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2018年6月11日(月)

災害による障害者たちの心の交流

和久田
「次は、災害が原因で障害者となった人たちへの支援についてです。
大規模な災害で、家族や家などの財産を一度に失った上に、けがなどで、その後障害を抱えながら生きていく人たちに対しては、これまでほとんど目が向けられることがありませんでした。」

三條
「災害で障害を負った人たちは、その後の人生をどう生き抜けばいいのか—。
先週、全国ではじめての交流会が行われ支援の道筋が見えてきました。」

“災害障害者” 一度に全てを失って…

広島市に住む、宮本孝子さんです。

宮本孝子さん
「ここらが痛くなったりね、(足は)ないのに。」

4年前、土砂災害で左足を失いました。
宮本さんの家は裏山の土砂に押し流され、財産も思い出もすべて一度に失いました。
夫の敏治さんとは手をつないで一緒に逃げましたが、おそってきた土砂ではぐれ、その後夫は亡くなりました。

宮本孝子さん
「うそだろうって思った。
お父さん死んだ、足がなくなった、びっくりして。」

「立とうか、立って。」

宮本さんは、生きる意味を見失いそうになる中でも、前を向こうと自分を奮い立たせてきました。
義足をつけ、自分の力で歩くためのリハビリです。

「大丈夫?」

宮本孝子さん
「うん、大丈夫。」

「まだ歩く?」

宮本孝子さん
「はい。
もうちょっと、もういっぺんだけ。」

宮本孝子さん
「何かひとつだけ得ないとと思って。」

しかし時折、痛みが体を襲い、リハビリどころか、生きることすら投げ出したくなることもあります。
復興が進み、町は日常へと戻っていく一方で、自分だけが取り残されていく…。
宮本さんの気持ちは複雑でした。

宮本孝子さん
「『あんた生きとったんじゃけんね』ってみんなは言う。
うちはうちなりに不都合なこともいっぱいある。
生きとってよかったのだろうか、果たして幸せなんだろうかって。」

“災害障害者” 心を通わせる“場”を!

災害障害者を正面から支援してきた組織は、ほとんどありません。
そうした中、先駆けて取り組んできたのが、神戸市のNPOです。
阪神・淡路大震災の12年後から、災害障害者同士の交流会を定期的に開いてきました。

NPO「よろず相談室」理事長 牧秀一理さん
「大規模な災害であればあるほど、死者ということに対して、目がそちらにいく。
『あの人たちは亡くなったんだ』『私は生き残ったんだ』と。
だから苦しい声を上げられない。」

NPOの働きかけによって、兵庫県と神戸市が8年前、阪神大震災の障害者に行ったアンケートです。

“相手が天災であるだけに、ぶつけるところがない。”

“ひとり、取り残された感が強く生きるすべを無くした。”

絶望を受け止めてくれる人も、励ましてくれる人もいないことが、浮き彫りになったのです。
神戸での実績を踏まえ、今回NPOははじめて全国の災害障害者同士の交流会を開くことにしました。
NPOの活動は、災害障害者に手伝ってもらいます。
この男性は、阪神大震災で、20時間家屋の下敷きになり、両足に障害が残りました。
それでも他の災害障害者の力になることで、生きがいを得られると言います。

甲斐研太郎さん
「同じ目に遭った人同士会話する中に、こっちも勉強させられることもあるし、やっぱり悩みを聞いてあげられる部分(もある)。
他のいかなる支援よりも大事。」

NPO「よろず相談室」理事長 牧秀一理さん
「次々と災害が起きて、後手後手になったら、同じことの繰り返し。
その人たちの悩みは、それまでに解決していかなくては。」

“自分たちだけではない” 分かち合えた思い

そして先週、全国の被災地からやって来た災害障害者とその家族の交流会が開かれました。
宮本さんも広島から参加しました。

宮本孝子さん
「本当だったら、自由にこうやってじだんだも踏みたい。
助けてもらった人にご恩返せるわけじゃないし、この体で、何かお手伝いができればいいって思うけど、それができない。
歯がゆい。」

宮本さんがずっと抱えてきた悩みに、阪神大震災の経験者が、言葉をかけました。

飯干初子さん
「『生かされてるのよ、まだ何かしなくちゃいけないことがあるのよ』って、友達が来るたびにそれを言ってくれたんです。
だから今は団地のお当番で共益費を集めたりもさせてもらってるんです。」

植村貴美子さん
「『もうええ加減そんなん辞めたら』と言ったけれど、まだやっていると言うから、『えーすごいな』って。」

ありのままを話すことで、宮本さんの気持ちはどんどん軽くなっていきました。

宮本孝子さん
「みんなやっぱり人知れず苦労している。
言わないだけで。
知り合えただけでも、大事にしないと。」

思いを分かち合える仲間の存在が、前を向く力を与えてくれました。

和久田
「NPOでは、これからより多くの被災地に声をかけて、交流の場を広げていきたいと考えています。」

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