これまでの放送

2019年2月8日(金)

“次の時代”に託す平和

高瀬
「新しい『元号』の発表まで、あと2か月を切りました。
“平和への願い”を込めて選定された元号『平成』。
しかし、この30年、国際社会ではテロや紛争が絶えることはありませんでした。」

和久田
「『昭和』には戦争で、『平成』になってもテロで、相次いで肉親の命を奪われた男性がいます。
次の時代に伝えたいメッセージを聞きました。」

広島・原爆での悲劇

広島市に住む伊東次男さん、83歳です。

伊東次男さん
「どのような理由がありましょうとも、人間をあやめるような武器、それは小さな武器でも核兵器でも、やはり廃絶しなければいけない。」

伊東さんが平和の大切さを訴えるのは、2度にわたって悲劇に見舞われたからです。
74年前の8月6日。
当時10歳だった伊東さんは、2歳年上の兄・宏さんを原爆で亡くしました。

伊東次男さん
「顔に斑点みたいなのが出たり、鼻血が出たり、そういう状況が続いて、亡くなりました。
時代背景は戦争ということもあったけれども、兄が亡くなるということは、子どもなりに“どうしてかな”と。
悲しさは当然ありました。」

アメリカ・同時多発テロ事件での悲劇

戦後、経済発展に邁進した「昭和」の時代、日本は平和の恩恵を享受しました。
銀行員として働き、2人の子どもを育てた伊東さん。
いつしか「平和」は当たり前のものと思うようになっていたと言います。
しかし、平成に入って…。
アメリカで起きた、同時多発テロ事件。

当時、ニューヨークの世界貿易センタービルで、同じ銀行員として働いていた長男・和重さんの消息がわからなくなったのです。

伊東次男さん
「これを持って和重を探そうと。」

1か月以上かけて、ニューヨーク中を探し回った伊東さん。
和重さんは見つからないまま、死亡の宣告を受けました。

伊東次男さん
「テレビで崩れるのを見ていましたから。
とてもじゃないけど、表現できない。
本当に残酷な、悲惨な。」

憎しみの連鎖を断ち切るために

“なぜ二度も家族の命を奪われなければならないのか”。
伊東さんが抱いたのは、憎しみの気持ちでした。

気持ちがようやく変化したのは、3年がたってから。
平和学習で、子どもたちに話してほしいと頼まれたことがきっかけでした。

伊東次男さん
「悔しい、憎たらしいと思っていた。
だけど、人を憎んだ気持ちで子どもたちに話をすることができないと。
これをきっかけにして、自分も憎しみを捨てる。
良い意味で、前進ができるようになりました。」

3年前、アメリカのオバマ大統領が広島を訪問。
このとき伊東さんは、平和への思いを手紙にしたためました。
「人を殺める思想」は間違っている。
自らの経験をもとに伝えたかったのは、憎しみの連鎖を断ち切ることの必要性でした。

“次の時代こそ、平和な世界を” 若い世代に伝えたい思い

しかし、今もテロやそれに対する報復は無くなる兆しがありません。
テロ事件から18年がたち、伊東さんが話をする機会は大きく減りました。
危機感を募らせた伊東さんがこの日訪ねたのは、息子・和重さんが通った高校です。

伊東次男さん
「今日は和重も一緒にここに来ています。
このスーツは和重のスーツです。
このネクタイも和重のネクタイです。
風化してしまえばゼロ、そうすると皆知らないということ。
知らないことは、また何が起きるかわからないことにつながる。」

“次の時代こそ、平和な世界を実現してほしい”。
平成が終わろうとしている今、若い世代に思いを伝えたいと考えています。

伊東次男さん
「腹も立つ、悔しくて、残念で、悲しくて、心の葛藤がありました。
だけど、本当に人を憎まない心ができれば、人間同士の争いは起きません。」

伊東次男さん
「人間の心とは、簡単に善にも悪にもなる。
その(悪への)脱線をいかに止めるかが大きなポイントであって、それをみんなで考えることが大事。」

2度の悲劇に見舞われ… “次の時代”に託す平和

高瀬
「“子どもを亡くした自分が、憎しみを抱えたままで子どもの前で話をすることはできない。だから、前進する”。
そこに伊東さんの信念と、親の心というのを感じます。」

和久田
「そして、憎しみに心が染まっていくこと、その危うさを身に染みて実感した伊東さんだからこそのメッセージを、私たちはしっかりと受け止めたいと思いました。」

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