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拉致を知らない世代へ 「特定失踪者」

  • 2022年09月29日

2002年に行われた日朝首脳会談で、北朝鮮が初めて拉致を認めてからことしで20年。
政府が認定する北朝鮮による拉致被害者17人のうち、帰国を果たしたのは5人です。
拉致被害者と再会を果たせないまま亡くなる家族が相次ぎ、解決に向けて一刻の猶予も許されない状況となっています。
その一方で、時間の経過とともに拉致問題を知らない若い人たちが増えているのも事実です。
『拉致を知らない世代へ』と題して、拉致問題についてシリーズでお伝えします。 
                             新潟放送局 記者 油布彩那

「拉致の可能性を排除できない」およそ900人

政府が認定した17人の拉致被害者のほかに北朝鮮に拉致された可能性を排除できない行方不明者が民間の団体や警察によりますと全国におよそ900人います。

「特定失踪者」新潟県出身6人

民間団体「特定失踪者問題調査会」が家族などからの届け出を受けて調査対象としている行方不明者は「特定失踪者」と呼ばれ、新潟県出身の人は6人います。

宮澤康男さん

宮澤康男さんは、1960年に東京都にある当時の勤務先の宿舎から姿を消し、行方がわからなくなりました。

当時17歳でした。

藤田進さん

藤田進さんは、1965年、現在の糸魚川市の自宅から映画館に行ったまま行方がわからなくなりました。

当時17歳でした。

大澤孝司さん

大澤孝司さんは、1974年、新潟県の職員として赴任中の佐渡で行方がわからなくなりました。

当日は寮の近くの食堂に立ち寄っていて、「見知らぬ男たちが大澤さんを追いかけていた」、「車が急発進する音を聞いた」などといった証言が地元の人から寄せられています。

当時27歳でした。

後藤久二さん

後藤久二さんは、1977年、上越市で行方がわからなくなりました。

当時63歳でした。

星野正弘さん

星野正弘さんは、1979年、東京都内で行方がわからなくなりました。

当時23歳でした。

中村三奈子さん

中村三奈子さんは、1998年、高校の卒業式の直後、長岡市で行方がわからなくなりました。

当時18歳でした。

拉致の可能性を排除できない 警察も捜査

6人以外にも「拉致された可能性を排除できない」として県警察本部などが調べている県内関係の行方不明者もいてホームページでも一部情報が公開されています。

動画はこちら

  • 油布彩那

    新潟放送局 記者

    油布彩那

    令和元年入局
    警察取材や拉致問題を担当

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