西表島 座礁船安東丸への爆撃 【村山信安】

昭和20年6月ごろ、村山さんが避難した西表島の祖納で、山の木の上から見た安東丸が米軍機に爆撃される様子。 村山さんが生まれた西表島の船浮は天然の良港で、昭和16年8月から軍事要塞化の工事が始まり、昭和19年11月には、軍から島の住民(6年生以下の子どもたちと女性)のすべてに避難命令が出された。当時10歳だった村山さんは父と姉と3人で近くの集落へ疎開。祖納の山の上からは白浜港に座礁していた貨物船安東丸に毎日のように米軍機が爆弾を落としに来ているのが見えた。この船には朝鮮半島の人たちが乗船し攻撃を受けた時は船を降りていたが、日本軍に重労働を課され大勢がマラリアや栄養失調で死んだといわれている。戦後、船浮に戻った村山さんは攻撃によって地形までもが変わってしまった故郷の姿に驚いた。「人間の殺し合いだけでなく、自然さえも破壊する戦争は二度と起こして欲しくない」。村山さんは心からそう願っている。