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2017年8月13日(日)

野球人生に“リベンジ”を 元高校球児 勝負の夏

小郷
「熱戦が続く、夏の甲子園。
実は今、かつて高校野球に青春をささげてきた人たちが、再び日本一を目指して戦っています。」

 

二宮
「社会人野球のクラブチームの日本一を争う全国大会。
その予選が各地で行われているんです。
全国に261あるクラブチーム。
企業チームとは異なり、選手はふだんは別々の仕事をしながら、部費を出し合い、チームを運営しています。」

小郷
「その中に、野球人生で味わった挫折や敗北をリベンジしようと、白球を追い続ける人たちがいます。
チームの名は『リベンジ99』。
その、ひと夏を追いました。」

野球人生に“リベンジ”を 元高校球児 勝負の夏

東京・足立区。
とある自動車整備工場。
仕事を終えた男たちが集まってくる。


 

クラブチーム「リベンジ99」。
部員は、19歳から36歳までのおよそ40人だ。

建築会社に勤める、森拓也(もり・たくや)選手、34歳。
チームで2番目のベテランだ。



 

17年前の夏の甲子園。
森さんは4番バッターとして、決勝の舞台に立った。
3安打を打つも、あと一歩届かず準優勝。
それでも、高校日本代表に選ばれ、卒業後はプロ入りを希望していた。
しかし、プロからの指名は無し。
そのショックから、進学した大学の野球部を半年でやめた。
学校も中退。
プロを目指す道を自ら閉ざした。

森拓也さん
「気持ちが弱かったんでしょうね、当時は。
いま思うと本当にもったいないことをしている。
昔に戻れたら、本当に怒ってやりたい、自分のことを。
何をやってるんだって。」
 

そんな時、知り合いに紹介されたのが「リベンジ99」だった。

野球人生につまずいた森さんに、監督の浅古純一(あさこ・じゅんいち)さんは、チームが大切にしているモットーを伝えた。

“どんなに努力しても報われないことがある。
心のやり場がなく、他人や環境のせいにしたりもする。
悔しくて、悔しくて、全身が震えるほど悔しくて涙が出てくる。
でも、それがどうした?そこからがスタートだ。”

チームメートはみな、自分と同じように野球で挫折を味わった者たち。
森さんは居場所を見つけた。

浅古純一監督
「水が合ったのかもしれないね。
森が森でいられる。
よそ行きの森でなく、ありのままの森拓也でいられるチームだったのかな。」

中途半端にやめた野球と、再び向き合い始めた森さん。
しかし入部から5年、さらなる試練が襲いかかった。

24歳の若さで、精巣がんを発症。
片方の精巣を摘出する手術を受けた。

森拓也さん
「何かの間違いじゃないか。
本当に生きられるのかな。
何年生きられるんだろうって、ずっと考えてしまって、本当にどん底まで落ちてしまって。」

絶望の中にいた森さん。
監督の浅古さんは、チームのモットーの意味を説いた。
野球だけじゃなく、人生も逆境に立たされたときこそがスタートだ。

浅古純一監督
「常に再チャレンジになるわけですよ。
病気からも当然再チャレンジですし、試練を乗り越えて、人間って成長していくものだと思う。」

 

この夏、森さんは大きなチャンスをつかもうとしていた。

クラブチーム日本一を決める全日本クラブ野球選手権。
その東京都予選を勝ち抜き、関東予選に駒を進めた。
突破すれば全国大会。
それは森さんにとって、青春時代のリベンジの舞台となる。

関東予選1週間前、最終調整として行われた練習試合。
しかし、4番を任された森さんの調子が上がらない。
5打数ノーヒット。
2試合連続でヒットを打てずにいた。

 

関東予選3日前。
森さんは病院を訪れた。
年に一度の定期検診。
今もがんの再発のリスクと闘っているのだ。
検査結果が告げられる。

医師
「採血も特に大きな問題はなくて、腫瘍マーカーは正常ですし、他の値も特に気になる値はないので、順調な経過だとは思います。」

がんの転移は無かった。
森さんは、野球を続けられる喜びをかみしめていた。

森拓也さん
「検査結果を聞いて、しばらくは本当に(病気を)忘れられるので、とりあえず良いタイミングで検査で、ばっちり野球に臨めるなって。」

病と闘いながら野球にかける森さんを、家族はずっと支えてきた。

27歳で結婚した、同級生の愛さん。




 

4年前には、長女の七夏ちゃんも生まれた。
家族との時間を犠牲にしながらも、全国大会出場を目指す森さん。
愛さんも思いは同じだ。

妻 愛さん
「全国(大会)行ってほしい。
せっかく応援行くし。」

森拓也さん
「家族が喜んでもらえる、やらせてあげて良かったって思えるような結果を出したい。」

食事を終えた後。
森さんは、黙々とバットを振り続けた。
中途半端に投げ出した野球へのリベンジ。
病と闘う覚悟、そして家族への恩返し。
34歳となった今、もう一度、全国の舞台で輝いてみせる。

森拓也さん
「背負っているものが違うんだぞっていうぐらいの気持ちで臨みたい。
今大会で全国行って、仮に自分のバットで全国に行けたとなれば、何かまた違う世界が見えてくるんじゃないかな。
またひとつ自信になるんじゃないか。」

先月(7月)29日、関東予選当日。
2連勝すれば、念願の全国大会出場が決まる。
第1試合の相手は、全国制覇10回を誇る強豪。
1回、ランナーを1人置いて、森さんの打席。
タイムリースリーベース。
チームに先制点をもたらす。
 

さらに、追加点を呼び込むヒット。
2対1で勝利。
全国大会まで、あと1つ。

森拓也さん
「あと1勝だから全員で、全員で勝ちにいきたい。」
 

いよいよ第2試合。
5点をリードされ、迎えた4回。
ノーアウト1塁3塁。
絶好のチャンスで森さんに打席が回ってきた。
自分のため、そして支えてくれる人たちの思いを背負って。

森拓也さん
「本当に自分の人生懸けて、打席に立っていた。」

ランナーは返せなかった。
初の全国大会出場はかなわなかった。
試合後、監督の浅古さんが伝えたのは、あの言葉だった。


 

浅古純一監督
「あと一歩、本当にあと一歩。
それがどうした、ここからが本当のスタートだ。
人生の中に逆境もたくさんあるから、ここでもう一度挑戦することによって、幸せな未来を勝ち取ってくれ。」
 

人生、負けても負けても、そこからがスタート。
“リベンジ戦士”たちは、何度でも立ち上がる。

森拓也さん
「挑戦し続ける限りは敗者ではない。
来年もやろうって思っている。
負けたおかげで、来年に気持ちを切り替えられたから。
また現役かって。」

 

小郷
「野球も人生も、苦しい時やつらい時こそがスタート。
それがどうしたという気持ちで挑戦を続ける。
そうありたいなというふうに感じましたし、学ばせていただいた気がしましたね。」

二宮
「森さんは、試合に敗れた4日後から練習を再開したそうなんですが、夏休みの間は、これまでほとんどできなかった家族サービスもしてあげたいと話していたそうです。」