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2020年1月10日(金)

パラ陸上女子走り幅跳び 中西麻耶選手

『2020インタビュー』、きょうはパラ陸上女子走り幅跳びの、中西選手麻耶選手がスタジオ生出演です。
中西選手は、去年(2019年)11月の世界選手権で初優勝。
東京パラリンピック代表に内定し、紅白歌合戦の審査員も務められました。

中西麻耶選手 東京パラリンピック出場内定 パラ陸上女子走り幅跳び(足に障害があるクラス)
「おはようございます。
よろしくお願いいたします。」

和久田
「紅白歌合戦ではお世話になりました。」

中西選手
「お世話になりました。」

和久田
「着物姿が本当にすてきでした。」

中西選手
「ありがとうございます。
ちゃんと着物を着たことがなかったので、本当にいい機会になりました。」

和久田
「例年は年末年始は合宿ですか?」

中西選手
「そうですね。
忙しく合宿をしてたので、本当に貴重な機会になりました。
ありがとうございます。」

和久田
「年が明けて2020年、いよいよ勝負の年になりましたが、お気持ちはいかがでしょうか?」

中西選手
「やっぱりいろんな期待も背負いながら、しっかりとひたむきに努力を続けてますね。」

和久田
「やはり、ことし(2020年)への思いはひときわ強いですか?」

中西選手
「やっぱりもう人一倍、ここで絶対に記録を作って、またさらにその上をという気持ちでやってます。」

和久田
「では改めて、中西選手のこれまでの歩みを振り返っていきたいと思います。
大分県由布市のご出身。
ソフトテニスで国体出場を目指していました。
しかし、21歳のときに仕事中の事故で、右足のひざから下を失いました。
それでも事故の翌年には、陸上競技を始められます。
そこから北京、ロンドン、リオデジャネイロと3大会連続でパラリンピック出場を果たしていらっしゃるんですね。」

高瀬
「中西さん、このプロフィールを拝見すると、やはり事故から1年で陸上競技を始めるというところに、ちょっと驚きがあるんですけれど、どのように再び前へという気持ちになったんですか?」

中西選手
「私の場合は、実際になくしたのは足なんですけども、心の部分っていうのを失ってなかったので、ずっとやっぱりスポーツをやっていきたいっていう気持ちを大事にしながら、いろんな意見もありましたけれども、絶対にもう一回走れるようになって、今までスポーツで応援してくれてる人たちにも、こんな大きい出来事はあったけれども、私、大丈夫だよっていうのを見せたいなっていう一心でした。」

高瀬
「心の調子も体の調子も整えないと、新たなスポーツを始めるというのは難しいと思うんですが、その気持ちは折れなかったということなんですね。」

中西選手
「折れることもなかったですし、もう本当に、漠然とですけれども、なんとなく自分はもう一回走れるようになるはずだっていう期待をずっと捨てることが、やっぱりできなかったので、その気持ちを持って、もちろんトレーニングにも励みましたけど、気持ちがやっぱり消えないというのは大事だったのかなと思います。」

和久田
「周りの方から、そんなに無理しないでって言われることってありませんでした?」

中西選手
「そういう声が大きかったです。
私も、いわゆる障害者という立場になったときに、世の中の人たちはやはり、障害がある人は何もできないと感じているというか、障害のある人は夢を見ずにいたほうが、夢をかなえるのが難しいこともあるので、幸せに生きるためには大きな夢見るよりも普通に過ごしたほうがいいと思うよと、悲しい出来事が起きないように過ごしていくことを考えなさいという人は、確かにたくさんいました。」

和久田
「それでも挑戦の道を。」

中西選手
「そうですね、私はやっぱりそこは捨てられませんでしたね。」

和久田
「中西選手、リオデジャネイロパラリンピックでは4位、メダルまであと一歩のところだったんですね。
そしてついに去年、世界選手権で金メダルを獲得されました。
中西選手、実は最後の6回目のジャンプの前までは4位だったんですね。
そのとき、どんな心境でしたか?」

中西選手
「ずっと追い風、向かい風の試合だったので、環境的には難しい試合になってしまったんですが、調子はすごく上り調子でよかったので、実際、最後の跳躍に入るまでは、自分はいける気持ちしかなかったですね。」

和久田
「そうして迎えた、最後のジャンプで、大逆転での初優勝となりました。
女子走り幅跳びで日本初の快挙でした。」

高瀬
「喜びを爆発させていますね。」

和久田
「『きゃー』っていう。」

中西選手
「出ちゃいましたね。」

高瀬
「このとき涙もあふれてきたのは、どういう気持ちなんでしょう?」

中西選手
「やっぱりまだプロ選手が主流でないときから、私はプロでやりたいというふうに宣言をして、もちろん、資金的にも難しいことしかなかったんじゃないのかっていう競技生活だったんですけれども、なかなか金メダルもとれないし、プロとしても確立できない生活の中で、自分にもっと光が浴びることってないのかなとかいうのを考えながら、葛藤して毎日過ごしていましたけど、やっとそれが報われたなっていうので、思わずほろりと出てしまいましたね。」

高瀬
「ふだんは涙をあまり見せないですか?」

中西選手
「見せないですね。
私の場合は、そういうところは隠したいタイプなので。
どちらかというと、笑顔でいたいなと思うんですけど。
やっぱり本当に、思わず泣いてしまうぐらい感動しました。」

和久田
「世界選手権で優勝したということは、東京パラリンピックでぜひ金メダルをと、私たち、期待するんですけれども、今回その重要な鍵となるものを持ってきていただきました。
それが競技用の義足です。」

高瀬
「私、実際に触ったことないんですけれども、持たせていただいてもよろしいですか?」

中西選手
「もちろん、持ってください。」

高瀬
「失礼します。
結構ずしっときますけれど、これで踏み切るわけですもんね。」

中西選手
「そうです。」

和久田
「実は中西選手は世界選手権で優勝したあとも、この義足の改良を続けているんです。
茨城県水戸市にある義足を作っている工房に、大分から毎回通っていらっしゃるんですよね?」

中西選手
「日帰りで行っていますね。」

和久田
「この日はどんな調整を?」

中西選手
「世界選手権で実際に見えてきた課題とかもあったので、少し角度調整をして、試してみたい部分を、試しています。」

高瀬
「角度を調節ってどういうことですか?」

中西選手
「角度を少しつけることによって、ストライドといって、歩幅をちょっと長めに保つという調整をこのときはしてますね。」

高瀬
「歩幅を長く保つ調整。
それは本当に数ミリ、数センチという?」

中西選手
「もう本当に、ミリ単位の細かい調整にはなってくるんですけど。」

和久田
「義足に薄い板を入れていましたけど、感覚としては、どのような変化があるものなんですか?」

中西選手
「昔までは、少しつま先のほうに体重がかかりやすい設定にしてたんですけど、実際ここの間の所に板を入れることによって、より中心のほうに体重が落ちるようになるんですけど、実際、こんな薄いものにはなるんですけど、体重が落ちる部分というのがこのつま先の部分から、もっと真ん中の部分っていう所に変わるようにはなるんで。」

和久田
「わずか数ミリで変わっていくということですね。」

高瀬
「じゃあ、これで記録をさらに伸ばそうということなんですね?」

中西選手
「そうですね。
滞空時間が変わるんじゃないのかなと思っています。」

高瀬
「あの力強いジャンプが、さらに高く前へということなんですね。」

和久田
「東京パラリンピックまでいよいよあと7か月です。
自国開催の東京パラリンピック、どんな大会にしたいですか?」

中西選手
「世界選手権、金メダルをとりましたけども、もちろん次に求められるのは、また金メダルだと思うので、メダルをとるというのはもう最低限にして、私の場合は、6メートル以上のジャンプをして、世界新記録でメダルをとるというところで頑張りたいと思います。」

和久田
「個人の成績に加えて、残したいものはありますか。」

中西選手
「せっかくの自国開催の大会になるので、皆さんと一緒につかむメダルっていうのをしたいと思っていまして、3大会通して大会の中で忘れてきているものがたくさんあるので、みんなでそれをつかみ取りにいきたいなと。」

和久田
「忘れてきているもの?」

中西選手
「金メダルというところになるんですけど、やっぱり4位っていう所まではつけることができているんですが、なかなかしっかりと輝くものっていうのを勝ち取ったことが、パラリンピックの舞台ではないので、毎回期待していただきながら、すみませんでしたっていう状況っていうのを、今回はなくしたいなと思っています。」

高瀬
「納得のジャンプ、期待しております。」

和久田
「最高の結果を期待しています。
ありがとうございました。」

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