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2017年8月17日(木)

父はなぜ平和の鐘を贈り続けたのか

三條
「けさのクローズアップ。
今週は、戦争の歴史や平和へのメッセージをお伝えしています。」

和久田
「まずは、こちらをご覧ください。」

ニューヨークにある国連本部です。
敷地内に日本庭園があり、そこには鐘もあります。
各国の首脳が世界の平和や課題などについて話し合う、国連総会。
その総会が開かれる9月に毎年鳴らされてきました。
60年以上続いてきた、平和への願いです。

三條
「実は、この鐘を贈ったのは日本人です。
太平洋戦争を生き延びた中川千代治(なかがわ・ちよじ)さんという方です。
千代治さんは国連だけでなく、紛争が起きている場所など、140以上の国や地域に、自ら作った『平和の鐘』を贈ってきました。」

和久田
「そして、その娘の髙瀨聖子(たかせ・せいこ)さんです。
父の千代治さんの思いを引き継ぎ、『平和の鐘』を贈る活動をはじめ、この夏、ミャンマーを訪れました。
時を経て、父から娘へ引き継がれた平和の鐘に込めたメッセージです。」

父から娘へ 引き継がれた“平和の鐘”

リポート:山口雅史(国際部)

先月(7月)、ミャンマーの国立博物館を訪れた髙瀨聖子さん。
自ら作った平和の鐘を贈るためです。
この日出席したのは、宗教政策や文化振興を担当する大臣や高官など、およそ80人。
聖子さんは、父が鐘に込めた思いを伝えました。

髙瀨聖子さん
「“戦争を二度としてはいけない。こんな悲惨なむごいことを、若いこれからの人たちに味わわせてはいけない。それを伝えるのが生き残った自分(父)の役目だ”と。」

今回、ミャンマー政府は、聖子さんの平和への思いを理解して、鐘を受け入れることを決めました。

ミャンマー アウン・コー宗教文化相
「(日本は)先の大戦で辛い経験をしているので、平和の価値を最も理解している国。
その日本から平和の鐘をもらえたのはとてもうれしい。
大切にしたい。」

今回、聖子さんは、より多くの人が気軽に鐘を鳴らせるようにと、手で持ち運べる大きさにしました。

髙瀨聖子さん
「この鐘を平和の象徴としてみんなに知ってもらいたいし、鐘に平和を祈ってほしいという思いだったんですね。
父が伝えてくれと言っていたことを、ひとつ伝えられたという思い。」

聖子さんの父・千代治さん。
戦後、地元の愛媛県で仕事をするかたわら、「平和の鐘」を各国に贈る活動を20年以上続けてきました。
“二度と戦争を起こしてはいけない”。
鐘には、戦争を体験した千代治さんの強い思いが込められていました。
千代治さんが亡くなった後、この活動は途絶えていました。
娘の聖子さんは、自分には関係がないと思っていたといいます。
聖子さんは、目の前にいる困っている人を助けたいという思いから、およそ40年にわたって介護の仕事を続けてきました。
父が訴え続けてきた「世界平和」というのは、あまりにも大きな話で、理解できなかったのです。

髙瀨聖子さん
「父がなぜそこまでやろうとしたか、何をそこに込めたか、そういうことを知らなかったし、知ろうともしなかった。
うそじゃないのというか。
あまりにも心がきれいすぎて。」

聖子さんの気持ちが大きく変わったのは、仕事を退職した後。
父が残した資料を整理する中で、鐘に込めたその思いを知りました。
実は、父が作った「平和の鐘」には世界中から集めた大量のコインが使われていました。

自ら世界各国を回り、出会った人たちに、身ぶり手ぶりも交えて、平和の鐘への思いを説明。
コインを寄付してもらったのです。
コインを1枚でも多く集めることが、平和を築くことにつながるという信念からでした。
ひとりひとりの思いを世界平和につなげようとしていた父の活動。
聖子さんは引き継ごうと決めました。

聖子さんは父と同じように、知り合いやそのつてをたどって、世界各国からコインを集めました。
中国や、南アフリカ、内戦が続く中東のシリア。
70の国や地域のコインで作られた新しい鐘です。



髙瀨聖子さん
「いろんな人が関わっているということは、(父と)同じ平和への思いが世界中にあったんだと感じた。
だからこれはすごく大事なことなんだと。
だから自分は、今それを消しちゃいけない。」

子どもたちに平和への思いを直接伝えたい

今回のミャンマー訪問。
聖子さんは、この鐘を持って行きたい場所がありました。
未来を担う子どもたちに、この鐘に込めた平和への思いを直接伝えたかったのです。

髙瀨聖子さん
「世界には、今、まだ戦争やテロが起きているところがいくつもあります。
自分たちだけ平和だったらいいということではありません。」

この日、鳴り響いた鐘の音。
70年余り前、千代治さんも、このミャンマーで同じように鐘の音を聞いていました。

昭和16年、戦線が拡大する中で当時のビルマに配属された千代治さん。
資材や物資が不足し、追い詰められていく中、部隊は全滅。
千代治さん自身も右足に重傷を負い、意識を失いました。
この時、鐘の音で意識を取り戻したといいます。
千代治さんは、鐘によって生かされたと感じ、平和を強く願ったのです。
70年余りの時を経て、鐘に込めた平和への願いが子どもたちに引き継がれました。

“すべての人たちが
身も心も穏やかに
平和でありますように”

子ども
「けんかをしたくなっても、平和の鐘の音を聞けば穏やかになれそう。」

髙瀨聖子さん
「平和を願いたい時が必ず誰にもある。
その時にきっと思い出してくれる。
“そういえば、あそこで平和の鐘をたたいたな”と。」

聖子さんは、鐘に込めた父の平和への思いを、このミャンマーで改めて確認したといいます。

髙瀨聖子さん
「“世界平和はまず自分の所から”だと父は言っている。
ひとりひとりが“本当にこれっていいことなのか”“大事なことなのか”ということを考えて、そして“平和ってなんだろう”という、身近なことから考えていきましょうと。
それは自分(自身)にも言い聞かせていること。
そういうことからひとつひとつやっていきます。」


 

三條
「世界の人たちの汗がしみ込んだコインでできた『平和の鐘』、この鐘の音を聞いたミャンマーの子どもが『けんかをしたくなっても音を聞けば穏やかでいられそう』と話していましたが、まさにそういう感じで、ふだん自分が周囲の人に対してどうふるまっているか、改めて背筋が伸びる思いがしました。」

和久田
「世界の平和という大きなテーマでも、そうした身近なところからひとつひとつ積み上げていけば何かが変えられるかもしれない、そんなふうに思わされましたね。
今回、聖子さんがミャンマーに贈った『平和の鐘』は、国会や寺院など、多くの人たちが訪れる場所に設置されることになっています。」

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