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2016年9月18日(日)

漂流ポスト 〜亡き人に綴る手紙〜

小郷
「東日本大震災から、5年半の月日が流れました。」

近田
「震災で亡くなった大切な家族や友人たちへ、伝えることのできなかった言葉や思いを手紙にして届ける不思議な場所があります。
岩手県陸前高田市にある『漂流ポスト』です。」

小郷
「ポストがつないだ心の文通を取材しました。」

亡き人に綴る手紙 漂流ポスト

リポート:野口宏明(映像取材部)

今も震災の爪痕が残る、陸前高田市。




 

町の中心から車で30分。
鬱蒼とした森の中に、一軒の喫茶店が立っています。

店主の赤川勇治さんです。
震災で家族を亡くした、なじみのお客さんのために、何か出来ることはないか考え続けてきました。
そこで2年半前から始めたのが、亡くなった人にあてた手紙を預かる取り組みでした。
 

郵便配達員
「きょうは3通です。」



 

その名も「漂流ポスト」。
遺族たちに手紙を綴ってもらうことで、少しでも苦しみを和らげてもらいたいと思ったのです。

赤川勇治さん
「一行でもいいから書くことによって、自分の気持ちが分解していくんじゃないか、表に出るんじゃないかということで手紙にたどりついた。」

 

漂流ポストを通じて、思いを伝えることができた人がいます。

臼井良一さんです。
毎年、欠かさず書いてきた年賀状や暑中見舞い。
どうしても1通だけ、手元に残るハガキがありました。


 

妹のようにかわいがってきた、いとこの佐藤カズ子さんにあてたものです。
近所で、看板などを塗装する仕事をしていました。


 

臼井良一さん
「(いつも別れ際に)手を振るんだけど、ペンキ屋だからハケを振ってた、手でなくて。
今でも頭さ入ってんだ。」

 

偶然、ポストのことを知った臼井さん。
ようやくカズ子さんに暑中見舞いを送ることができました。

“暑い、夏です。
夜空に花火が見えますよ。
今年もペンキ屋のカズ子が夜空いっぱいにいろんな色を塗っているんだべな。”

臼井良一さん
「たぶん届いたでしょう、空の上ですけど。
返事は来ますよ。
空に虹を描いて、ペンキで描いて。
年に一回は(手紙を)出すと思います、忘れないために。
やっぱり忘れたくないから。」

赤川さんの喫茶店では、漂流ポストに届けられた手紙をゆっくりと読むことが出来ます。
遺族たちが、苦しみや悲しみを共有できる場所になっています。
これまで、漂流ポストには200通以上の手紙が寄せられています。
手紙を綴ることで、生きる希望を見出そうとしている人がいます。
 

宮城県登米市のアパートで避難生活を続ける、高野慶子さんです。
津波でかけがえのない人を失いました。



 

長男の智則さんです。
車が好きで、自動車の整備工場に勤めていました。
高野さんには、息子の死をどうしても受け入れることができないわけがありました。
あの日、高野さんは仕事の休憩中、自宅に戻った智則さんと昼ご飯を食べていました。
 

高野慶子さん
「お昼食べ終わって『行ってきます』っていうのを『行ってらっしゃい』って。
『お母さんきょう夜勤だから』って言ったのが最後。」

 

その2時間後、町を襲った津波。
あの時、息子に避難するよう、たった1本の電話がなぜできなかったのか。
今も自分を責め続けています。

高野慶子さん
「助けることができなかった。
自分が本当に悪いことをしてしまったという気持ちが強くて。
守ってあげることができなかったという罪悪感ですね。」

2年前、高野さんは漂流ポストのことを知ります。
押しとどめてきた思いを手紙に綴りました。

“おーい、トモおかあさんだよ、元気かぁ?
トモが空に行ってから、4年。
会いたいよ、声が聞きたいよ。
おかあさんはトモの表情、声、体温を感じられない生活にぜんぜん慣れないや。
ときどき、どこからか聞こえてくるトモと同じような車のエンジン音に、トモが帰ってきたって思うんだよ。
近くに居るなら、顔見せて、声聞かせて、お願いだから。”

高野慶子さん
「悲しみとかつらさが全部なくなるわけじゃない。
でも、ほんのちょっとでも出したことで、自分が楽になる。
ちょっとだけ笑えた。」

手紙を綴ることで、気持ちが少し晴れたという高野さん。
しかし、町の復興が進むにつれ、息子を失った悲しみを口にすることにためらいを感じていました。

8月下旬。
高野さんが訪ねたのは、漂流ポストが置かれる赤川さんの喫茶店でした。
家族を失った人たちが手紙にどんな思いを込めているのか、直接、触れてみたいと思ったからです。
 

この日店には、同じように息子を亡くした女性が訪れていました。
高野さんが思いを打ち明けます。



 

高野慶子さん
「自然と考えると泣けてくる。
ちょっとしたことで、(息子が)帰ってきたんじゃないかとか。
いないってことが、うそなんじゃないかなって。」

 

「自分だけ悲しい、自分だけ悔しいって思っていた時があったみたいで、毎日一日一日をどうやって暮らしていくか。」



 

今も誰もが悲しみを抱え、苦しんでいることを高野さんは改めて感じました。

高野慶子さん
「お会いできてうれしいです。
空に向かってきょうも母ちゃんたちは、なんとかやってるよ、生きてるよって。
子どもたちも喜ぶと思います。」

ようやく前を向き始めた、高野さん。
手紙を受け取った息子がどんな返事を書くだろうか。
息子に成りかわって、新たな手紙を書いてみました。

“ある日、おかあさんに似ている人が空色の車に乗っているのを見ました。
おかあさんの車は白だったから、ちがうなと思っていた時にポストに僕あての手紙を見つけました。
車の色が空色に変わった事が書いてありました。
やっぱりおかあさんだったんだな。
だって、あのムスーッとして乗っていたのは夜勤明けだったからなんだなと笑ってしまいました。
おかあさん、また手紙書いてね。
高野智則より”

震災から5年半、新たに始まった親子の文通。
愛しい人へ向けた言葉が、漂流ポストを通してつながっていきます。