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2017年5月28日(日)

被爆者が見た ゲルニカ爆撃80年

小郷
「こちらは、スペイン出身の巨匠、ピカソの「ゲルニカ」。
世界で最も知られた戦争画の1つです。
描かれているのは、爆撃で亡くなった子どもを抱きしめながら泣き叫ぶ母親。
逃げ惑い苦しむ人々。
80年前にスペインの町・ゲルニカで起きた戦争の悲劇です。」

二宮
「1937年、スペイン内戦に介入したナチスドイツの爆撃機がゲルニカの町を攻撃。
1,600人あまりの命を奪った、史上初の大規模無差別爆撃と言われています。
その後、無差別爆撃は歯止めなく規模を拡大していきます。
 

8年後、長崎に投下された原爆。
町は一瞬のうちに廃墟となり、およそ7万人が犠牲になりました。」

小郷
「先月(4月)下旬、ゲルニカ爆撃からちょうど80年になる追悼の日に合わせて、長崎の被爆者たちがゲルニカを訪れました。
無差別爆撃という悲劇に見舞われたゲルニカと長崎。
2つの町の市民の交流を見つめました。」

“ゲルニカ”と“ナガサキ” 無差別爆撃 悲劇の町

リポート:畠山博幸(NHK長崎)

長崎市の平和公園です。
修学旅行生に被爆体験を語っている男性がいました。

被爆者 末永浩さん(81)
「ここのあたりでは、人間の遺体が蒸発したか、黒い塊になっていた。」

今回の訪問団の1人、末永浩(すえなが・ひろし)さん、81歳。
9歳の時に被爆しました。

被爆者 末永浩さん(81)
「たくさん放射能を浴びたり、放射能のある空気を吸ったりし、被爆したのでしょう。
お母さんも妹もがんで亡くなった。
1人でも10人でも100人でも1万人でも、人の命は尊い。」

原爆の悲惨さや、被爆者の思いを伝える活動を40年以上続けています。

末永さんは、戦争の恐ろしさをより多くの人に訴えるため、紙芝居も制作してきました。
しかし戦後70年以上がたち、被爆の記憶が薄れる中、自らの体験を伝えていくことに難しさを感じています。

被爆者 末永浩さん(81)
「原爆をいくら語っても、受け取る側の認識にならずに、嫌なことはすぐに忘れてしまうということが怖いですね。」

戦争の悲惨さを描いたピカソのゲルニカ。
今も見る人の心を揺さぶりつづける力は何なのか、末永さんは長年関心を持ち続けてきました。
今回の訪問で、作品に描かれたゲルニカの町を目に焼き付けたいと思っています。

被爆者 末永浩さん(81)
「ピカソの怒りとか悲しみというのは、よくわかります。
(ゲルニカ爆撃は)長崎の原爆につながってくる。
だから、どうしてもゲルニカを見てみたい。」

スペイン北部の古都・ゲルニカ。
先月下旬、長崎の被爆者ら28人が訪れました。
ゲルニカ訪問を心待ちにしていた末永さんです。

被爆者 末永浩さん(81)
「ゲルニカの当時のことを確かめて帰りたい。
こちらの人と交流したいですね。」

末永さんたち被爆者を迎えてくれたのは、ルイス・イリオンドさん、94歳。
80年前に起きたゲルニカ爆撃の数少ない体験者です。


 

イリオンドさんの案内で末永さんたちが向かったのは、爆撃を記録した博物館です。

ゲルニカ爆撃 体験者 ルイス・イリオンドさん(94)
「こちらが戦争中の写真です。」

 

破壊された町の様子を写した写真や、爆撃に使われた焼い弾が展示されていました。

たくさんの市民たちが逃げ込んだ防空ごうは、今も当時と同じ姿のまま残されていました。

ゲルニカ爆撃 体験者 ルイス・イリオンドさん(94)
「逃げ込んだ人でいっぱいになって、すぐに息が苦しくなった。」

市民が犠牲になる戦争の悲惨さを共有した時間になりました。
 

ゲルニカ爆撃から、ちょうど80年の先月26日。
大勢の市民が町の広場に集まり、黙とうを捧げました。

犠牲者が眠る郊外の墓地では追悼式が行われ、500人が集まりました。
参列した末永さんが感銘を受けたことがありました。



 

ゲルニカを爆撃したドイツの献花。
20年前、ゲルニカは加害国ドイツと和解していたのです。
実は、その道を切り開いたのはイリオンドさんでした。


 

1997年、ゲルニカ市民の前で爆撃の罪を認めたドイツ。
これに対し、イリオンドさんが行ったスピーチが、敵味方を超えたつながりを生むきっかけとなったのです。


 

ルイス・イリオンドさん(当時74歳)
「不条理な爆撃が私たちにもたらしたのは、憎しみや復しゅう心ではなく、平和を強く望む心でした。」


 

イリオンドさんは、80年の節目に当時と同じメッセージを伝えました。

ゲルニカ爆撃 体験者 ルイス・イリオンドさん(94)
「(ドイツの人たちが)ゲルニカに来るようになりました。
戦争中はできなかったが、いまは手を広げて歓迎します。
ともに平和の道を歩みましょう。」

大切なのは、「憎しみを超えた平和への強い願い」。
この言葉が末永さんの心に響きました。

末永さんが向かったのは、町の中心に再現された、あのゲルニカの壁画でした。

被爆者 末永浩さん(81)
「念願かなって、やっと来ました。」

末永さんが戦争の悲惨さや怒りを表現していると感じていたゲルニカ。

被爆者 末永浩さん(81)
「怒り、悲しみのほかに、祈りとか希望があるのがわかりました。」

「戦争への怒り」から「平和への希望」。
ゲルニカに対する感じ方が変わっていました。

イリオンドさんが長崎から来た訪問団に被爆体験を語る場を用意してくれました。
集まったのは、10代の若者を中心とした150人。
末永さんは、自作の紙芝居を持って登壇しました。

 

末永さんの言葉には、平和を願う、強い気持ちが込められていました。

被爆者 末永浩さん(81)
「私たち被爆者は訴えます。
命のあるかぎり、訴え続けます。
ノーモアヒロシマ。
ノーモアナガサキ。
ノーモアヒバクシャ。
ノーモアウォー。」

ゲルニカとナガサキ。
2つの都市の平和への思いが1つに重なりました。

被爆者 末永浩さん(81)
「ゲルニカに学んで、僕たちも敵味方を超えて認識を深めなきゃいけないと思います。
こっちで学んだことを自分なりの表現で、日本の人に伝えたいと思っています。」
 

二宮
「敵味方、被害者、加害者ということを越えて、ともに平和の道を歩んでいこうというイリオンドさんの言葉、印象的でしたよね。」

小郷
「憎しみや怒りではなく、平和への希望なんだという印象が変わったということでしたけれども、私自身も大きなことに気付かせてもらったなというふうに改めて思いましたね。」

二宮
「末永さんたち長崎の訪問団とゲルニカの人たちは、次の世代に思いをつなげるためにも、今後も交流や話し合いを続けていくことにしています。」