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証言から知る拉致問題 地元記者の思い

  • 2022年10月27日

多くの拉致事件の発生から40年以上。
さまざまな場面を間近で見てきた人たちは、その場で何を感じ、今どう思うのか。
長年取材を続ける新潟の地元新聞社の記者を取材しました。
                              新潟放送局 油布彩那

世論の転換点を見た

新潟県の地元新聞社「新潟日報」の論説編集委員・原崇(はら・たかし)さんです。

北朝鮮が初めて拉致を認めた2002年の日朝首脳会談など、入社以来、20年以上にわたって拉致問題を取材してきました。

原さん
誰も関心のない時代っていうものとあと2002年9月17日をもって、メディアスクラム、ガラッと変わったその落差。
世論のまあいわゆる転換点、その落差をまざまざと感じたという思いがあります。

元気で明るいお姉ちゃんはどこに

新潟市出身の原さんは子どものころ、拉致被害者のひとり、横田めぐみさんの双子の弟と同じプールに通っていて、めぐみさんの存在も知っていました。

自分の知っている人が突然いなくなった時に感じた驚きと切なさが拉致の取材を続ける理由の1つになっているといいます。

原さん
横田家に元気で明るいお姉ちゃんがいるというのも子ども心によく覚えていました。
お姉ちゃんが突然いなくなったというのは僕はまだ小さかったですけれども、びっくりして。
交番とかで「この少女の行方を」というのがあちこちに貼られて、子ども心にどうなったんだろう、どうしたんだろうと、切ない、くっとする思いがずっとありました。

事件当時の思いもあり、政府が拉致被害者と認定する以前から、署名活動など救出に向けた活動を取材し、記事を書いてきました。

帰国を期待し迎えた首脳会談

2002年9月17日。

東京支社で勤務していた原さんはめぐみさんをはじめとする拉致被害者の帰国を期待しながら、日朝首脳会談の当日を迎えました。

北朝鮮はこのとき初めて拉致を認めて謝罪したのです。

北朝鮮“多くの被害者が死亡”

 

しかし、家族に会談の結果が伝えられた外務省の飯倉公館などで取材にあたるなかで、原さんたちに入って来たのは「めぐみさんを含む多くの拉致被害者が死亡」という情報でした。

原さん
みんな泣いてました。
ちょうど雨が降っていたんですけれど、雨の中のバスの中は何か日本国中の悲しい気持ちを象徴しているようで、私は非常にバスに乗られた姿というのが印象的でした。

涙に包まれた会見会場

会談の結果が伝えられたあと、家族らは会見を行いました。

家族らの言葉に、会場にいた取材者は涙を流しながらメモを取っていたといいます。

 

めぐみさんの父・滋さん
結果は死亡という、残念なものでした。

めぐみさんの母・早紀江さん
こうして大きな政治の中の大変な問題であることを暴露しました。
本当にめぐみのことを愛してくださって、いつもいつも取材してくださって心から感謝しています。
まだ生き続けていることを信じて、戦って参ります。

申し訳なさと悔しさ

原さんは申し訳なさ、悔しさとともに解決のためにとにかく報じるしかないと心に決めたといいます。

原さん
悔しい、残念だ、なんとしてもという思い。
地元紙の立場として、どんな言葉もどんな表情も小さな動きも見逃さないように、とにかく報じるしかないと。

2回目の日朝首脳会談

原さんがこれまでの取材の中で、特に印象に残っているのは2004年の2回目の日朝首脳会談後の出来事でした。

原さんもピョンヤンで取材にあたりましたが、すでに帰国していた被害者の家族5人が帰国したものの、
安否がわからない拉致被害者や拉致された可能性を排除できない特定失踪者について、情報が出ることはありませんでした。

小泉総理大臣は帰国後、拉致被害者の家族に会談結果を直接報告。
その様子は報道陣に公開され、家族が厳しい言葉を投げかける場面が相次ぎました。

拉致問題を解決するために訪朝されたというよりも、
ピョンヤン宣言の誠実な履行の方に重点が置かれたのではないか。

期待に対してもあまりにも差がありましたから、非常に結果については残念です。

家族が苦しむのは不条理だ

ニュースなどで厳しい言葉が取り上げられた結果、拉致被害者の家族や支援団体の元に、ひぼう中傷するファックスが大量に送られたのです。

原さんは、普段は気丈に振る舞う、めぐみさんの母、早紀江さんが落ち込む様子を目の当たりにしました。

原さん
とある会見で、早紀江さんがぼう然自失としたような感じで「これからも頑張ります」と。
ほんとにショックで、なんとかしていかなければいけないと改めて私は思いました。
辛い立場の方々がもっと辛い目に遭わされるのはなんかおかしい、不条理だと本当に思いました。

書き続けるしかない

事件当時からの思いを持って、取材を続ける原さん。

拉致問題を知らない世代が増える一方で、進展が見られない今、横田さん夫妻が全国各地で精力的に活動し、世論に訴えてきたように、記事を書き続けることで、解決に向けた力になりたいと考えています。

原さん
世論が高まることによって政治を動かす。
結局風化をさせないではなくて、解決してもらわないといけないと。
記事を書くことで、地元であるが故に永遠に見続けて永遠に声を出し続けるお手伝いというんでしょうか。世論の高まりにつながって、本当の意味で拉致被害者、特定失踪者、多くの方々を取り返す行動に誠実につなげられればと思っています。

  • 油布彩那

    新潟放送局 記者

    油布彩那

    令和元年入局
    警察取材や拉致問題を担当

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