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2017年8月15日(火)

なぜ病院船は終戦直後に沈没したのか

三條
「今日(15日)から3日間にわたって、戦争の歴史や平和へのメッセージをお伝えします。」

和久田
「初日の今日は、1隻の『沈没船』についてです。
終戦直後、原因不明の沈没を遂げ、行方が分からなくなっていた日本海軍の船が、今回NHKの取材で発見されました。」

三條
「船は、なぜ沈んだのか。
背景を探ると、戦争の新たな事実が見えてきました。」

謎の沈没船 発見 知られざる事実

リポート:寺島工人(NHK福井)

京都舞鶴港から、およそ40キロの若狭湾。
今年(2017年)3月、NHKの取材班が、海洋調査会社の協力を得て沈没船の撮影に臨みました。
この海域に、船らしいものが沈んでいるという目撃証言があったからです。
プランクトンが多く、濁りが強い海。
カメラを海底近く、水深120メートルまで沈めると…。

「怪しいのが出てきた。」

突然、大きな鉄の塊のようなものが姿を現しました。
横倒しになった巨大な船。
デッキは何層にも積み重なっています。
全長およそ140メートル。
ジャンボジェット2機分の大きさです。
側面には、円い窓のような穴が並んでいます。
船首は高さおよそ11メートル。
大型客船並みの規模です。

海洋調査会社
「正直びっくり。
小型船は見かけないこともないけど、100mオーバーは初めて。」


 

一体、どんな船なのか。
専門家に映像の分析を依頼しました。

長年、沈没船の研究をしている大井田孝(おおいだ・たかし)さんです。

大井田孝さん
「上部の構造物が残っている。
いろんな映像が出ているので。」

デッキの作りに、船首の形、船底からの高さなどの特徴から、大井田さんは船の正体を割り出しました。

大井田孝さん
「あの映像から総合的に判断して、『第二氷川丸』に、ほぼ間違いないだろう。」

第二氷川丸。
昭和18年4月から海軍の「病院船」として活動した船です。
病院船とは、負傷した兵士たちを救助する船で、国際法で「攻撃してはならない」と定められていました。
敵味方なく治療が行われた、いわば「海上の聖域」。
日本はわかっているだけで36隻を所有していました。

資料を基に再現した、第二氷川丸の姿です。
白亜の船体に大きな赤十字を背負い、パラオやフィリピンなど南洋を航行。
傷病兵たちの治療に当たりました。
しかし、終戦直後に原因不明の沈没を遂げ、行方がわからなくなっていました。
その船が、今回の撮影で見つかったのです。

水中考古学者 井上たかひこさん
「これはもう、新しい、あるいは史実を変えるような発見だろう。
『戦艦大和』に匹敵するくらいのテーマの船。」


 

第二氷川丸は、なぜ沈んだのか。
背景を探ると、いくつもの秘密が見えてきました。
この船は、もともと日本のものではありませんでした。
敵の船を捕らえた抑留船だったのです。

その船とは、オランダの病院船「オプテンノール号」。
昭和17年2月、インドネシア沖での戦闘の際、この船が不審な動きをしたとして日本軍が捕獲しました。
その上で、煙突を新たに加えるなど改造し、日本のものとして運用したのです。
国際法に違反する行為でした。
さらに映像からは、この船が「病院船」の役目以外に、秘密の任務も負っていた形跡が浮かび上がってきました。

大井田孝さん
「このデリックの部分。
クレーンというか。」

「デリック」と呼ばれる重い荷物を運び込むための装置です。
病院船には必要のないものだと言います。

大井田孝さん
「何のために…。
さあ、それは問題。」

「普通は要らない?」

大井田孝さん
「まさかそんな、要らんでしょ。」

なぜ必要のない装置を備えていたのか。
その事情を知る、当時の乗組員にたどりつくことができました。

山田三郎(やまだ・さぶろう)さん、96歳。
けが人の看護などに当たる衛生兵として乗船していました。
第二氷川丸は、病院船には禁じられていた「武器の輸送」もしていたというのです。

元衛生兵 山田三郎さん
「兵器も1回、載せていった。
大砲みたいなもの。
それがいけないということくらいは、うすうすは知っていた。
だけど私らが、それをどうこう言う気もないし、何か言っても通らないし、そんなことはできなかった。」

さらに音声だけで証言した別の乗組員は「大量の兵士を運んだ」と語りました。

声:元乗組員
「横須賀から陸軍を500人くらい乗せて、ニューブリテン島の基地に陸軍を降ろした。
どうしても隠れた存在で、ないしょで運送していたんだろう。」

こうした不正は他の病院船でも行われ、その事実は敵国にも発覚。
患者を装った兵士が連行されたり、攻撃をうけたりする船が相次ぎ、病院船は「海上の聖域」ではなくなっていきます。

終戦直後になぜ 沈没した“病院船”の謎

昭和20年8月15日、第二氷川丸は舞鶴港で終戦を迎えます。
ところが、そのわずか3日後の8月18日。
なぜか港を出て、2度と帰って来ませんでした。
オランダ船から改造され、日本の病院船へ。
不正に利用され、海に沈んだ第二氷川丸。
港を出発する最後の姿を見たという男性から話を聞くことができました。

別の病院船の航海士だった竹澤鍾(たけざわ・あつむ)さん、93歳。
沈没は、海軍自身が行ったものだといいます。

別の病院船の元航海士 竹澤鍾さん
「『証拠隠滅』のために沈めたなって、乗組員から聞いた。
第二氷川丸はオランダの船で、日本がぶんどった船を病院船にしたことはみんな知っていた。
何か悪いことがばれたりすれば、いろいろと、また問題になる。
沈めてしまうのが、いちばんいいと思って、それで海軍が沈めたんじゃないか。」
 

和久田
「今回の海中撮影を機に、元乗組員たちは、病院船を巡って戦争中何があったかを知ってほしいと、取材に応じてくださいました。」

三條
「海の底に眠る第二氷川丸は、ひとたび戦争が起きれば『人道的なルール』さえもゆがめられてしまうということを、戦後72年経った今、私たちに語りかけています。」
 

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