NHK沖縄放送局では、もう二度と戦争を繰り返すことがないよう、
沖縄が体験した悲惨な沖縄戦の真実を語り継いでいくために様々な企画に取り組みました。

沖縄の戦70年語り継ぐ未来へ

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沖縄戦の絵

家族の悲劇 【豊永スミ子】

豊永さんは、父、母、妹、弟とともに、西原町から沖縄本島南部へ避難した。砲火をくぐり抜け、やっとの思いで糸満市真栄平までたどり着いた時、1発の砲弾が近くでさく裂。弟は頭に破片を受け即死。父も腹部に破片が刺さり、お腹を押さえて倒れこんだ。母もけがをしたが、幼い弟を抱き上げ「アイエナー、チャースガヤー(どうしよう)」と言って泣きながら取り乱していた。弟のそばには妹が駆け寄り泣きじゃくった。豊永さん自身も破片を受け右腕が腫れて感覚が無くなっていたが、苦しむ父にしがみつき「お父ー死なんけー」と呼び続けた。父と弟を何とか近くの家に移し寝かせたが、2人は間もなく息を引き取った。父は死に際に「私に構わず早く逃げなさい。娘たちを頼む」と母に言い残し、母子3人は後ろ髪を引かれながらその場を後にした。3人はその後、糸満市の喜屋武岬付近で米軍の捕虜となった。父と弟が亡くなったのは昭和20年6月22日、日本軍の組織的な戦闘が終わる前日のことであった。 豊永さん『父と弟があと1日さえ生き延びられたら命は助かっていたのに、とても残念でならない』

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