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新潟初マクドナルド・ハウス 長期療養の子どもと家族を支える

  • 2022年10月01日

小児がんなど重い病気と闘う子どもたちが全国にどれくらいいるかご存知でしょうか。その数、14万人にものぼると言われています。長い闘病生活では子ども本人はもちろん、家族も苦しい闘いを強いられます。専門的な病院ほど自宅から遠い場合が多く、子どもの入院先で一緒に寝泊まりしたり、病院の近くのホテルに泊まったりする二重生活を余儀なくされ、経済的にも精神的にも大きな負担がのしかかるのです。
子どもや家族の負担を少しでも軽減しようと、低価格で利用できる民間の滞在施設、「ドナルド・マクドナルド・ハウス」が県内で初めて新潟市中央区の新潟大学病院の敷地内に完成、2022年10月1日にオープンしました。子どもと闘病生活を送った親や自身が病と闘った女性など、この施設を待ち望んでいた人たちの思いを聞きました。
(新潟放送局 記者 阿部智己)

「わが家のようにくつろげる第二の家」

「ドナルド・マクドナルド・ハウス にいがた」のベッドルーム

小児がんなど重い病気で療養を続ける子どもとその家族が滞在することのできる「ドナルド・マクドナルド・ハウス」。2022年9月の時点で世界45の国と地域に379か所作られ、国内では12か所目、県内では初めての施設です。「わが家のようにくつろげる第二の家」をコンセプトに掲げていて、新潟の施設にはベッドルームが10室、共用のキッチンやリビングルームがあり、利用料は1人1日1000円に抑えられています。個室でくつろぎ、家族の手料理を一緒に食べることもできます。

建設費用の多くは寄付金でまかなわれ、運営は地元のボランティアが支えます。あえてキッチンなどを共用にしているのは、利用者同士やボランティアとの間での自然な交流を促そうというねらいです。長期に入院する子どもと家族の精神的、経済的負担を少しでも減らすことを目的としたこの施設は、病と闘ってきた多くの人が待ち望んでいたものでした。

「ショックすぎてよく覚えていない」

鈴木絵里子さん

2人の子どもの母親の鈴木絵里子さんは息子の慶さんが長期入院した際、我が子が重い病気を患うことの大変さを身にしみて感じました。疲れやすかったり、食が極端に細くなったりと原因不明の不調を訴えるようになっていた慶さんは、小学4年生の冬、脳に腫瘍が見つかりました。突然のことに鈴木さんの動揺は大きく、当時のことはよく覚えていないといいます。

病院でMRI検査の画像を見せていただいたんですけれども、そこに息子の頭の横顔の画像が映っていて、見てすぐに分かるぐらいの影が真ん中に映っていました。そのときのことはショック過ぎてよく覚えていないんです。まさか自分の子供がそんな大きな病気になるとは思ったことがなかったので。

小児がん、脳腫瘍。想像もしなかった状況に直面した鈴木さんは、この先どうなってしまうのだろうと不安でいっぱいになりました。

心身ともに疲弊する病院での生活

入院時の息子の慶さん

放射線や抗がん剤による治療を受ける息子を少しでも支えようと、入院している4か月半の間、夫と姉に家を任せ、病院に泊まり込む生活を送りました。病院では簡易ベッドを借りることができ、4人部屋の息子のベッドの隣で寝起きしましたが、その生活は容易ではありませんでした。簡易ベッドは折りたたみ式で長く寝ていると腰が痛くなったり、寝返りするたびにきしんだりして心身ともに疲弊していったといいます。

ほかのお子さんや保護者の方もいらっしゃるので、こっちも気を使ってしまうというか、寝返りも遠慮がちにうったりとかしていたので、やっぱりぐっすりは眠れない。毎日、どんどん疲れが蓄積されていって、精神的にも疲れてしまい、前を向くことができないときもありました。

慶さんは、治療により脳の腫瘍が消えて一度は退院しましたが、6年生の冬に再発してしまいます。そして、最初の入院のとき以上に厳しい治療が始まりました。悪性度が強いと考えられたため、強い副作用を伴う治療をせざるをえなかったのです。このとき慶さんは、薬の副作用の吐き気やだるさに必死に耐える時間が長く、母親の鈴木さんは見守ることしかできませんでした。

2回目の入院時の慶さん

こっちから何を言っても声が出せないぐらい。うなずくのもつらい、寝ているのもつらいという様子でした。それはもう見ていて本当につらかったし、何もできないのが親として本当につらかったです。

2回目の入院は8か月に及びましたが、厳しい治療を経て退院し、いまは経過観察を続けながら高校生活を送るほどに回復しました。先の見えない長い入院生活。不安や心配事が尽きない日々だけに、鈴木さんは体を休めるとともにプライバシーが守られ、落ち着いて話ができる滞在施設の必要性を実感しています。

ちゃんとしたベッドで眠れるというのは大きいと思いますし、病院のすぐ近くで家族みんなが顔を合わせることで安心してリラックスできる。また、子どもの入院中は、病気のこと仕事のこと、つらかったり悲しかったり、悩むことがたくさんあってなかなか本心が言えなかったりする。そういうことを聞いてもらえる場所や話を聞いてくれる人がいれば、次の治療も頑張ろうと前向きになれると思います。

重病に苦しむ子どもたちは14万人とも

新潟大学病院の小児科の病室(新潟大学病院提供)

こうした重い病に苦しむ子どもたちは全国に14万人いるとも言われています。自宅から遠く離れた病院に長期での入院を強いられる子どもも少なくありません。小児がんや先天性の難病などに対応する新潟大学医歯学総合病院では、県内だけでなく県外からも小児患者を受け入れています。冨田善彦病院長は、子どもはもちろん支える家族の負担が大きいことに課題を感じ、施設の誘致を進めてきました。子どもと家族を支える環境が整うことは医師にとっても心強いと考えています。

社会と病院をつなぐ接点に

新潟大学医歯学総合病院 冨田善彦病院長

私が医者になったのは1985年ですけど、当時治らなかった小児の病気が治るようになった。ただ、治療に時間はかかるのでご家族の負担は大変なものになっている。主治医として見ていて本当に大変だと感じたし、家族全員の人生が変わってしまうことになる。滞在施設は、患者さんとそのご家族の利便性というのはもちろんだが、社会と病院をつなぐ接点として、あるいは小児医療をグレードアップしていくための拠点としても有益なものになる。新潟の小児医療に絶対にプラスになると考えている。

施設では10月1日の利用開始に向けて、施設の運営を支えるボランティアスタッフのトレーニングが行われてきました。取材に伺った日、ボランティアスタッフは利用者のチェックイン、チェックアウトの対応やベッドメイキングのしかたなどを学んでいました。

ボランティアスタッフ向けのトレーニングの様子

白血病を乗り越えた女性がボランティアに

木村まどかさん

トレーニングを受けている1人に、幼少期に白血病を患った木村まどかさんがいました。まどかさんは小学6年生のときに白血病と診断され、1年半の入院生活を送りました。

小学6年生で卒業がもうちょっとだったので寂しいような焦りのようなものを感じました。でも、治るのかどうかも分からないから先のことを考えていいのかどうかという感じで。治療の説明とか副作用の説明とかもしてもらったけど、今までテレビで見たドラマとかでは患者さんが死んでしまうものが多かったので、結局死ぬのかなみたいなのはちょっと思っていました。

小学6年生で入院したときのまどかさん

まどかさんの闘病を支えたのは家族。両親が交互に仕事を休職しながら、病院に泊まり込みました。当時、住んでいた村上市から新潟市の病院に通わなければならず、洗濯などをするため病院の近くにアパートを借りての二重生活でした。

まどかさんの病室に泊まる父親の建吉さん

基本的に、父か母のどちらかは病室にいたので、あまり1人になることはありませんでした。家族が一緒にいてくれて、嫌なことがあれば当たることだってできるし、支えになりました。

家族とともに病気と向き合い、まどかさんは中学2年生のときに退院。いまは母親となり、改めて家族の大切さを感じながら、今度は自身の経験をボランティアとして生かしたいと考えています。

特に中高生とかは、なかなか親に思っていることを正直に言えなかったりすると思うので、そういうときに自分の経験を踏まえて相談にのれたらいいいなと思います。

まどかさんは抗がん剤の副作用で急性すい炎になり、新潟大学病院の集中治療室に運ばれ、12時間におよぶ手術を受けたこともありました。なんとか助かってくれと祈る気持ちで待つ時間が本当につらかったと語る父親の建吉さんはいま、感慨深い思いで娘を見つめています。

木村まどかさんと父親の建吉さん

木村建吉さん
大人になったなと。おそらく、病気をしなければボランティアをしようとか考えなかったんじゃないかなと思っています。病気を経験したことによって、何か自分でもお手伝いしたいという気持ちになってくれたことが1つの成長だなと感じています。

木村さんは親子でボランティアをすることを決めました。

長期入院している子どもにとっては、くつろげる場所っていうのが一番必要な場所だと思っています。それは病院の中ではなかなか得られない。「マクドナルド・ハウス」のような家があって、そこに例えば家族兄弟を含めて一緒に過ごして、退院できないまでも家族で団らんするとか、くつろげる場所が身近にあればとてもいいなと思います。私たちのときに「マクドナルド・ハウス」があったらとっても幸せだっただろうなと感じますし、利用者さんが気兼ねなくのびのびとできるような環境をつくるスタッフになれればと思います。

施設の運営に欠かせないボランティアには、目標の150人を大きく上回る300人の応募がありました。息子と苦しい闘病生活を送ってきた鈴木さんも、自身の経験を生かせればとボランティアに応募しました。

重い病気を患った子どもたちは、退院したあとも、再発への不安や後遺症、体力の低下などさまざまな問題に直面します。鈴木さんは、「施設の完成をきっかけに、そうした小児医療の現状に関心を寄せてもらえればうれしい」と話していました。

利用者が少しでも心安らげるようにと作られた「ドナルド・マクドナルド・ハウス にいがた」。新潟の小児医療の新たな一助になることが期待されています。

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