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2017年8月12日(土)

戦時死亡宣告 取り戻したい 生き別れの記録

小郷
「『戦時死亡宣告』という言葉をご存じでしょうか。
太平洋戦争が終わった後、旧満州など、海外に行ったまま日本に帰って来ない人の整理を進めるため、国は、終戦から14年がたとうとしていた昭和34年、特別措置法によって、戸籍上は死亡したことにする制度を作りました。
戦後の決着をつけることが狙いでした。」

二宮
「死亡宣告を受けた人は、およそ2万人にも上りました。
ところが、実際には、今も生きている人たちがいます。
実の家族との生き別れの記録。
物語っていたのは、壮絶な人生の軌跡でした。」

戸籍が物語る 親子 生き別れの記録

リポート:早川きよ

埼玉県所沢市に住む矢嶋克子さん、72歳です。
矢嶋さんは旧満州で生まれ、1歳の時に孤児になりました。
「克子」という実の名前がかかれた戸籍では、死亡とみなされていました。

 

矢嶋克子さん(72)
「死んだままになっている戸籍です…。」

矢嶋さんは、中国に残った日本人の養父母に「和子」という名前で育てられてきました。
孤児であることを知ったのは、10歳の時です。
近所の人の話から、自分がもらわれた子どもだと聞きました。
以来、実の親に捨てられた子どもだと、投げやりな幼少時代を過ごしてきました。

矢嶋克子さん(72)
「(実の親は自分を)捨てたんだと思いました。
自分が誰だか、わからない時は、困難にぶつかると、もうどうでもいいや、死んでしまえって、簡単に思うんだけど。」

矢嶋さんは、13歳で日本に帰国。
20歳で結婚をしましたが、親に捨てられたという思いは消えませんでした。
そんな時、実の姉だという人が、突然、訪ねてきました。

矢嶋克子さん(72)
「本当に全身の鳥肌がたったんですね。
これは自分の肉親だって、直感的に思いました。」

姉は、自分を捨てたと思っていた両親の話を語り出しました。

一家6人は、満州で暮らしていました。
ところが、敗戦を機に、父はシベリアに抑留されます。
母は現地で病気となり、亡くなりました。
姉からは思いがけず、これまでの誤解を解く話が出てきました。
母は自分たちを捨てたのではなく、死ぬ間際に、自分や兄弟たちを生かそうと、育ててくれる家庭を必死に探し、託したというのです。

矢嶋克子さん(72)
「子どもたちを全員、最後まで面倒を見られず、赤ちゃんまで、人に託すことになるわけでしょ。
それは、お母さんの偉大さも感じる。
女の人としての強さ、この子たちを生かそうという強さ。
(この話を聞いて)自分の中のすべてが変わって…。」

“自分は捨てられたんじゃない”。
そう思えるようになった、もう1つの事実がありました。
それは、父がシベリアから帰国した直後、行方の分からない自分を改めて戸籍に入れ、帰りをずっと待っていてくれたことでした。

矢嶋克子さん(72)
「きちんと生まれたという証拠を、父は残してくれた。
父の愛情だと思う。」


 

矢嶋さんはその後、死亡宣告を受けた戸籍を回復したいと思いましたが、自分を育ててくれた人を悲しませたくないと、養父母が生きているうちは、なかなか踏み切れませんでした。
そんな中、去年(2016年)養母が亡くなり、自分も新たな一歩を踏み出してもいいのではないかと考えるようになりました。
そして今年(2017年)6月、死亡宣告の取り消しを求め、弁護士を通じ、ようやく戸籍を回復しました。

70年以上名乗ってきた、“和子”という名前も、実の親がつけた“克子”に戻しました。

矢嶋克子さん(72)
「やはり死ぬときには、自分自身の本当の名前で死にたい。
自分のルーツがしゃきっとした、きちんと決まった、安心感ができた。
この世に生まれてきた存在感みたいなものが、回復したような気がする。」

親の愛情を知った矢嶋さんは、自分と同じ境遇の残留孤児への支援活動に力を入れるようになりました。
残留孤児の多くは、自分が捨てられたという思いが強いのです。

残留孤児の男性
「なんで祖国の日本は私たちを見捨てたんだろう。」

矢嶋克子さん(72)
「帰国したら戸籍が死亡となっていて、それってどう感じた?」

残留孤児の女性
「死んでないのに死亡となっていたのは、自分は不必要ということだと思った。」

残留孤児の男性
「自分は親から必要とされなかった人間だと、そういう思いだよね。」

矢嶋さんは、残留孤児が前向きに生きられるよう、自分ができる事はないかと考えていました。

矢嶋克子さん(72)
「孤児になったいきさつも、捨てられたわけではなく、いやおうなしに、そうなっていった。
親から捨てられたと思っていようが、惨めと思っていようが、この社会の中では、必ず誰かがそばにいる。
自分自身もまた、そういうふうになれれば。」

今、矢嶋さんは、自分の使命を果たそうと、新たな人生を踏み出しました。

取り組んだのは、残留孤児たちの生きた証しを残すための執筆です。
戦争に翻弄されながらも力強く生き抜いた、一人ひとりの壮絶な人生。
矢嶋さんが取り戻した、“克子”の名前で刻みます。



二宮
「親からも見捨てられ、そして死亡宣告によって国からも見捨てられたという2重の思いを、つらい思いを持って生きてこられたんですね。
残留孤児の中には、戸籍すら確認できない人がいるのも事実です。」

小郷
「戦争によって人生を翻弄された残留孤児1世の思いを知って、戦後72年が経とうとする今も、戦後は終わっていないんだなというふうに、改めて感じました。」

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