これまでの放送

2018年1月19日(金)

なぜ男性は帰還困難区域の見回りを続けるのか

和久田
「こちらは原発事故からまもなく7年たつ、今なお立ち入りが厳しく制限されている帰還困難区域です。
人の手が入らず、荒廃する家屋。
イノシシやサルなど、野生動物が昼夜問わず現れます。」


高瀬
「原発事故による避難指示は、昨年(2017年)の春までに次々と解除されてきましたが、7市町村にまたがる帰還困難区域は、除染やインフラの復旧が行われず手つかずのまま残されてきました。」

和久田
「去年、この地域の将来を決める重要な決定が行われました。
それをめぐり、この冬、住民たちには大きな波紋が広がっています。」

毎月 一軒一軒を見回り 放射線量を計測

阿武隈山地の山あいにある、浪江町・赤宇木(あこうぎ)地区です。
かつて80世帯、240人が暮らしていました。
ゲートで閉ざされた地区に、事故以来、特別な許可を得て通い続ける人がいます。
区長の今野義人さんです。

今野さんは、毎月、仲間と共に、空き家となった一軒一軒の見回りを続けています。

赤宇木地区 区長 今野義人さん
「何度修理しても(イノシシが)ガラスを割る。」

それぞれの家の前で、放射線量も計ります。

「8.23マイクロシーベルト/時。」

「7.93マイクロシーベルト/時。」

一度も除染されていないため、国の基準の2倍以上の数値が続いています。
雨水がたまる地表付近では…。

「振り切れるんです。
オーバーするので、この機械では測れない。」

赤宇木地区 区長 今野義人さん
「残念というか、ことばには表せない。
無念だというのがいちばんかな。」

手紙や訪問 ふるさとへの思いをつなぎ止めたい

今野さんは、放射線量の他に、地区の様子も記録します。
避難生活が長引く中、ふるさとへの思いをつなぎ止めたいと、今野さんは毎月、かつての住民全員に手紙を送っています。

“畑の周りに植えたと思われる水仙が、現在も枯れ草をかき分け、誇らしげに咲いておりました。”

“友だちどうし声をかけあい、ふるさと赤宇木に帰れるまで頑張りましょう。”

避難生活が3年を迎えた頃から、バラバラに暮らす住民たちを訪ねて回るようになりました。
地区の様子を伝え、そして、1人1人から思い出話やかつての生活を聞き取ります。

「仕事は何やってたのって。」

「炭焼きだべ、俺とじいさまは炭焼き専門だわや。」

高齢化が進む中、赤宇木での暮らしが忘れ去られないよう、冊子にまとめようと考えたのです。
全国各地に足を運びました。

「思い出って、働くことばっかりだったよ。
タバコ作ったり、牛、乳搾り。」

「東京では寝ているだけで、どこも歩かない。
東京の風は違うわな。」

「整備計画の対象は限られた地域」

去年、これまで具体的にされてこなかった帰還困難区域の整備計画が初めて明らかにされました。
国が示した整備の方針です。
帰還困難区域全体を整備するのではなく、対象となるのは限られた地域だと記されていました。

除染することで放射線量が低くなる見込みが高いこと。
その規模も、効率的な整備が可能であることなど、条件がつけられました。
今野さんは、すぐに動き出しました。

赤宇木地区 区長 今野義人さん
「要望書を出したんです。」

赤宇木地区も対象に盛り込むよう、強く要望したのです。

赤宇木地区は整備の対象から外れた

去年11月、福島県が浪江町の計画を了承しました。

福島県 内堀知事
「(整備する)区域の規模は約661ヘクタール。」

対象として選ばれたのは、すでに避難指示が解除された町の中心に隣接する地域など3か所。
総面積は、町の帰還困難区域のわずか4%でした。
山あいにあり、人口も少ない赤宇木地区は対象から外れていました。

赤宇木地区 区長 今野義人さん
「やはり取り残され、つまはじきにされたと感じた。
国が率先して早く除染して、すぐ帰れるようにしましょうというのが普通の考え方で常識。
拠点を設けるので(整備対象は)どこどこだけと言われるのは、われわれとしては問題外。
筋違いの話だと思う。」

再生への道筋が見えない赤宇木地区。
今野さんには、今、改めて心に刺さる言葉があります。
事故の後、国の担当者に聞かされたひと言です。

赤宇木地区 区長 今野義人さん
「(除染しなければ赤宇木には)100年は帰れないと、環境省の話で。
それでは私たちの地域はどうなってしまうのかと考えた。」

「百年後の子孫(こども)たちへ」

今、心の支えになっているのは、以前から続けていた赤宇木の記録をまとめる作業。
住民たちからも、「どんな形でもいいから、ふるさとの姿を残してほしい」と多くの写真が寄せられました。

地区が開拓された頃からの貴重な写真。
子どもたちの声が響いていた当時の様子。
笑顔が絶えない日々。
その数は3,000枚に上りました。

「百年後の子孫(こども)たちへ」。
例え、住むことができなくても、未来の子どもたちにバトンを託したいという思いを込めました。

赤宇木地区 区長 今野義人さん
「子孫たちが冊子を見て、こういう場所だったと思ってくれて、100年、150年後に、あの地域を開墾しながら耕してくれて、また住んでもらえるようにという願いはありましたね。」

集落が消えてしまう不安

和久田
「こちらは、原発事故の前の年の写真です。
イベントがあると、大人から子どもまでみんなが集まる、仲のよい集落だったと今野さんはいいます。」

高瀬
「取材に当たった水谷ディレクターです。
浪江町の出身で、原発事故の直後から現地の取材に当たっています。
こうして多くの地域が整備の対象から外れましたが、今後はどうなるのでしょうか?」

水谷宣道ディレクター(おはよう日本)
「国は、将来的には帰還困難区域すべてで避難指示解除を目指すとしていますが、放射線量がいまだに高い現状などを踏まえ、可能なところから段階的に、復興に向け取り組むとしています。
ただ、今回計画の対象から外れた地区については、全く見通しが立っていないのが現状です。」

和久田
「こうした現状を、赤宇木地区の住民の方はどう捉えているのでしょうか?」

水谷ディレクター
「避難先での暮らしが長引いて、高齢化が進み、亡くなる人も増えています。
さらに、離れて暮らす中で地域の絆も弱まり、今の状態がこれ以上続くと、集落自体が消えてなくなってしまうのではないかと今野さんは話していました。
今野さんは、今年(2018年)春までに冊子を完成させ、住民みんなが集まる場を設け、赤宇木への思いを語り合いたいと話していました。」

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