日本兵に壕に入るのを拒まれる 【新里浩】

那覇市首里赤田町に住んでいた新里さんは、昭和20年3月末ごろ、空襲が激しくなってきたため、沖縄本島南部へ避難した。絵にはさまざまな場面が描かれている。上空を米軍機が旋回すると必ず、沖合の軍艦から砲弾が雨のように降り注いだ。新里さんたちは遺体の間を縫うように逃げ惑った。命からがらたどりついた壕。中に入れてほしいと父親は懇願したが、日本兵が刀を振り上げた。「出て行かなければ殺す」。家族は再び、砲弾の雨の中に放り出された。身を隠す場所を失った新里さん家族。母親が砲弾の破片の直撃を受けて亡くなった。新里さん『あの当時住民は米兵とも戦い、友軍(日本軍)ともトラブルがあった。極限状態の中では、誰もが理性を失ってしまう』