キャスター・アナウンサー BLOG

大越健介の現代をみる

真剣勝負の夜

2012年05月23日 (水)

ぼくは政治記者出身ということもあり、インタビュー相手が政治家の場合、ほとんど臆することはない。これが、我ながら縁遠い芸術文化の方面の人だったりすると、突然あがってしまうのだが、政治家であれば、相手がどのような肩書きであれほとんど気にならない。普段の自分はゆるーい人間なのだが、取材となれば真剣である。

先週、野田総理大臣に番組でインタビューをした。野田さんを番組に呼ぶのは去年8月の就任以来3回目であり、相当な頻度である。放っておけば取材が殺到する総理への単独インタビューは、内閣記者会のルールによって決められている。各社に一定の順番で回ってきて、こちらの勝手な都合で決められない仕組みなのだが、総理周辺ができるだけ官邸の主をマスコミに露出させたいと熱心なこともあって、早くも3度目のご登場となったのである。

せっかくの日本のリーダーの登場だ。できるだけ本音を引き出したいし、そのためには段取りめいたことは極力排し、ガチンコ勝負でやりたい。聞き手であるこちらの力量もセンスも、問題意識の深さ浅さもそのまま表れるが、そこは覚悟の上で臨むほかない。

インタビュー項目は多岐に及んだ。最初は原発の再稼動問題から入った。賛否が分かれる難しい問題である。こちらも総理も、言葉を慎重に選びながらインタビューが進む。
消費税率引き上げを含む社会保障と税の改革に話題は移った。時あたかも、衆議院の特別委員会で法案が実質審議に入ったばかり。今後の国会の乗り切り方。自民党への秋波の送り方。党内で頑なに反対している小沢一郎氏への向き合い方。さらには、衆議院の解散・総選挙の見通しなどなど。

野田総理が考える消費税率引き上げの政策的意義については、反対論を含めて前回のインタビューでたっぷり聞いた。だから今度は、混乱必至の政局の荒波をどう乗り切るかについて、総理が描く「絵図面」に迫りたかった。政局取材は政治記者の真骨頂である。全国の人が見ている生中継であるという意識がだんだん薄くなり、サシで取材をしている気持ちになってくる。相手は簡単に手の内を明かすはずはないし、そこをわかった上で押したり引いたりしながら、言葉の微妙なニュアンスから相手の思惑を読み取っていく。没入するうちに時間は過ぎ、気がつくと予定時間を大幅にオーバーしてしまっていた。

番組後の同僚たちの評価はなかなか良かった。総理相手に物おじせずにずけずけと聞いていたこと。国民がなんとなくモヤモヤしていたことをうまく質問に織り交ぜていたこと。そして、いつもは手厳しい同業他社の友人からも「よく切り込んでいたなあ」と電話で合格点をもらった。

それなりにいい汗をかいた気分でいたのだが、インタビューから2、3日経つと、手厳しい声も届くようになった。消費税増税反対の人からは特に辛らつな意見をいただく。ぼくが、どうやって法案をあげるかという総理の「絵図面」にこだわったことは、すなわち、消費税引き上げを是認した上で、総理の背中を押していることに他ならないというご意見である。増税の是非そのものは賛否の分かれる問題であり、発言が偏らないように気を配ったつもりだ。だが、法案の「成立への道筋」にこだわった質問をした結果、反対論者にとってのぼくの態度は、総理の主張に一方的に乗っかった、許せないものと映ったようだ。

ところが、野田総理を支持する人たちからも苦情が来た。ものの言い方がストレートすぎる。オマエの態度は不遜そのものだというものである。一国の総理相手に、記者ふぜいが何をエラそうにしていると、端的に言えばそういうことである。

番組を見ている人の立場や意見はそれこそ千差万別。すべての人を満足させるのは難しい。しかも、意見が対立する政策課題については、それは不可能に近い。ぼくとて人間だから、批判をされれば気になるし、時には落ち込み、傷つく。あれこれと煩悶し、反省もしながらその週末を過ごしたのだが、もともと能天気なぼくは、しばらくしてハタと気がついた。

消費税率引き上げに賛成の人も反対の人も、野田総理を支持する人もそうでない人も、等しく批判をしてくれたということは、ぼくのインタビューのバランスが悪くなかったことの証しじゃないか。野田総理だって、気概を持って答えていたではないか。至らぬ点は多々あるにしても、まあよし、と考えたほうがよさそうだ・・・。

真摯に批判をいただいた方、申し訳ありません。結局、そういう結論に達しました。ただ、皆さんのご意見は、私の心と脳みその奥深いところに刻まれています。それを肥やしにして、これからもがんばっていきたいと思います。かしこ。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:11 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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彼女の必然

2012年05月16日 (水)

「バイバーイ!」という声に、精いっぱい応えるかのようにして、その少年は港の桟橋からじゃぶんと海に飛び込んだ。達者な立ち泳ぎで水面にぷかぷか浮かびながら、ちぎれんばかりに手を振っている。この光景にいささか驚きながら、そうか、俵万智さんが心奪われたのはこういうことだったのかと思った。

沖縄の西端、八重山諸島の中にある竹富島でのできごとである。飛び込んだのは、小学5年生くらいの島の男の子だった。高速船に乗って島を後にする知り合いの家族連れを見送りに来たらしい。ぼくは、竹富島の景観と暮らしを守る島民たちの取り組みを取材した後、お隣の石垣島に住む歌人の俵さんにインタビューに向かうため、この船に乗り込んでいた。

沖縄は、15日に本土復帰から40年を迎えた。一向に減らない基地の負担へのいら立ち、そもそも琉球という独立した王国を形成しながら、日米の間で施政権を翻弄されたことへの不信。沖縄の県民感情は本土に対して複雑である。しかし、沖縄の自然はいろいろな人間感情を超越してそこにある。人々は海と大地のふところに抱かれるようにして、ぼくたち旅人に対してもおおらかで優しい。

俵さんが石垣島に移り住んだのは、福島第一原発の事故から逃れるためだった。震災発生時、自宅のある仙台に小学生の長男を残し、仕事のためひとり東京にいた俵さんは、5日後になんとか仙台にたどり着くと、その長男の手を引いて山形空港に向かった。飛行機を乗り継いで西へ西へと向かううちに、石垣島の知人の元に身を寄せることとなった。仮の避難場所と心得ていたはずが、この島に住まいを構え、住み着くことになった。

「息子はテレビゲームを全然しなくなりました。『だって、自分がマリオだから』って」とおかしそうに笑う。アドベンチャー・ゲームのキャラクターは、今や自分自身というわけだ。それほどまでに石垣での暮らしは、少年にとって豊かな冒険の魅力にあふれている。震災直後は、ストレスからか指しゃぶりなどの赤ちゃん返りすら見られたという。しかし、小中学生合わせて13人という小さな学校で、「にいにい」や「ねえねえ」とともに学び、そして大いに遊ぶ日々を過ごすうち、みるみる元気になっているという。  

「震災は、自分にとって何が一番大事かをひとりひとりが突きつけられた経験だったと思います。私にとってそれは息子でした。歌人である自分は幸いどこにいても仕事ができるし、身を寄せる知人もいた。だからここにたどり着いたのは、自分にとっては自然な行動でした」と俵さんは振り返る。「逃げることができる人はいい」と、被災地から嫌みを込めたことばを投げつけられることもあった。それが心に突き刺さり、つらい思いをしたというが、自分にとってはこれが必然だという思いが勝った。何より、たくましく成長していく息子の姿が彼女を勇気づけた。この転機を生かし、島での暮らしを母子の糧としていくことは、彼女にとっては第二の必然だったに違いない。

「『あんなところにまで逃げなくてもよかったのにねえ』って、笑い話になることを願っています」と言う。一方で、誰にとっても、すべてを震災前の状態に戻すことは不可能だとも。境遇の変化に否応なく向き合わなければならないとしたら、少しでも前向きでありたいと俵さんは考えている。多くの人にとって、震災の前より今のほうが良いとはとても言える状況ではない。しかし、「せめて前の自分より、今の自分が好きといえるようでありたい」と俵さんは語る。震災で深い傷を負った被災者たちの背中を、そっと押すように。

インタビューした場所は俵さんの自宅から車で10分ほどの海沿いの喫茶店のテラス。広々とした佇まいに、これなら子どもを連れてきて遊ばせておけばよかったかなとつぶやいたが、まあ気にすることはないか、とあっさり撤回した。「子どもは近くの友だちと勝手に遊んでいるし、友だちのお宅にそのまま上がり込んでご飯を食べたり、泊まったりするのも日常のこと。放っておいても平気なんです」と笑っている。あの「サラダ記念日」から25年。みずみずしい感性で一世を風靡した女流歌人は、豊かな自然に抱かれた大らかな母さんとなってそこにいた。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:55 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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「別離」の舞台で

2012年05月09日 (水)

全村避難の福島・飯舘村から引き取られた犬たちが、切なげな声で鳴いている。飼い主から送られた手編みの座布団に顔をこすりつけて眠る。家族との面会に大喜びしながら、去っていく姿を悲しげに見つめる犬もいる。岐阜県の山あいにあるNPOの施設。家族と引き裂かれた犬たちの切ない暮らしぶりを番組で紹介した。十分な食事を与えられているとはいえ、別離の悲劇があふれている。

実はこの週末にも、別離について考えさせられたばかりだった。「神戸はばたきの坂」(兵庫県立芸術文化センタープロデュース)というミュージカルの東京公演を観てきた。
戦前からブラジルへの移民を多数送り出してきた国立神戸移民収容所が舞台である。渡航の準備のため、ここで日本での最後の1週間を過ごす移民たちの人間模様を描いた物語だ。冷害で食い詰めた津軽の家族、一念発起した沖縄の漁師一家、そして、余儀なき理由からひとり息子を日本に残し、彼の地に再び舞い戻るひとりの母親。彼らを見守る収容所職員の語りを通じて物語は進んでいく。

自らブラジル移民を選んだとはいえ、好んでふるさとを捨てたわけではない。それぞれが複雑な事情を抱え、ギリギリの決断をした。収容所で学ぶ現地の実態や経験談を通じて、新天地での暮らしは必ずしも容易ではないことを知るようになる。しかし彼らはふるさとへの思いは思いとして、移民船へと歩を進めていく。人は困難に遭っても未来の可能性にかけ、あすを信じて新たな一歩を進んでいくことができるものなのだという人間賛歌となって、物語はクライマックスに向かう。

3月に観た劇団四季の「ユタと不思議な仲間たち」にも心を揺さぶられた。父を失い、東京から東北の母の里に移り住んだ少年・勇太(ユタ)が、よそ者としていじめに遭い、絶望にくれながらも、強く成長していく。それを手助けするのが、「不思議な仲間たち」こと座敷わらしだ。飢饉で口減らしされ、生きることのできなかった子どもの精霊たちである。

このストーリーもまた、別離が重要なテーマとなっている。何不自由ない東京の暮らしからの別離を余儀なくされたユタに、生きることの素晴らしさを伝え、土地の人たちに心を開くことを教えるのは、まさにこの世との別離を経験した座敷わらしたちだ。彼らは、自らの喪失体験を、ユタをたくましい男に導くことで埋めようとするかのようだ。

震災と原発事故によって、別離は日常のニュースとなった。だからこそ別離を扱ったこれらの舞台に、ぼくを含む多くの観客が魅せられるのかもしれない。

引き裂かれる悲劇を味わった被災地の人々が、舞台の主人公のように、新たな日常の中で少しずつ、前への一歩を進めていくことを切に願う。人生には別れと出会いはつきものだと、3月11日の厄難を静かに振り返ることができる日が訪れるよう、支援を絶やさぬようにしたい。そして、ぼくたち自身、変わらぬ暮らしが続いていることのありがたみをもう一度かみしめたい。ふるさとに住み続け、あるいは帰るふるさとがあることの幸せを胸に刻みたい。
関与の濃淡はあっても、あの震災を経験した日本人なら誰しも、別離の重みが教える意味を決して忘れてはならないと思うのだ。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:17:31 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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分裂する力

2012年05月02日 (水)

「ザクッとした言い方で申し訳ないのですが・・・」と前置きしながら、その市長さんは切り出した。「ものが結集する力というならスッとわかります。でも、ものが分裂する力というのはやっぱり怖い。それを無理やり押し込めて使うというのは、どうも道理と逆のことをやっているように思えてならないんですよ」。

なるほどなあと思った。このとき話題となっていたのは、原子力発電のことだった。その市長さんは、彼が霞が関の役所勤めをしていた時に取材で知り合った仲で、上京のついでに渋谷の放送センターに立ち寄ってくれ、よもやま話となったのである。

この人は近畿地方の市長さんである。関西電力の管内は、このまま原発の運転が再開されなければこの夏、最大で約16%の電力不足に陥る可能性があるとされる。市民の暮らしを預かる立場だ。原発の運転再開による電力の安定供給を願う気持ちと、安全性がしっかりと確認できるまで再開を認めたくないという気持ちのせめぎ合いの中にあることは、容易に想像できる。

そうしたあげくに出てきた言葉である。科学的にどこまで正確かはわからない。しかし、核が「分裂する」力を利用する原子力発電に対して人々が抱く不安の本質を言い当てているように思える。これに対し、太陽の光や地熱、あるいは風力などを「集める」再生可能な自然エネルギーは、ずいぶん優しく、心地よく響く。

先日、再生可能エネルギーが発電に占める割合を増やそうと、経済産業省の委員会がその買取価格の原案をまとめた。何かと渋チンの政府には珍しく、発電事業者の要求を満額認めるものであり、参入企業はそれだけ好条件でビジネスが展開できる。中小零細企業を含め、再生可能エネルギーを使った発電ビジネスを飛躍的にのばす素地となることが期待されている。

そんなことを反芻しながらその日の政治ニュースを見ていると、こちらはいまだ「分裂」のエネルギーに満ち溢れていた。主役はこの人、民主党の小沢元代表だ。4
億円ものお金が政治資金収支報告書の上で不正に記載され、小沢氏の元秘書らは違法性を認識していたと裁判所は認定した。しかし、当の小沢氏本人に違法性の認識があったかどうかは証明できないとして小沢氏は無罪。市民感覚を反映した検察審査会による強制起訴は、立証の壁を乗り越えるには至らなかった。

いまのところ、検察官役の指定弁護士側が控訴するかどうかは不明であり、無罪は確定したわけではない。しかし、民主党の輿石幹事長は判決理由の言い渡しが続いているさ中から、まってましたとばかりに小沢氏の党員資格停止処分の解除に言及した。党内融和が最優先、そのためにも早めに対立のトゲを抜きたいということだろう。

しかし、そうした輿石氏の動きも奏功するかどうかは疑問である。小沢氏に近い議員たちは、無罪判決に勢いづき、反主流派色をさらに強めつつある。訪米中の野田総理が、自らの命運をかける消費税率引き上げ法案について、「党員であるなら、何人(なんぴと)たりとも、方針には従ってもらう」と述べたところ、報道によれば、小沢氏周辺は、「ケンカを売っているつもりか」と息巻いているという。ここまでくれば、建前のぶつかり合いの範疇を越えている。党の分裂含みのどす黒いエネルギーが渦巻き、政局の行方は一層混とんとしてきている。

大震災以降、人々は力を寄せ合うことの大切さを心にしみて知った。その象徴のようにして、人にやさしい自然の力を集めて、発電に使おうという目標が共有されつつある。分裂よりも結集。そのベクトルが震災後の日本の特徴である。

ところが、政治の世界だけは常に逆ベクトルが支配する。大型連休明けには、消費税率引き上げ法案の審議が始まる。与野党間の対立に与党内の対立。「分裂する力」をエネルギーにして、法案審議は予測不能の複雑な展開をたどるだろう。争いに明け暮れる中で、消費税率費税率引き上げが本当に国民の利益につながるのかどうかという、本質的な議論が置き去りにならないことを祈るのみだ。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:16:17 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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フォロワーシップ

2012年04月25日 (水)

時々、示唆に富んだ意見を聞かせてくれる友人が、この前も興味深いことを言っていた。政治にしても何にしても、日本ではよくリーダーシップが足りないと言われるけれど、いま、本当に着目すべきは「フォロワーシップ」ではないかというのだ。

ビジネスの世界ではたまに出てくる言葉である。トップが引っ張るのがリーダーシップならば、それを補完し、組織としての力を最大限発揮できるようにもっていく部下の態度を指すのがこのフォロワーシップである。
この日のインタビューでは、そのことばが何度も頭に浮かんだ。ソニーの平井一夫社長。潮の香りがかすかに漂う東京・品川の社屋で、多忙な新社長は、1時間近い時間を割いてくれた。

1メートル83センチの堂々たる体躯と甘いマスク。日米の間を行き来しながら少年期を過ごし、英語は母国語同然。物腰はあくまでスマートである。田舎育ちのずんぐり型であるぼくとは彼我の差があるが、ほぼ同い年ということもあってか、勝手に親近感を抱いてしまう。

4期連続の最終赤字。とくに、「顔」でもあったテレビ事業は、韓国勢に押されて8期連続の大赤字である。銀行や損保といった金融分野の利益でかろうじて止血しながら、それでも出血は収まらずに世界のソニーはあえいでいる。そのさなかに51歳の若さで社長に抜擢され、再生を任された。
 
アメリカを主舞台に、ゲーム事業などのエンターテインメント分野で頭角を現した人だ。本家本元ともいえるテレビなどのエレクトロニクス部門を経験していないこともあって、周囲の関心は、大胆な経営刷新に乗り出すかどうかに集まった。しかし、平井社長が打ち出したのは、むしろ一致結束箱弁当の路線。テレビ事業は守り抜くと強調する。「テレビはお客さんとの接点として大事な中核。ビジネスとして継続していかなければならないんです」。
大黒柱の父さんは最近ちょっと失敗しちゃって元気ないけど、いいか、父さんあっての我が家なんだと、弟たちに諭すしっかり者の長男のようでもある。

それぞれの分野で聖域なき改革を進めるという。しかし、派手にどこかを切り離すといった花火を打ち上げることはしない。あくまでその意識の底にあるのは、一体感への渇望である。「ソニーが次のステージに行くためには、根本的なマインドセットが必要です。新しい方向に全社一丸となって進んでもらうべく、私がリーダーシップをとります。ぜひ皆さんと一緒にやっていきたいという、本当に強い決意を持っています」ときっぱり語る。

ソニーといえば、ウォークマンやプレイステーションといったヒット商品を生み出し、開拓者のイメージをほしいままにしてきた。平井社長自身、そのDNAは何としても守りたいという。だが、今は足元を固めて危機を乗り切ることが大事。自分はそのためにリーダーシップを取るが、部下たちにはフォロワーシップを求める。そうして築かれる結束こそカギだという、古風で日本的な経営理念とお見受けした。少なくとも、体育会系で育ったぼくには心地よく響いた。

一方で、その姿勢を物足りなく感じる向きも多いそうだ。放送された平井社長の発言に耳を澄ませていたわが同僚も、こんな感想を口にした。「ソニーという企業は再生するかもしれない。でも、ソニーという文化が再生するかどうかは疑問だね」。
彼は、ソニーの新製品が登場するたびにずっと胸をときめかせてきた。ソニー大好き人間としては、社長の話を聞く限り、「らしさ」がどこまで引き継がれるのかが見えてこないという。

なるほど一理あるかもしれない。図体がでかくなってしまった分、守るべき部分も多くなる。そうした組織心理が支配すれば、挑戦へと振り分けるエネルギーは小さくなってしまうからだ。しかし、だからこそ、フォロワーシップの出番である。あちこち傷みが目立ってきた家をリフォームするために、長男が土台を固め直すとすれば、ここは次男や三男が、遊び心を忘れずに、ソニーという家に意匠を凝らす役目を負うことが必要だ。

フォロワーシップとは、トップの言いなりになることではない。建設的な提言と批判精神が発揮され、リーダーシップと共鳴し合うことが必要なのだとビジネス書には書いてある。確かに、ソニーに限らず、今の日本のいたるところに求められる要諦かもしれない。この言葉を教えてくれたわが友人に、またひとつ借りができてしまった。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:17:51 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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命つなぐ

2012年04月18日 (水)

「千の風になって」という歌が爆発的なヒットとなっていた頃、アメリカ勤務だったぼくはそのことをほとんど知らなかった。4年前に帰国してからも、いい歌だなという程度の印象だった。ところがこの地に立つと、詩に込められた思いが身体の隅々にしみ渡る気がする。岩手県陸前高田市。津波で何もかもが流されてしまったこの街では、いたるところから、海岸に立つ一本松が見える。命の意味を問いかけるようにして。

陸前高田を訪ねたのは、作家の新井満さんによる詩の朗読会が開かれると聞いたからである。作者不詳の「a thousand winds」という英語詩を、「千の風になって」という訳詩で紹介し、感動的なメロディとともに日本じゅうに広めた人だ。新井さんは、市の象徴でもあった7万本の高田松原のなかで、ただひとつ生き残った奇跡の一本松に心を動かされ、「希望の木」という写真詩集を出した。

この詩集は、少し変わった売れ方をしているそうだ。肉親を失った被災者のもとに、弔意を記した便りが届く。それに対するお返しとして、10冊、20冊とまとめ買いをしていく人が多いという。

「希望の木」の中で一本松は、高田松原という大家族の中の娘として描かれている。津波の中、父や母が「あなたはわたしたちみんなの希望」だと身を投げ打って守った命である。どうして自分だけが生き残ったのかと、孤独と絶望にさいなまれながらも、やがて、彼女は生き抜くことを誓う。風になった母さんと、星になった父さんがいつも見守ってくれると信じるくだりは、訳詞「千の風になって」のモチーフと重なる。

朗読会の会場は、多くの人たちで埋まった。これほどまでに聴衆の心がひとつになった集まりを私は知らない。時に肩を震わせ、大粒の涙をこぼし、まぶたをきつく閉じて詩の朗読に聞き入っている。誰もが筆舌に尽くしがたい体験をしたのに違いない。大切な人を亡くしたひとりひとりが、生き残ったがゆえの使命や責任を自問自答しているのかもしれない。

ぼくも一本松を見に行った。幹にまかれた菰は包帯のようでもあり、緑のはずの松葉は赤茶色に変わっている。せっかく残った「希望の木」も、生物としての命は確実に失われつつあった。だが、松原の保護活動にあたってきた地元のボランティアの方に連れられて行った先で、胸を熱いものがじわりと包んだ。一本松から接ぎ木された松の幼木が、プランターの中でしっかりと息づいていたのである。

詩の中で一本松は、「百年後、いや三百五十年後のある日、よみがえった高田松原七万本の松の木の、おかあさんに、わたし、なりたい・・・」と願う。願いどおり、彼女は「母」になろうとしているのだ。

松の命は引き継がれた。陸前高田の多くの人たちが、そこに自分の姿を見る。その人たちの懸命の営みによって、陸前高田の街もまた、きっと命をつないでいくはずだ。時間がかかろうとも、その歩みをしっかり見つめていきたいと思った。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:18:41 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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「チーム」を知らない人

2012年04月11日 (水)

寺川綾さん。競泳の日本選手権、女子100メートル背泳ぎを日本新記録で制し、ロンドン五輪代表の座をつかんだ27歳である。この前の日曜日、テレビに出演して語る彼女の言葉に(あるいはその凛々しい美しさに?)引き込まれていた。前回北京五輪で代表の座を逃した時に競技を離れようと思ったが、「同期の選手たちに引きとめられて、挑戦を続けることができました」と話すのを聞き、ほう、そういうものかと思った。

競泳は、言うまでもなく基本的に個人種目である。勝負の場に立つのは自分ひとりという厳しい世界だ。しかし、そのトップレベルにある寺川選手にして、引退のがけっぷちから自分を引っ張り上げてくれたのは、同じ「日本」のチームメイトだったというのである。

逆のことも言えそうだ。ぼくは長いこと野球というチームスポーツに身を置いてきたが、個人が輝かないチームは絶対に強くならない。個人を押し殺してチームワークばかりを強調しても、結局はチームの力は上がらず、モチベーション不足の馴れ合い集団に堕してしまうおそれもある。個人プレーが絶妙な調和を見せる姿こそ、最強チームの理想像と言える。

そんなことを考えたのは、鳩山由紀夫元総理の「個人」外交が、ひと悶着をおこしているニュースを、ややうんざりしながら見ていた時だ。イランを訪問し、アフマディネジャド大統領と会談したのだが、会談内容をめぐる鳩山氏本人とイラン大統領府の説明が違っていた。大統領府が「鳩山氏は、『IAEAはイランなどに二重基準を適用しており、公平ではない』と述べた」と発表したことに対し、鳩山氏は「完全なねつ造だ」と反論した。

イランの核開発ににらみをきかせるIAEA・国際原子力機関に対し、「日本の元総理」がその正当性に疑念を示した・・・。イラン側が格好のプロパガンダに使ったといえばその通りだし、外交通の言葉を借りれば、鳩山氏はまんまと罠にはまってしまったということになる。イラン大統領府は鳩山氏の反論を受けてすぐにホームページからこの部分を削除したが、これだけインパクトを与えればもう十分ということか。
実際の会談でどんな言葉が交わされたかは当事者にしかわからないが、もともと日本政府が鳩山氏のイラン訪問には懸念を示していたことを考えれば、「それみたことか」と責められても仕方ないだろう。

外交は、日本というひとつのチームプレーにほかならない。本来、司令塔の方針のもとに従えない人がゲームに加わることは許されない。しかし、鳩山氏のイラン訪問問題の罪なところは、総理まで務めた人だけに、司令塔(政府)がものを言いにくい状況で起きたという点だ。チームのために良かれと思って参戦した「大物プレーヤー」が、チームが組み立てつつあった戦略を邪魔してしまう結果となった。

そもそもチームの戦略そのものに未熟な点があるのだから、自分がスーパープレーで引っ張ろうと決意の訪問だったのだろうか。しかし、個人プレーがチーム力の向上につながることにはならなかった。

競技から離れようと考えながら、日本チームの仲間から激励されて戦列に残った寺川選手とは、真逆のケースであることだけは確かである。

 

投稿者:大越健介 | 投稿時間:22:31 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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いつもながらの強行スケジュールである

2012年04月04日 (水)

3月31日土曜日の夕方に成田を発ってアメリカ西海岸のシアトルへ。夕方から市内のホテルで米民主党の実力者、日系2世のダニエル・イノウエ上院議員にインタビュー。夜行便に飛び乗って東海岸の首都ワシントンへ。翌月曜は朝4時に起き出して午前8時から(時差の関係でそうなる)葉桜となったポトマック河畔からニュースウオッチ9の生放送。
放送が終わるとその足で中西部ミネアポリスに飛び、駐日大使を務めたモンデール元副大統領にインタビュー。すぐにワシントンにとって返してホテル泊。翌日はまた4時には起き出して8時から火曜日の生放送。そして荷物をまとめて空港へ。今、成田行きの全日空便を待ちながらこれを書いている。運行に大幅な遅れさえ出なければ夕方には渋谷の放送センターに到着し、水曜日の放送は東京のスタジオから出せるはずだ。

そんな駆け足で、アメリカの今など語れるものかと批判されるかもしれない。しかし、先乗りの記者や現地の特派員の綿密な取材が放送のベースになっているし、弾丸日程とはいえ、行く先々で交わす人々との表情をこの目で見て、会話を交わすだけでも、現地に行く意味は大きい。とりわけ、イノウエ、モンデールという2人の重鎮が快くインタビューを受けてくれたことは今回の取材のハイライトだった。

テーマは、日米関係である。ともすると内向きになりがちなこのところの日本ではあるが、アメリカが日本を見る目は基本的に優しい。中国という体制の異なる国が猛烈なスピードで拡大するアジアにあって、旧くからの友人である日本に対する連携の期待は大きい。

しかし、日米間に刺さったとげがなかなか抜けない。それが普天間基地の移設問題だ。イノウエ、モンデールの両氏は、この問題の難しさをもっともよく知る人たちと言っていいだろう。とりわけモンデール氏は、駐日大使だった1996年に、当時の橋本総理大臣と普天間基地の返還で合意し、総理と大使という、まず見たことのない取り合わせで劇的な共同記者会見を行ったその人だ。

16年が経過してもなお前に進まない普天間の返還合意だが、モンデール氏は、あの時の政治決断は今でも間違ってはいなかったと語る。当時、米兵による少女暴行事件で沖縄の怒りは頂点に達し、副大統領を経験した大物駐日大使は、沖縄の痛みを深く知るに至ったのだ。そして今も、オフィスに飾られる日本の品々の中には、沖縄の家々に鎮座するシーサーの置物が堂々の存在感を放っていた。
だが、そのモンデール氏にしても、普天間基地を名護市辺野古に移設する現在の日米合意を実行に移すことが望ましいという。自らが主導した16年前の合意が生かされるための、
現行ではベストの内容だと考えるからだ。

イノウエ氏にしても同じである。先の戦争で、日系アメリカ人としていわれなき差別を受け、アメリカ兵へと志願して勇猛果敢に戦うことで日系人の名誉回復を果たした気骨の人。痛みには敏感であり、沖縄の声にはしっかり耳を傾けるべきだと主張する。しかし一方で、「誰もが100%満足のいく解決策はあり得ない。政府間の約束は守られなければならない。アメリカは辛抱強く待つ」として、辺野古への移設を日本政府の責任で実現するよう求める。

イノウエ氏87歳。モンデール氏84歳。酸いも甘いもかみ分け、日本にとりわけ優しい眼差しをそそぐこの2人にして、県内移設を断念する選択肢は、今なお持ち得ないのが現実である。
インタビューの終わりに、モンデール氏は言った。「普天間問題は確かに重要な問題だが、両国の関係で、唯一の重大問題であるかのような扱いをすれば、日米双方の負けになる。
取り組みは続けていかなければならないが、一方で、この問題を両国の二国間協議の中心に据えてはならないと思う」。

確かにそうだ。膨張を続ける中国と、先の読めない動きを見せる北朝鮮をにらみながら、日米の連携にはいささかのすきもないことが求められる。しかし、のどに刺さったとげを見ないふりはできない。刺さったとげの痛みを、相変わらず沖縄だけに押しつけていいはずがないのだ。良識人である2人の長老のインタビューに、日米関係の大切さと、普天間問題の根深い難しさの両方を感じながら、時差ぼけに疲れた頭の中は、堂々巡りを続けるしかなかった。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:22:41 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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約束

2012年03月28日 (水)

ぼくはもういい歳したオジサンだから、別れ話がこじれた男女の愁嘆場のように、「あんた、あの時こう言ったじゃないか!」と大声で叫ぶつもりはないが、このことだけは、視聴者への約束として、決して忘れてくれるなと念を押したい。

今月、スタジオに枝野幸男経済産業大臣を招き、定期点検に入ったまま運転再開できずにいる全国の原発について質問をしたときのこと。再開に最も近いと言われている関西電力大飯原発の3、4号機をどうするつもりかと訊ねた。枝野大臣は「安全を政治判断することはしません」と言い切った。そして、こんな風に述べた。
「(エネルギー)の需給のために、安全確認をおろそかにしたり、急いだりということをするつもりはまったくありません。(中略)関西電力大飯原発については、原子力安全委員会で安全が確認された場合に初めて、運転再開の理解をいただけるかどうかを政治判断する」。

なかなか言質をとらせない答弁になるかと思いきや、かなり思い切った発言だと、正直、思った。官房長官として、あの大震災と原発事故を経験した政治家ならではの決意の言葉と受け取った。
その枝野大臣が「安全確認」の役割を期待した、国の原子力安全委員会の見解が示された。大飯原発3、4号機の「ストレステスト」一次評価の結果についてである。原発が地震や津波にどの程度の耐性があるかを試す「ストレステスト」は各電力会社が行う。その結果を経済産業省の原子力安全・保安院が審査し、原子力安全委員会が最終的に確認する。枝野大臣ならずとも、科学者の集まりである安全委員会の結論に注目が集まろうというものだ。

ところが、その結論は注目して見守る人たちに肩透かしを食らわせるに十分なものとなった。同委員会は「緊急安全対策等の一定の効果が示されたことは、ひとつの重要なステップと考える」という公式見解を述べているが、具体性に欠ける。続いて会見を行った斑目委員長の発言が、さらに疑問を増す。いわく、「原子力安全委員会は、安全性の確認を求められているとは思っていません。運転再開に結びつけるのは政府の判断で、そこになんら安全委として意見を申し述べるつもりはない。これがどういうふうに使われるのかということについては、政府が判断されること」。

この発言は、半分は正しいが半分は正しくない。安全委の見解をどう使うか、つまり原発の稼働再開に結びつけるかどうかはまさに政府が行う政治判断である。その点について大方の異論はないだろうが、その判断に資するだけの科学者の知見を示すことを怠った。それは任務の放棄に等しい。
原発の運転再開の是非には、いろいろな意見がある。5月に全国で原発が一基も稼働しないという事態に陥れば、夏場の電力不足は必至であり、工場を動かすことができなくなるという産業界の悲鳴は深刻だ。一方で、あの福島第一原発の事故を見せつけられた以上、ストレステスト(それも一次評価)だけで再開をするのは認めがたいという人は多いし、原発の周辺自治体でその声が強いのは、NHKをはじめ各種調査がそれを裏付けている。だからこそ、責任ある知見を欲していたのだ。結論を出すその前提としての知見を。

「安全は政治判断しない」と言い切った枝野大臣の約束を振り切るようにして、原子力安全委員会は政治に安全の判断をゆだねた。安全性を政治判断して、その上で運転再開の是非までを政治判断するとしたら大いに疑問である。それは原発をめぐるイデオロギー論でも、産業政策をめぐる現実論でもない。高尚なものでもなんでもなく、求められた責任に向き合い、約束を守ろうとするかどうかという、人間社会の「所作振る舞い」の問題である。その意味で、現段階としては全くなっていないと言わざるを得ないのである。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:22:51 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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鉄ちゃん率60%

2012年03月21日 (水)

「鉄ちゃん」ということばは、コアな鉄道ファンを指す言葉で、好きが高じてちょっと変わった域に入っている人というニュアンスがあるためか、自ら「鉄ちゃん」と名乗る人は少ないのかもしれない。だが、というか、だからというべきか、この日ばかりは周囲にいる同僚の何人かが「鉄道・・・好きですよ」と控えめながら認めていた。その率、ほぼ60%と見た。

3月17日のダイヤ改正で懐かしい列車たちが姿を消した。番組では、日本海縦貫線の寝台特急「日本海」のラストランに思いを寄せる人々の姿を取材し、秋田県の鷹ノ巣駅に停車する最後の上り「日本海」の中継映像を織り込むという、複雑なオペレーションとともにお伝えした。

ほかならぬぼくも、小さな声で「鉄道が好きだ」と認めるクチである。育った新潟市の家は、信越本線の線路が遠くに見渡せる場所にあって、1時間に1本、上野と新潟を結ぶ特急「とき」号が規則正しく運行されていた。それだけでなく、同じ区間の急行「佐渡」、大阪と青森を結んでいた特急「白鳥」などなど、バラエティ豊かな列車たちの雄姿を、飽くことなく眺めていたものだ。

県庁に勤めていた母が、月が代わって不要になった交通公社の「時刻表」を持ってきてくれて、それをめくりながら全国への旅に思いをはせ、副産物のようにして全国の地名や駅名を知り、漢字を覚えた。男の子は特に、かなりの割合が、列車のおもちゃに親しんで育ったはずで、その記憶は成長しても残っている。根拠はかなり希薄ではあるが、「隠れ」も含めて、鉄ちゃん率60%というのはあながち的外れではないように思える。

この日のダイヤ改正では、個人的に思い出深い列車も姿を消した。北陸本線を疾走する寝台急行「きたぐに」号。子どものころに乗る機会はなかったが、北陸トンネルで30人が犠牲になる列車火災を起こしたことで強く記憶に残っていた。車体は機関車が引っ張る客車から自力の電車に代わり、運行区間も大阪から新潟止まりになったが、社会人生活のスタートが岡山で、新潟に里帰りするときには大阪からこの電車に乗った。なかなか寝付けないまま狭い3段ベッドに横たわり、レールの継ぎ目の音を聞きながら物思いにふけった。自分は記者という仕事に向いているのだろうかなどと、不安を抱きながら。

人生のドラマになぜか列車はつきものである。JR東海が、週末、東京駅で別れるカップルをロマンチックに描いた「シンデレラ・エクスプレス」のCMで一世を風靡したことがある。その時の新幹線「のぞみ」号として活躍した300系車両も、今回のダイヤ改正で引退となった。

時代とともに、列車のスタイルは洗練され、スピードも格段にアップした。思い出深い列車たちはダイヤの上からも、そして車体そのものも姿を消し、ノスタルジーにひたる私自身もまた、利便性を増した今の列車を愛用するひとりとなっている。歴史の歯車は回り、今の列車たちもいずれ次世代にバトンを渡す日が来るのだろう。それでも、人生のドラマに鉄路はそっと寄り添い続けるに違いない。スピードアップする分、余韻も少し短めにして。

投稿者:大越健介 | 投稿時間:13:59 | カテゴリ:コラム | 固定リンク
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