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2017年11月24日(金)

山一證券破綻 元社員はいま…

山一證券 野澤正平社長(当時)
「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから。」

20年前の11月24日、当時“4大証券”とうたわれた「山一証券」が自主廃業に追い込まれました。
バブル崩壊による株価の急落。
そして、巨額の損失隠しに手を染めていたことが発覚。
不正の果てに破綻したのです。

「倒産しちゃったら清算も何もないじゃないか。」

あれから20年。

「誠に申し訳ございません。」

「深くお詫び申し上げます。」

大企業による不祥事は、今なお、後を絶ちません。
山一証券の破綻が残した“教訓”は何なのか、考えます。

高瀬
「シリーズ『金融危機から20年』。
今回は、『山一証券・破綻からの教訓』です。」

和久田
「破綻した山一証券は、明治30年に創業され、当時、創業100年を迎えていました。
従業員はおよそ7,500人、顧客からの預かり資産はおよそ24兆円に上っていました。
歴史ある大企業の経営破綻は、当時大きな衝撃を与え、日本経済を混乱に陥れました。」

高瀬
「山一証券の社員や、破綻に関わった人たちの今を追いました。」

破綻から20年 元社員たちは今…

この日、都内に集まったのは、かつて山一証券で働いていた社員たち。
自主廃業から20年という節目の同期会に、全国各地から40人が駆けつけました。
20年たった今なお、複雑な思いが胸をよぎります。

元 山一証券社員
「なんで俺がこんな大変な目にあわなきゃいけないかなと。」

元 山一証券社員
「破綻した当時、37、38、39歳ぐらいだった。
時の流れは早いな。」

元 山一証券社員
「(この場に)登場してこない人たちも、ずいぶん苦労されている人もいるのでは。」

会の終わりに歌われたのは、山一証券の社歌でした。
当時、彼らは突如として職場を失ったのです。

♪“山一證券の 若人われら”

“社会のニーズに合わせ 変わり続けること”

取材:小田島拓也 新井俊毅 大江麻衣子 岡部陽介

元社員たちは、それぞれの経験を糧に生き抜いてきました。

石井茂(いしい・しげる)さん。
生命保険やネット銀行など、ソニーの金融事業を束ねる会社のトップです。
20年前、石井さんは経営の“中枢”、企画室の部長でした。
山一証券の破綻は、“教訓”として刻まれているといいます。
“社会のニーズに合わせ変わり続けること”。

ソニーフィナンシャルHD 石井茂社長
「失敗の原因は、社会の変化に十分対応しきれていなかったということに尽きる。
あの時も、企業によってはバブルの傷を負わずに済んだ企業もたくさんあった。
やっぱり現実を見る力、現実と合わせていく力だと思う。」

山一証券の破綻後、金融事業への本格進出を検討していたソニーに招かれた石井さん。
インターネットの普及という大きな変化の中、最先端を目指し、ネット銀行の立ち上げに、奔走しました。

ソニーフィナンシャルHD 石井茂社長
「いろんなチャレンジをして、銀行の限界を超えていくことをしたいと。
1人のお客様のニーズに合ったサービスを提供したい。」

しかし、そのネット銀行も、次々とライバルがあらわれ、今や乱立状態に。
ビットコインをはじめ仮想通貨が急激に広がるなど、金融業界は今、再び変革のうねりにさらされています。
試練を迎えた石井さんは、新たな事業を育て活路を開こうとしています。
超高齢化社会の到来を見据え、介護施設の運営に乗り出したのです。
きっかけは、生命保険を販売する社員から寄せられた「高齢者が信頼できる介護施設を求めている」という声でした。

ソニーフィナンシャルHD 石井茂社長
「引き続き変わり続けないといけない。
先を行くサービスを常に提供し続けないと、私たちは大きな金融機関ではないから、どんどん埋没してしまう。」

時代の変化を捉え、社会のニーズに応えていく。
山一証券の破綻で得た“教訓”を、常に言い聞かせています。

“経営陣と従業員が同じ方向を見ること”

金融とは全く異なる分野に挑戦した人もいます。
ラーメン店を開業した、齋藤賢治(さいとう・けんじ)さんです。
20年前は、システム開発を担当していました。
不正や経営悪化の実態を社員に隠し続けていたことに、強い憤りを感じたといいます。

ラーメン店経営 齋藤賢治社長
「悔しいというか、信頼していた会社に裏切られた気持ちでいっぱい。」

齋藤さんのラーメンは好評を得て、今では首都圏に7店舗を展開するまでになりました。


「おいしいです。」


「お気に入りのお店です。」

事業が大きくなっていく中で、齋藤さんは、あることの大事さに気づいたといいます。
“経営陣と従業員が同じ方向を見ること”。

ラーメン店経営 齋藤賢治社長
「自分の目の届く範囲から広がりつつあるので、どこまで、どういった形で全店を把握できるか。
自分1人だと、全部自分の中で完結できるけど、僕と同じように社員として同じ気持ちでやってくれているか、そこがいちばん不安になる。」

そこで取り入れたのが、このシステム。
ささいなことでも社員と共有しようと、7店舗すべてに定点カメラを設置しました。

ラーメン店経営 齋藤賢治社長
「見える化です。
絶えず現場で何が行われているか。」

従業員とのコミュニケーションのため、店舗に足を運ぶことも欠かしません。
何気ないことでも、顔を見て話をしないと信頼関係が築けないと感じているからです。

「社長が店に来ると緊張する?」

従業員
「しないです。
“自由に、のびのびやりなさい”という感覚なので。
そのつどアドバイスいただいたり。」

それでも、考え方が食い違う場合もあります。

従業員
「口論レベルです。」

ラーメン店経営 齋藤賢治社長
「『違うよ、それ違うよ。俺はこう思ってるんだから』『でも、それやったら会社潰れますよ』とか。」

従業員
「『誰もついてこないです』とか。
『言いたいことは言います、その代わり、お互い納得するまで話し合おう』と。」

従業員と、とことん向き合い、目指す方向性を常に確認し合う。
山一証券の失敗から得た教訓が、店の経営を支えています。

ラーメン店経営 齋藤賢治社長
「お客様を支える従業員を大切にしていきたい。
会社を信じている20名以上の社員が路頭に迷わないように、絶えずどうすればいいかということを考えなくてはいけないと日々実感している。」

揺らぐ金融システム

山一証券の破綻は、社員の人生だけでなく、日本経済にはかり知れない打撃を与えました。
金融システムが根底から揺らいだのです。
全国各地で金融機関が次々と破綻。
日本経済は長きにわたる停滞に陥っていきました。

なぜ、金融危機を防げなかったのか。
政府・日銀の当事者は、答えを探し続けています。
和田哲郎(わだ・てつろう)さん。
当時、日銀で金融システムを守る立場にありました。

元日銀幹部 和田哲郎さん
「ありえないことが起きたことに大変驚いた。
金融システムがこうなったら大変こわいことが起きるということを、風化させてはいけない。」

和田さんは、金融危機の実態を次の世代に伝えたいと、関係者を訪ね歩き、本に書き残そうとしています。

元日銀幹部 和田哲郎さん
「経済の認識、当初思っていたことと違っていたことはありましたか?」

元大蔵省銀行局長 西村吉正さん
「正直言って、私が担当している頃は、まだ大手の銀行がいろいろと問題があることはわかっていましたよ。
だけど、経営破綻に至るまでには、なんとか自分たちでなんとか工夫するだろうと。
行政が十分対応できていなかった。」

当時の検証を通じ、和田さんが得た“教訓”があります。
“危機の予兆を見過ごしてはならない”。
あれから20年。
金融システムは安定を取り戻した一方、長期化する金融緩和でマネーはあふれかえり、国の借金も膨らみ続けています。
日本経済に危うさはないのか。
和田さんは、みずからに問いかけています。

元日銀幹部 和田哲郎さん
「謙虚な気持ちでものを見ていく。
数字であれ、経済の動きであれ、当然のことと思わず、どうしてこうなったか、先行きがどうなるか常に問いただしていく。
予兆が感じられた時に手を打つことが大事。」

和久田
「私はリーマンショックの印象が強いのですが、金融危機は、起きてから初めてそれが深刻な事態だったと気づくものですよね。
和田さんのおっしゃるように、冷静に先手を打つことの難しさと重要性を今回改めて感じました。」

高瀬
「この金融危機は、多くの人の生活や財産を奪ってしまいました。
今は株高・不動産市場の過熱など、バブルの懸念すらあるといわれる一方で、損失隠しやデータ改ざんなど、顧客や取引先を裏切る行為も後を絶ちません。
金融危機の重い教訓を忘れてはならないと感じます。」

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「金融危機20年 過熱する不動産投資」

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