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2017年7月2日(日)

“マハラジャ”に再び バブル世代の軌跡

小郷
「けさの特集の舞台は、日本がバブルに踊った1980年代、ブームを巻き起こした『ディスコ』です。」

二宮
「『お立ち台』に『ワンレン』『ボディコン』『黒服』など独特の文化を生み出し、『バブルの象徴』と言われたディスコ、『マハラジャ』。
大阪・ミナミで生まれ、全盛期には全国でおよそ60店舗を展開しましたが、バブル崩壊と共に、すべて閉店しました。」

小郷
「その大阪のマハラジャが今年(2017)3月、発祥の地で復活しました。
当時、青春をおう歌した40代後半から50代の、いわゆる『バブル世代』が詰めかけています。」

小郷
「バブル崩壊後の激動の時代。
彼らはどんな人生を送り、どんな思いで再びマハラジャに集うのでしょうか。」

“マハラジャ”に再び バブル世代の軌跡

リポート:棚橋大樹(大阪局)

大阪・ミナミに25年ぶりに復活した「マハラジャ」。
営業は午後7時から翌朝まで。
200人が入るダンスフロアは連日満員です。

客の多くは、かつてマハラジャに通った中高年の人たち。
若かりし頃の記憶がよみがえるといいます。

「お立ち台には?」

「上がっていました、取り合いでした。
登って(他の客を)押して降ろす。」

「マハラジャは同伴でないと、女の子としか入れなかったから、だから当時のDCブランドの服を着て、(外で)女の子を待って『一緒に入ってくれへん』とか言って。」

「1万円見せてタクシー乗るとか、あと“アッシーくん”とか“メッシーくん”とか本当に普通に存在していた。」

お立ち台で、扇子を片手に熱く踊る女性たちがいました。
楠山麻紀(くすやま・まき)さん、47歳。
大学生だったバブルのころ、マハラジャによく通っていました。
バブル崩壊後、ディスコ通いをやめ、結婚。
2人の子どもをもうけました。

子育てに奮闘する毎日。
そんな楠山さんをつまづきが襲います。
23歳の時に母親を亡くし、その後、父親も失踪したという楠山さん。
自分はきちんと子育てをしたいと思うあまり、負担を抱え込み、うつ病を発症したのです。

楠山麻紀さん
「両親もいないし、頼るところが全くなくて。
家にも(頼れる人が)誰もいないし。
それがつらかった」

楠山麻紀さん
「これは定番です。」

そんな時、支えになったのがディスコミュージック。
元気だったころの自分を思い出させてくれました。
子どもたちも、うつ病から立ち直ろうとする楠山さんを後押ししてくれました。

楠山麻紀さん
「『ママもう死のうかな』とか『死にたいわ』と、よくこの子に愚痴ってしまう。
そのときに『ママがいなくなったらディスコの曲が聞こえなくなる』『音楽が聞けなくなるのが寂しい』と言ってくれたこと、全部覚えている。
それでまたママは生きよう、頑張ろうと思えた。」

そんな中、復活したマハラジャ。
子どもが成人したら、一緒に踊りたい。
楠山さんは、前向きな気持ちを取り戻しつつあります。

楠山麻紀さん
「(20歳の)誕生日と同時に行こうね。」

息子
「20歳になった瞬間に?」

楠山麻紀さん
「12時前にマハラジャの前で。」

息子
「あほや。」

楠山麻紀さん
「行ってくれる?」

息子
「うん。」

復活したマハラジャに集まってくるバブル世代は、客だけではありません。
従業員を束ねるマネージャーの林道晴(はやし・みちはる)さん、53歳です。

かつてのマハラジャで黒服だった林さん。
バブル崩壊後の平成8年、店の閉店とともに働く場を失いました。
その翌年、再起をかけて、イタリア料理店を開業。
バブルの頃の勢いを取り戻そうと、3店舗にまで拡大しました。
しかしその後、時代はデフレに突入し、売り上げが激減。
外食産業の厳しい競争に敗れ、去年(2016年)、店を閉めました。

林道晴さん
「ここの1階と2階(に店があった)。」

林道晴さん
「営業の浮き沈みで、沈んでいるときは本当に大変だった。
従業員の給料を払える払えないとか、しんどい思いもたくさんした。」

景気の波に翻弄されてきた林さん。
再び立ち上がろうと決めたのは、10歳になる息子がいたからです。
何度壁にぶつかってもへこたれない姿を見せたい。
マハラジャに復活をかけます。

林道晴さん
「自分の人生では底までいったと思う。
これは底であって、今からは上るしかない。
(マハラジャと一緒に)僕も復活ですよね。」

夜10時過ぎ。
マハラジャの盛り上がりはピークを迎えます。
華麗なステップで踊り続ける男性がいました。

「すごいキレですね。」

浜田晃(はまだ・あきら)さん、56歳です。

「よく来ていた?」

喉にできたがんの治療のため、5年前に声帯を摘出。
声が出せなくなりました。

浜田晃さん
「今の嫁はんと(昔来ていた)。」

自宅で闘病生活を送る浜田さん。
数年前から、がんが肺や食道にも転移。
何度も手術を繰り返すうちに、残された命を意識するようになったといいます。

 

浜田晃さん
「2019年の9月が(寿命の)ライン。
神頼みとかそんなもん大嫌い、もう現実を見てるタイプやから。」

 


実は、浜田さんは元プロボクサー。
常にKOを狙う攻撃的なスタイルが信条でした。

勝利のあとはディスコに向かい、朝まで踊り明かすのが何よりの楽しみでした。
引退後は青果市場などで働き、2人の子どもを育て上げた浜田さん。
人生の折り返し地点を迎えた49歳のとき、かつて鍛えあげた体に、がんが見つかりました。
手術にのぞむときも、攻めの姿勢は崩しませんでした。
命をかけた手術をリングに見立て、笑顔のファイティングポーズ。

浜田晃さん
「さあ今から始まるんやで、楽しみやなあ。
絶対に勝ったんねん。」

手術を乗り越えた浜田さん。
今の目標は、体力を維持し、一日でも長くマハラジャで踊り続けること。
そんな浜田さんを支えてきた、お気に入りのディスコチューンがあります。

♪Get Up (I feel Like Being A)Sex Machine
“さあ立ち上がれ
立ち上がるんだ 立ち続けろよ”

つまずき、時に倒れることがあっても、立ち上がってきた「バブル世代」。
今夜もマハラジャで情熱を燃やし、人生の後半戦を切り開いていこうとしています。

 

 

二宮
「皆さん、本当に身も心もバブルの時代に戻ってますね。
私は小さい子どものときだったので『バブルがよかった』と聞いてもピンとこないところがあるんですが、これを見ると、あのときのことが今も前へ進むための活力になっている、それぐらいエネルギーのある時代だったのかなと思いますね。」

小郷
「皆さん激動の時代を過ごしてらっしゃるので、いろんな状況の中でも本当にいつでも前向きで、たくましいなと感じましたね。」

二宮
「私たちもエネルギーをいただきましたね。」

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