよという気持ちで歌っています。そして、未来に受け継いでいく、悲しい出来事も、いろんな思いもすべて受け継いでいけたらいいなと思っています。歌うことでひとつの気持ちになれることが平和なのかなって。」
仲宗根さん「今までは、あの人に届けという熱い思いで歌っていました。この歌は色のない世界で、色のないあなたのこころがあるとしたら、私たちが色をつけてあげたいという気持ちで歌っています」
- いのちのリレーに託したメッセージ
-
仲宗根さん「今日が、当たり前の今日ではないというのを常に心に思いながら、自分たちもリレーしている。そういう気持ちでありたいと思います」
金城さん「明日がくることが楽しみになるように。この曲もみなさんの気持ちによりそっていければと思います」
玉城さん「みんなで前をむいて歩いていこうねという気持ちで、これからも歌っていきたいです」
- 楽曲のアレンジについて
-
亀田さん「こどもたちの言葉からうまれた歌詞。その言葉をどう届けるか。沢山の人の思いを、多くの人に届けたいと思いました。沖縄にくると美しい空と海に包まれた気持ちになるんですが、歌詞には「赤い海、黒い空」とありました。歌にも、それぞれの色彩をつけていけるように楽器をアレンジしました。」
Q:タイトルについて
亀田さん「さんごのつくった歌詞にも「いのちのリレー」という言葉がでてきていました。この言葉は絶対残したほうがいいと思いました。普段口に出していうのが難しかったり、照れくさかったりする言葉こそ、「歌」にすれば簡単に伝えられるんですよ。」
Q:いのちのリレーに託したメッセージ
亀田さん「自分もこの曲にかかわることによって、何かリレーしていけるのじゃないかと直感的に感じました。未来にむけて大切な願いがリレーされていくために、今こそ、音楽の出番だと思います。」