小畠優花です。「読むもぎたて!」
ラジオを聞き逃したあなたにも、知ってほしい・・・
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6月30日(水)のラジオdeもぎたて!はこの方をスタジオにお招きしました。

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デザイナーの栃原悠希さんです。
栃原さんは大阪府出身。13年前にオーストラリアに渡り、結婚。
7歳の男の子と4歳の女の子のお母さんでもあります。
現在は、岡山県吉備中央町に移り住み、あることに取り組んでいます。

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それが、この『母乳ジュエリー』
その名の通り"母乳"で出来ています。
母乳を特別な機械で粉末状にして、樹脂と一緒に混ぜ、紫外線を当てて作ります。
実は、母乳は人によって色が違います。
真っ白、クリーム色・・・世界でたったひとつのジュエリーなのです。

―――母乳ジュエリーという言葉自体初めて聞きましたが、
オーストラリアでは、一般的なものなんですか?

日本では、へその緒を残すのが一般的ですよね。
でも、海外では、10年ほど前から母乳でジュエリーを作ってお母さんが身につけたり大きくなった子どもに贈ることが文化になりつつあります。

―――栃原さんが母乳ジュエリーを知ったきっかけは何ですか?

6年前オーストラリアで結婚して、長男を出産しました。
その時にできた外国人の"ママ友"に教えてもらったのがきっかけです。
初めて見た母乳ジュエリーがあまりにも美しくて、当時授乳中だった私も、どうしても自分の手で作りたいと思ったんです。
それがきっかけで母乳ジュエリーの専門学校に通い、卒業しました。

―――栃原さん自身、母乳ジュエリーを作ろうとした理由は何ですか?

第二子を望んだ時に長男の断乳を決意しました。
親の都合で息子から大好きなお乳を取り上げる、という選択は心苦しいものです。
だからこそ、私と息子をつないでくれていた母乳を"ジュエリー"という形にして残したいと考えました。

―――母乳ジュエリーづくりを"仕事"にしたのはどうしてですか?

母親にとって赤ちゃんにお乳を与えるということ自体がとても大変なんです。
子供ってすごい勢いでお乳を吸うので、痛い思いをするし、乳房炎になることもあります。
だからこそ、授乳期間に母と子に特別な絆が生まれるんです。
その時期を乗り越えた記念として形に残し、皆さんにお届けしたいと思ったのです。

―――授乳期間というのは、お母さんと子どもにとっては特別な時間ですか?

時間が経てば経つほど貴重な時間になります。
赤ちゃんがお乳を飲んでいるときの上目遣いの表情の可愛らしさはずっと覚えておきたい思い出。
でも、成長するにつれてイヤイヤ期が出てきて忘れがちになってしまうときもあると思います。
子育てって、大なり小なり悩みって出てくると思うので、母乳ジュエリーがそんな時の心の支えになればいいなと思います。

―――そうすれば心が落ち着くってこともあるんでしょうか?

母乳って、大切な子供を育ててくれるものだし、泣いているときは笑顔に変えてくれるもの。
何より母乳を与えることで母としての自信をくれるもの。
そういう気持ちを形に残したいなって。

―――栃原さんは母乳ジュエリーを見て、どんなことを思い出しますか?

泣き顔もすごくかわいいけれど、泣き顔からだんだん笑顔になっていく表情を今でも思い出します。
私は恵まれている方で、生まれて1か月くらいで授乳できるようになったんですけど、中には低体重で出産して、母乳を毎日産院に届けるなど、いろいろ苦労されている人の方が多いと思う。
そういう人の心の支えになれればと思う。
そういう方って母乳にすごく思い入れがあると思うので。

―――断乳や卒乳する時って、お母さんはどんな気持ちになりますか?

それもひとつの成長なのだけれども、結ばれている絆を切られるような感じがして、心が痛いです。
向こうが欲しているものをこちらのエゴで終わらせてしまわないといけない。
卒乳してあげられるのが一番いいと思うのだけれど、どうしても寂しさがお母さんには残る。
そういう寂しさも全部詰め込んで制作しています。

―――母乳ジュエリーを作り始めて4年。SNSでも母乳ジュエリーの魅力を発信しています。

今では、全国から月に100件ほどの依頼が来るほどになりました。
母乳と一緒に我が子との思い出を綴った手紙が添えられていることが多いです。

―――その中で特に印象に残っている2人のお母さんがいるんですよね?

一人目は、産後、些細な事が気になって何度も確認行動をしてしまう強迫性障害になった方です。
病気を乗り越えるために、薬を飲むことになり、お乳をやめないといけなかった。
親の都合で母乳を奪っていいのかと葛藤していた時に母乳ジュエリーに出会ったそうです。

二人目は、1歳で娘を亡くして、13年間、自宅に保存していた母乳を捨てられずにいた女性です。
いつか母乳を何かしらの形にしたいと思って探していたところ、母乳ジュエリーを見つけたそうです。

―――実は、今回、栃原さんにご紹介いただき、今出てきた二人のお母さんからお話を伺いました。

一人目の、強迫性障害に悩んでいるお母さんからは、
母乳ジュエリーが手元に届いてから「これから私と同じ食べ物を食べられるんだな」と、前向きな受け止めができるようになった
とおっしゃっていた。

二人目の13年間母乳を保存していたお母さんからは
これまでは、友達に赤ちゃんが生まれたことを喜べなかった時もあったけれど今では「お母さんとしての幸せな日々があったからこそ今がある」と残りの人生を楽しく生きるための決意が出来ました
と伝えてくれました。

お二人とも共通した趣旨のことをおっしゃっていて、
この母乳ジュエリーに出会ったからこそ、
苦しいことも前向きに受け止めることが出来た。
世の中の悩んでいるお母さんたちに、
このジュエリーの存在を教えてあげたい。

だからこそ取材を受けてくださった、ということです。

―――母乳ジュエリーでここまでお母さんの気持ちを救えると思っていましたか?

ありがたいですよね。
こんなお母さんの心の支えになりたいと始めたので意外ではなかったですね。
私自身、お乳を断つことの決断でさえ、我が子を思って悩んだのですから。

でも、それってすごく小さいことだと思います。
他にもいろんな経験されている方、私も知らない病気があるなど、大きい悩みを抱えている方がいらっしゃると思うのですけれど、母乳ジュエリーをお届けすることで、少しでも心の支えになれたらな、と思います。

もちろん依頼される方の多くは、子どもとの思い出にという、"幸せな"お母さんからです。
でも、大なり小なりみんなに悩みはあって、全てが順調な子育てはない。
そんなお母さんたちを救いたいという気持ちから始めたので。

―――海外生活を経験して、現在は、吉備中央町で家族4人暮らしていらっしゃるとのこと。
どうして吉備中央町を選んだのですか?

吉備中央町は、子育てと移住の支援がすごく手厚かったからです。
最初、6か月間、お試し住宅に住まわせてもらえたんです。
それだけの期間があると環境がわかる。学校と環境と人が好きになって移住を決めました。日本語が話せない子どもたちのことも受け止めてくださったので。
決め手は、先生方の存在。地域で子供たちを育てるというあたたかさが伝わってきました。

―――母乳ジュエリーを通して、子育てをして感じた日本のお母さんを取り巻く環境について、どう思われますか?

お父さんの育休が取りにくいですよね。
オーストラリアの男性は、子供が生まれたら最低2週間は育休を取る、というのが当たり前。
日本はその体制がまだ整っていないと感じています。
産んですぐって結構大変だから、そこの苦労を分かち合えたらもっと違ってくるんじゃないかな、と。

 

―――日本で暮らして大変だな、と感じることはありますか?

オーストラリアは大きいショッピングセンターやスーパーマーケットの駐車場に、ベビーカーを押したお母さん用の駐車場もあるんです。
ベビーカーを下ろす作業はとても大変だから、日本の施設にもそれがあると、お母さんは助かるなと思います。

―――これからどんなことに挑戦していきたい?

お母さんたちを集めて、ワークショップを開きたいです。
ジュエリー作りを通して、悩みを打ち明けたり、先輩から話を聞いたり、そんな場所を提供したいな、と考えています。
それから、今までいろんなお母さんの経験をつづった手紙をまとめて、本にしたいです。

それを産婦人科などに置いて、これからお母さんになる人に情報を共有したいと思っています。というのも、妊婦さんは出産やイヤイヤ期のことは知っているけど、産後に問題が起こる場合があることを知らない人は多いのです。

例えば、骨粗しょう症や乳腺炎、持病の変化など実際に起こった問題が寄せられているので、知ってほしいです。
そうすれば、心の準備もできるし、頭の片隅に知識さえあれば、いざというときの行動が変わってくるんじゃないかな、と思います。


投稿者:アナウンス担当 | 投稿時間:13:30  | カテゴリ:アナ・キャスのつぶやき

 

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