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2018年1月17日(水)

「生き残った意味」を問い続ける

和久田
「23年前の阪神・淡路大震災では、400人以上の子どもたちが親を亡くし、遺児になりました。」



高瀬
「今、それぞれが新たな家庭を築く世代になっています。
NHKでは、遺児たちの23年間を見つめてきました。」

生後7か月で両親と姉を亡くした男性

列車で神戸に向かう、米萩拓矢(よねはぎ・たくや)さん、23歳。
阪神・淡路大震災の震災遺児です。
震災当時、生後7か月だった拓矢さん。
地震で、両親と姉が亡くなり、拓矢さんだけが残されました。

拓矢さん、6歳の時の映像です。
富山の祖父母に引き取られ、元気に成長していました。

拓矢さんの祖母(当時)
「拓のお姉ちゃん。」

祖父母は、少しずつ震災のことを伝えていましたが…。

米萩拓矢さん(当時6歳)
「逃げろ!」

拓矢さんの祖母(当時)
「逃げろでないよ。」

あまり関心を示しませんでした。

家族を失った重みに苦しんだ23年間

しかし、成長と共に、震災で家族を失ったという事実を重く受け止めるようになります。
14歳の時には、初めて祖父母と共に「追悼の集い」にも参加しました。

米萩拓矢さん(当時14歳)
「家族の中で自分ひとりだけ生き残ったということは、両親とお姉ちゃんの分も生きていかなければと思うようになってきました。」




“亡くなった家族の分も頑張らなくては”。
この思いが次第に拓矢さんを追い詰めていきます。
5年前、拓矢さんは、突然部屋に閉じこもるようになりました。
きっかけは人間関係のもつれなどから、専門学校を休んでしまったこと。
家族の分まで生きるという理想と現実とのギャップが、拓矢さんを苦しめました。

米萩拓矢さん
「誰かの分まで生きなきゃというのがちょっと、何で自分が生き残ったんだろうなという罪悪感というか、お姉ちゃんの方が生き残っていれば、もっと違ったのかなみたいな。」

「生き残った意味」を改めて考える

14歳で「追悼の集い」に参加して以来はじめて、先月(12月)、神戸を訪ねた拓矢さん。
記憶にはない家族の思い出の場所を歩き回り、「震災の犠牲者を悼むモニュメント」にも足を運びました。

米萩拓矢さん
「自分の親とお姉ちゃんが亡くなったっていうことにも、やっぱりちゃんと向き合っていくっていうか、そういうのを忘れちゃだめだと思う。
何かしら変わらなきゃいけないかな。」

拓矢さんは、過去と向き合うことで、生き残った意味を改めて考えようとしています。
震災から23年。
親を亡くした悲しみは、今なお、遺児たちを苦しめています。

12歳で両親を亡くした35歳の女性

先月、35歳になった吉田綾香(よしだ・あやか)さん。
2人の子どもの母親です。
当時12歳だった綾香さん。
ある日、父親に買ってもらった2段ベッドが届きました。
初めて親と離れて寝た、その翌朝。
神戸の街を大地震が襲ったのです。
別の部屋で寝ていた両親は、タンスの下敷きになって亡くなりました。
当時書いた作文には、“親の元に行きたい”とつづられています。

“もし死んだら、別に悔いはないから死にたかった。”

悲しみと喜びの23年間

その後、祖父母に引きとられた綾香さん。
18歳の時には、遺児代表として天皇陛下に面会。

吉田綾香さん(当時18歳)
「死んでしまいたいと思ったこともありましたが、たくさんの人との出会いが、私を勇気づけてくれました。」




23歳で結婚し、妊娠。
長女・日向(ひなた)ちゃんを出産しましたが、綾香さんの心の底には、常に両親を亡くした悲しみがありました。

吉田綾香さん(当時23歳)
「なんで我慢して、今も生きているんだろうと、しょっちゅう思う。」

しかし今、2人の子どもの成長が、綾香さんの生きる喜びになっています。

「ママのこと好き?」

「好き。
でもちょっとだけイヤなことがある。
いっつもチューしてくる。
毎回チューしてきて、チューしなかった日なかった。」

「やり残したことを探して生きている」

親として、遺児として、自分に何ができるのか。

この冬、綾香さんは、子どもたちと東日本大震災の被災地を訪れました。
震災遺児を支援する団体に招かれたのです。

吉田綾香さん
「私は小学6年生の時に、パパとママが亡くなりました。」





これまで、子どもたちに自分の経験を語ったことがなかった綾香さん。
同じように親を亡くした遺児たちの前で、初めて思いを語りました。

吉田綾香さん
「両親が亡くなったので、私だけ置いて行かれてしまったという悲しい気持ちでいっぱいでした。
そんなに頑張ってこなくて大丈夫だよって、その時の自分に伝えたくて。」

23年経っても、震災で親を失った子どもたちは、それぞれが生き残った意味を問い続けています。

吉田綾香さん
「こうやって震災を体験したから、いろんな人に伝えるっていうのもそうなのかもしれないし、子どもたちを育てるのはもちろんですけれども、やり残したことを、みんなたぶん探して生きているんですよ。」


和久田
「本当は背負う必要のなかったはずのものを突然背負って、その悲しみがどれだけ深いものかっていうのは、やはりいくら想像しても追いつきませんよね。」

高瀬
「それでもこの23年、どうやって生きてきたか、ずっと前を向いて生きてきたわけではないんですけれども、悩みながら、それでも生きてきたということを知ることが、この機会に大事なんだなと感じます。」

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