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2017年8月28日(月)

無名の演奏家 なぜ人々を惹きつけるのか

高瀬
「けさのクローズアップ。
1人のバイオリニストが今、注目を集めています。」


 

教会に流れる、バイオリンの音色。
しかし、舞台にはスピーカーだけ。
演奏する人の姿はありません。

この演奏をしたのは若林暢(わかばやし・のぶ)さん。
乳がんを患い、去年(2016年)58歳でこの世を去りました。
両親の介護、自らのがんとの闘い。
波乱万丈の人生を生き抜いた、バイオリニストです。
コンサートには、若林さんと親交のあった、さだまさしさんも駆けつけました。
 

シンガーソングライター さだまさしさん
「新進気鋭のヴァイオリニストが、さまざまな苦労をしながら人生を生きて。
そういう人が遺(のこ)した音楽は、必ず何か尊いものが残っていると僕は信じている。」
 

生前、著名になることはなかった若林さん。

しかし亡くなって1年が経った今、演奏を復刻したCDが発売され、クラシック部門で1位を獲得。
無名の演奏家が亡くなった後に注目を集めるのは極めて異例だと言います。

 

「胸に語りかけてくる、すごくうっとりする音色。」

「大げさだけれど、自分に魂があるとすれば、それをつかまえられて揺さぶりやまぬ感じ。」


 

なぜ、若林さんの演奏は人々を惹きつけるのか。
その音楽に込められた思いを取材しました。

作曲家の思い 深く読み取り演奏

リポート:神津善之(おはよう日本)

4歳からバイオリンをはじめた若林暢さん。
東京芸術大学・大学院を経て、アメリカの名門「ジュリア−ド音楽院」で学びました。
世界的なコンクールで優勝や入賞を果たし、多彩な音色とスケールの大きな演奏が海外で高い評価を得ました。

若林さんのことを古くから知る、東京芸術大学・学長の澤和樹さんです。
若林さんと同じ師匠のもとで学び、20年にわたり、演奏をともにしてきました。
専門家や演奏仲間から一目置かれる存在だった若林さん。
しかし、オーケストラや音楽事務所に所属することなく、ただ作曲家の思いを深く読み取り演奏することを喜びにしていたと言います。

東京芸術大学 学長 澤和樹さん
「名誉欲は感じたことがない。
作曲家が目指したところを追求しようという、演奏家として、すごく真摯(しんし)な気持ちが源にあって、それでいて彼女ならではの個性を感じさせる音づくりをしていた。」

『音楽は悲しみから生まれた』

“知る人ぞ知る、名バイオリニスト”と言われた若林さん。
しかし、彼女を待ち受けていたのは純粋に音楽だけに向き合える暮らしではありませんでした。
2度の離婚を経験し、両親と3人で暮らしていた若林さん。
ところが、母親は難病を患い車いす生活になり、父親はがんに倒れます。

若林さんの音楽仲間の橋本麻智子(はしもと・まちこ)さんです。
最愛の両親を支えたいと、家庭内介護をする若林さんを、間近で見てきました。
練習や演奏会が終わるとすぐ家に帰り、両親の食事や入浴の介助を続けるなど、体を酷使し、腰を痛めたり、指を腫らしたりすることもあったと言います。

チェンバリスト 橋本麻智子さん
「本当にきりがないほどの雑用と心配事が現実にあったと思う。
その中であれだけちゃんとした演奏活動を並行してやっていくのは、人間業では限界があるので、本当にギリギリのところで何もかもやっていたと思う。」

10歳の頃から若林さんに師事してきた、バイオリニストの根来由実(ねごろ・ゆみ)さんです。
若林さんは、弟子に自分の置かれた境遇をほとんど語りませんでしたが、心の内をかいま見るような言葉を口にしていたと言います。

バイオリニスト 根来由実さん
「『音楽は悲しみから生まれた』というのは、独り言のように言っていた。
すごくつらいとき、悲しいときに、人間はばく大なエネルギーを生む。
そうやって絞り出したものに、本当の美しさがつまっていることがある。」

すべてを喜びに変えて

3年前、さらに若林さん自身を病が襲います。
乳がんと診断されました。
介護をしていた両親にも病気のことは告げずに手術を受けました。

当時、若林さんがつづった日記です。

“とにかく、生きて弾かねば。”

しかし、思いとは裏腹に、1年後、がんは肝臓に転移。
余名3か月と宣告されました。
それでも若林さんはバイオリンへの情熱を燃やし続けました。
去年2月、最後となる演奏にのぞみました。
友人の橋本さんが企画した、チャリティコンサートです。
抗がん剤の副作用に苦しみ、医師からは演奏は無理だと止められていた若林さん。

観客にも、そして共演者にも病気のことは伏せ、ステージに立ちました。
曲は、若林さんが好きだった作曲家・ブラームスの作品です。

チェンバリスト 橋本麻智子さん
「とても生き生きしていたし、自分の命を紡いで紡いで到達する純度の高い演奏。
ここに立つために、どれだけの大変なことを乗り越えて、このステージに立っているか。
すべてを喜びに変えて、輝いていることに尊さを感じた。」

力強い最終楽章。
最後の一音まで、弾ききった。

コンサートの4か月後、若林さんは静かに息をひきとりました。
全身全霊で、バイオリンと生きた若林暢さん。
その演奏が聴く人の心を動かすのは、悲しみも喜びも、すべてが音楽に込められているからなのかもしれません。

 

高瀬
「素人の私でも、とても濃い音色、つやのある音色だなと思いますが、この『音楽は悲しみの中から生まれる』という言葉が非常に切ないんですけれども、今その音色が多くの人の胸を打っているということですよね。」

和久田
「若林さんは、若手の育成にも熱心に取り組んでいたということです。
そうした思いを受け継いだ音楽仲間たちが今、『若林暢音楽財団』を運営し、若手音楽家の育成や、地方の子どもたちにクラシックを届ける活動を始めています。
CDの売り上げの一部は、こうした財団の活動に使われるということです。」