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2017年10月30日(月)

1964→2020聖火リレーがつなぐ思い② 1964東京五輪 聖火リレーはここから始まった

高瀬
「今週シリーズでお伝えしている『聖火リレーがつなぐ思い』。
今日(30日)の舞台は、沖縄です。」



和久田
「東京オリンピックが開催された1964年。
聖火リレーは、復帰前の沖縄から始まりました。
聖火は、151人のランナーの手でリレーされ、米軍の統治下にあった人々に、熱狂的に迎えられました。」

高瀬
「ギリシャから各国を経由し、那覇空港に到着した聖火は途中で一泊。
沖縄本島を、ほぼ一周しました。
聖火が“宿泊”したという、こちらの場所から中継が出ています。」

手作りの聖火台 土管に○○

佐藤あゆみ(NHK沖縄)
「台風が去って、朝日がさす沖縄の空です。
沖縄県本島北部、名護市のおよそ80人が暮らす嘉陽地区です。
ここで大切にされているのが、こちらの聖火台です。
赤々と炎が燃えています。
那覇からおよそ80キロリレーされた聖火は、その夕方にこちらに着いて、翌朝まで、この聖火台に灯されていました。

当時の様子が、こちらです。
聖火が到着した日の写真です。
地域の人たちが総出でお祝いしました。
当時の盛り上がりが伝わってきます。
この聖火台、地域の人たちが手作りしました。

石を1つ1つ集めて積み上げて、そして、この高い長いところは、土管でできています。




その上、何でできているのかというと、こちらの大きな鍋です。
聖火台を管理している、比嘉達也さんに持ってきていただきました。
比嘉さん、これは普段どんな時に使うんですか?」

比嘉達也さん
「これは沖縄の言葉で『シンメーナービ』と言いまして、普段はお祝いの時のヤギ料理であるとか、ブタ料理であるとか、そういった時に多く使われています。」

佐藤
「シンメーナービ、大きさもぴったりですね。」

比嘉達也さん
「そうですね。
ちょうど同じですね。」

佐藤
「当時は、このような聖火台が全国各地に作られました。
ただ、沖縄県では、当時のものが当時と同じ場所に残っています。
それだけではありません。
今でも現役です。
イベントの際に、このように炎がつけられて、地域の人たちに大切に守られてきました。
比嘉さんは、小学生の時に聖火リレーを迎えたんですよね。」

比嘉達也さん
「当時は小学校4年でしたね。
日の丸がいっぱい振られる沿道の応援と、それから聖火のみなさんが走ってくる姿、私も参加したいなという思いが強くて、それでも目一杯、日の丸を振ることで参加できているという気持ちになりましたね。」

佐藤
「今お話にもあったように、聖火リレーは、アメリカ統治下で長く苦しい時代を生きてきた沖縄の人々にとって、大きな喜びでした。」

アメリカ統治下の沖縄を走った聖火

リポート:南井遼太郎(NHK沖縄)

沖縄県最大のアメリカ軍演習場・キャンプハンセンです。

聖火ランナーだった、安富祖朝正(あふそ・ちょうせい)さんです。
沖縄が本土と切り離され、アメリカの統治下にあった時代、“軍用道路”と呼ばれていたこの道を走りました。



安富祖朝正さん
「私の宝物ですよ。」





東京オリンピックまで、あと1か月に迫った1964年9月6日。
沖縄に聖火がやってきました。

戦争で父親を亡くし、貧しい暮らしをしながらも、陸上競技に打ち込んでいた安富祖さん。
地域の代表として、聖火ランナーに選ばれます。
走り出した安富祖さんの目に飛び込んできたのは、沿道を埋め尽くす日の丸でした。
アメリカの統治下にあった沖縄では、祝日などを除き、日の丸を掲げることが禁止されていました。
しかし、この日だけはアメリカも黙認したのです。

安富祖朝正さん
「沖縄も日本の一部だというね。
うれしかったよ、本当に。
中学校の子どもたち、授業休みにしたんでしょうね。
全校生徒が出てきて、日の丸を持って迎える。
本当に想定しない歓迎ぶりだからね。
あれは涙が出ますよ、あんなの見たら。」

本土復帰への期待と闘争

「沖縄と日本は一つ」。
聖火リレーを機に、本土復帰への期待が高まりました。
しかし、その後の沖縄を待っていたのは、厳しい現実でした。
聖火リレーの直後から、ベトナム戦争が本格化。
爆弾を投下するアメリカの軍用機が、沖縄から次々と出撃していきました。
戦争で大きな被害を受けた沖縄が、なぜ、戦争に加担しなければならないのか。
大きな憤りを感じた安富祖さんは、本土復帰と基地の全面返還を求める運動に身を投じます。

♪:“民族の怒りに燃ゆる島
沖縄よ 沖縄を返せ 沖縄を返せ”

安富祖朝正さん
「思い出してきたな。」





聖火リレーの8年後、沖縄は本土復帰を果たしたものの、米軍基地が集中する状況は変わりませんでした。

安富祖朝正さん
「ひと言では表現出来ない。
複雑ですよ。
複雑そのものだね。」

今月(10月)も、アメリカ軍のヘリコプターが、民間の牧草地で炎上する事故が発生。
基地があるが故の事件や事故は後を絶ちません。
2020年、今度の聖火は、沖縄の現状を理解し、日本人みんなが一つになるきっかけになってほしい。
安富祖さんの願いです。

安富祖朝正さん
「オリンピックは平和の象徴だよね。
聖火を通して、もっと沖縄を知ってほしい。
沖縄の立場も含めてね。
立場も心もすべて、そういうのが出来たら大成功じゃないか。」

希望の灯火 2020年へ

佐藤
「安富祖さんは、沖縄の思いを、全国の方々に知ってほしいと、再び聖火が訪れることをみんなで迎えたいと話していました。
ここ、聖火台のある名護市のみなさんも、再び聖火が来ることを心待ちにしています。

とりわけ楽しみにしているのが、こちらの、当時聖火ランナーを務めたみなさんです。
今日は、当時のトーチとユニフォームで来ていただきました。

こちらの方、2日目のランナーをこの場所からスタートさせました、宮里操さんです。
お年は75歳。
2020年にお孫さんと一緒に聖火ランナーを務められるように、日々、ランニングしています。
宮里さん、どんな思いでランニングしていますか?」

宮里操さん
「孫と一緒に走りたい思いで、毎日走っています。」

佐藤
「徳村さん、楽しみにしていることはどんなことですか?」

徳村政勝さん
「当時は、村民挙げて大きな盛り上がりでした。
今回のオリンピックも、また、この聖火台に火を灯して、その盛り上がりを作っていただきたいと思います。」

佐藤
「さらに、若い世代も燃えています。
こちらの、地元の中学生の3人です。
老朽化した聖火台にペンキを塗り直す補修作業を、今年買って出ました。
どんな思いでオリンピックを迎えたいですか?」

玉城幸さん
「僕は野球をやっているので、将来、日の丸を背負っていけるような選手になりたいです。」

佐藤
「こちらでは、オリンピックへの聖火リレーの機運を高めようと、この後、この場所をスタートする、たすきリレーが行われる予定です。
3年後に開かれる東京オリンピック。
聖火に込めた熱い思いを、若い世代にリレーしようとしています。」

<関連リンク>
■特集ダイジェスト
「1964→2020聖火リレーがつなぐ思い① 10万人の聖火リレーが残したもの」
「1964→2020聖火リレーがつなぐ思い③ 東北発2020 目指せ聖火リレー」

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