飢餓 【新垣ミツエ】

新垣さんは、那覇市から名護市の山中に疎開し、2か月半にわたって家族や親せき14人と避難生活を送った。最もつらかったのは深刻な食糧不足だった。食事は1日2回。手のひら1杯の米に少量の芋と野草を混ぜた水のようなかゆ4 4 を14人で分けた。炊事も命がけで、かゆを炊く煙を扇いで散らして、敵に見つからないようにした。カタツムリやカエルを捕って食糧にした。カエルはおいしかったが、カタツムリはぬるぬるとしておいしくなかったという。
新垣さん自身はやせ細り、食べたくても食事がのどを通らず、生死の境をさまよった。母親が焼いてくれた芋を食べて命を長らえることができたという。