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2019年7月9日(火)

沖縄戦の“転換点” 埋もれていた思い “無差別攻撃”そのきっかけは?

太平洋戦争末期の「沖縄戦」について、島民の運命を変えたかもしれないある「戦い」があったことが新たにわかってきました。
沖縄に上陸したアメリカ軍との激しい地上戦は、1945年6月の現在の糸満市など南部での戦いが知られていますが、実は、その2か月ほど前に、中部の中城村で、日米最初の激しい戦闘が行われていたのです。
戦場となったのは、その標高から「161.8高地」と呼ばれた小高い丘。
ここでの戦い以降、アメリカ兵たちは、住民と兵士を区別しない無差別攻撃へと転じていたことが浮かび上がってきました。

沖縄戦の“転換点”  埋もれていた思い

普天間基地の東側に位置する中城村では、沖縄戦で、当時の住民の3人に1人にあたる、5,500人以上が犠牲になりました。
村のほぼ中央に位置する「161.8高地」は、単なる丘に見えるように偽装された日本軍の陣地でした。

今回、私たち取材班は、軍事専門家と村の調査員による立ち合いのもと、内部の取材を行いました。

中は、縦横無尽にトンネルで結ばれています。
アメリカ軍の沖縄本島上陸から4日後の1945年4月5日、ここに潜んでいた日本軍の部隊が、戦車をともなう600人以上のアメリカ軍を迎え撃ちました。

元陸上自衛隊戦史教官 葛原和三さん
「ガソリンが燃えたように見えますね。
完全にここは敵に制圧された。」

中城村教育委員会 稲嶺航さん
「(住民が)戦闘に巻き込まれて亡くなっている方もたくさんいるんですけど、その方たちの生死が、もっと細かく分かってくると、総合的に見えてくる。」

実は、この丘での戦いについての秘密資料が、沖縄のアメリカ軍基地内に長い間保管されていました。
この資料で分かるのは、トンネル内のあらゆる場所に攻撃ポイントが配置されていることです。
日本軍の攻撃は予測もしない方向からやってくることが記されています。
陣地だと気付かず近づいたアメリカ兵たちは、機関銃などで狙い撃ちにされました。
アメリカ兵たちは恐怖に陥り、このあと多くの兵士が、民間人を含め無差別に攻撃するようになっていったといいます。

沖縄戦歴史資料館 学芸員 マーク・ウェイキャスターさん
「戦場にいたのは、わずか17〜18歳の兵士たち。
極限状態の中、目の前を動く者がいれば、敵だと思って撃つしかありませんでした。
この陣地での戦いは、まさにその後の沖縄戦の転換点となったのです。」

しかし、この陣地について語り継ぐ人がほとんどいなかったため、多くの住民は、ここで戦闘があったことさえ知りません。

米須清春さん(83)の父親の清喜さんは、石工の腕を見込まれてこの陣地造りに動員され、戦いにも参加していました。

米須清春さん
「(陣地に残されていた)頭蓋骨が怖かった。
相当な数の頭蓋骨あった。
こんなに多くの人が亡くなって大変だったな。」

陣地にはすさまじい戦闘の跡が残されていましたが、父親は、その詳細について語ることなく20年前に亡くなりました。

当時の村が置かれていた状況を物語る機密資料が、防衛研究所に保管されていました。
陣地は161.8高地だけでなく、村全体に張り巡らされていました。
そして、陣地造りには、多くの住民が動員されました。

動員された住民たちの証言を集め始めたのが、久志隆子さん。
中学校で国語の教師を務めてきました。

最近、母親の新垣トヨさんが、村での戦争について少しづつ語り始めました。
当時14歳だったトヨさんは、想像を絶する光景を目の当たりにしていました。

新垣トヨさん
「芋掘りに行ったら、布団をかぶって、(ほかの)家族が寝ている(倒れている)のがあった。」

久志隆子さん
「寝てるんじゃなくて、死んでる、亡くなっているの?」

新垣トヨさん
「うん、亡くなっていた。」

久志隆子さん
「一緒に死んでたんだ。」

久志隆子さんは、母のトヨさんには「自分が今言わないと、中城村で起きたことがなかったことにされるんじゃないか」という気持ちがあるのではないかと考えています。
当時トヨさんは、アメリカ軍の攻撃が始まると、ごうに逃げ込み、迫り来るアメリカ兵の姿におびえながら、2週間ほど隠れ続けたといいます。
その時の状況についてトヨさんは「苦しい生活だった。塩をなめたり、水はどぶ川から持ってきてしのいだ」と語ります。
そして、トヨさんは、アメリカ軍に銃をつきつけられ、捕えられました。
家族や親戚で集団自決をしようとしていた矢先のことでした。
トヨさんは、「墓を開けて、もう戦争は終わりだから、みんな死んで向こうに行こうね(死のうね)って。そんなんだったんだよ」と語ります。
隆子さんは、トヨさんが、周りの人たちと集団で死のうとしていたことを、このとき初めて知りました。

「中城村での戦争の事実を埋もれさせてはいけない」と考えた久志隆子さんは、4月から大学院に入り、住民の戦争体験を研究テーマに選びました。
今、村のお年寄りのもとを訪れ聞き取り調査を行っています。
こうした証言を、近い将来、論文にまとめるつもりです。

トヨさんは、普天間基地からわずか5キロの場所に暮らしています。
今でも、ヘリコプターの音を聞くと、当時の戦闘機の様子など、あの戦争を思い出すといいます。

久志隆子さん
「これは、繰り返し心の中で戦争のことを思い出しているんだろうなと。
母は、ずっと気持ちの上では戦争は終わっていないんだろうなと思うんです。私でよければ聞き役をしたいと思います。」

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