2016年10月 9日
山水を描き続けた江戸時代の画家・浦上玉堂。
日本の各地を訪ねた玉堂ですからその足跡はいろんな土地に残っていますが、この度はその原点を感じたいと、生まれ故郷の岡山を訪ねました。
現在開催中の「浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」展(岡山県立美術館)の様子。数度に分けて観覧したくなるくらいの密度の濃さ。
江戸中期から後期に活躍した文人画家・浦上玉堂は、1745年に備中鴨方藩士の子として岡山城下にあった藩邸内で生まれ、50歳のとき春琴・秋琴というふたりの息子を連れて“脱藩”。その後江戸、会津、金沢、熊本、長崎など各地に点々と滞在。最後は京都に居を構えてその生を閉じました。
何を思って脱藩したのか。また、一貫して山水画を描いた玉堂が故郷で見て過ごした原風景とはどのようなものだったのでしょうか。
まず訪れたのは現在「文人として生きる―—浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」展が開催中の岡山県立美術館。玉堂が脱藩の際に同行したふたりの息子は、当時春琴は16歳、秋琴は10歳。春琴は後に京都画壇で活躍し父をもしのぐ人気の画家に。秋琴は11歳から会津藩に仕え、藩の「音楽方」として勤めましたが、70歳で隠居した晩年からは絵筆を握る機会が多くなりました。というわけで、この展覧会には親子3人それぞれの作品が並んでいます。
展示点数は約260点。この度の展覧会はアメリカからの里帰り作品や国内各所から集められた作品などが一堂に会し、充実の内容となっています。
玉堂・春琴・秋琴の作品の個性を比較して見られるだけでなく、玉堂が自ら製作した琴や、脱藩直前の手紙なども展示されている。
しかし訪れた理由はそれだけではありません。現在岡山県立美術館が建っている辺り、実は浦上玉堂の生まれた場所なのです。
美術館があるのは岡山城から歩いて10分くらいのところ。ここには昔、岡山藩の支藩である鴨方藩の藩邸がありました。浦上家は代々鴨方藩に仕えた家柄でした。実は鴨方藩の領地は現在でいう岡山県浅口市の辺り、岡山市から結構遠いのですが、藩主や主要な家臣が住まう藩邸や屋敷は、岡山城のおひざもとにあったそうです。
それにしても、展覧会を行っている美術館がある場所が、そのアーティストの生誕の地だなんて、なんだか不思議な気持ちです。
岡山県立美術館のある場所は、鴨方藩藩邸跡地。浦上玉堂生誕の地でもある。
岡山県立美術館から岡山城の天守閣までは歩いて10分程度。
展覧会に出品されていたもののひとつに、浦上玉堂が40代で親しい知人にあてた手紙があり、こう書かれていました。「岡山ハ一向学問流行不仕候(岡山はいっこうに学問が流行る様子がない)」「岡山ハ日々殺風景」。
そして、玉堂は50歳で脱藩します。もっとも、もともとは藩主の側近として仕えた、高い位の藩士でした。そうした立場もあり、藩邸から北へ10分ほどのところに屋敷をもらって、脱藩するまでそこに一家で住んでいました。
岡山藩学校跡。ここで玉堂は鴨方藩主・政香と熱い議論を交わしたのかもしれない。
また美術館の近所に岡山藩の藩学校跡地があります。現在は岡山市立岡山中央中学校の敷地に隣接しており、訪れたときは隣りの体育館で部活動をする中学生の声が聞こえていました。
玉堂が仕えた鴨方藩主・池田政香(まさか)は玉堂の1歳年上、若くして家督を継いだ青年藩主でした。最新の学問に精通した相当なインテリであったようです。玉堂は年が近いこともあり、気も合っていろんなことを語り合えた関係でしたが、政香が25歳で病没。大変な喪失感を味わったようです。岡山を去るのはそれから20年以上後ですが、玉堂の考え方に大きな影響を及ぼした、ひとつのターニングポイントだったのではないでしょうか。
今では跡地となっているこの藩校で、かつて20代前半の政香が家臣たちを相手に儒学の講義をしたことが伝えられています。玉堂もその場に居て、熱心に耳を傾けたり、藩主政香と議論をしたりしたのでしょうか。
岡山駅から車で20分ほど行ったところにある半田山墓地。ここには江戸時代の墓が多く残っていて、浦上家の墓もあります。
浦上家の墓があるのは、半田山墓地の中でも斜面の上の辺り。そこからの眺めは、こんな感じ。
浦上家の墓地。手前に見えるのが、秋琴のお墓。劣化してわかりにくいが、そのすぐ隣りには「浦上玉堂春琴秋琴三先生胎髪之碑」という石碑が見える。
玉堂と春琴の墓はここにはなく、京都・本能寺の墓地。織田信長の墓のすぐ隣にあります(ふたりは京都で没)。ここにあるのは浦上家としての墓と、秋琴が眠る墓です。
しかし、考えてみればどうして脱藩者の家の墓がこうして残っているのでしょう? 玉堂が脱藩した後に浦上家はお家断絶になったようですが、そこまで厳格なことではなかったのか、長男の春琴は京都に住むようになった30代以降、しばしば岡山を訪れています。
また次男・秋琴は父・玉堂に連れられて岡山を去った後、会津藩に勤めることになったわけですが、85歳のときに岡山に戻っています。秋琴の次男宗尚が春琴の養子になって春琴の一人娘恒と結婚、浦上の名跡を継ぎ鴨方藩に取り立てられます。今、こうして浦上家の墓地があるのも、お家再興があったからでしょう。
もうひとつ思うところがあるのは、玉堂の妻・安(やす)夫人と、玉堂の娘で春琴・秋琴の姉である之(ゆき)の墓は別の場所にあることです。2人の墓は春琴が岡山を訪れたときに立てたのですが、安夫人の実家である市村家の墓地にあります。浦上家が再興する前のことなのでなにか事情がありそう。なお、安夫人は玉堂が脱藩する前に既に亡くなっており、之(ゆき)は、玉堂脱藩の翌年、岡山で亡くなっています。春琴はどんな想いで母と姉の墓を立てたのか……。
半田山の高台から岡山の街を見渡しながら、いろんな思いが駆け巡ります。
次に向かったのは、県立美術館から車で15分。小高い丘の上にある「新天地育児院」です。ここは、岡山で明治時代、孤児救済に尽力した石井十次が建てた「岡山孤児院」の理念を継いだ児童養護施設として、明治44年から今日まで続いています。こちらの敷地内に、「玉堂松風之碑」という石碑が立っており、名の通り、碑と並んで松の木もあります。
新天地育児院の敷地の中にある「玉堂松風之碑」。石碑と一緒にベンチが置かれていて休憩もできる。
石碑の碑文を書いたのは法政大学学総長を務めた故・中村 哲氏、浦上玉堂のひ孫にあたる方です。碑文には「浦上玉堂〜(中略)〜松風の響深キ岡山城下に住ス」とあります。確かに取材中も、松の木が風に吹かれるザザザという音色が心地よく聞こえてきました。碑が建立されたのは記録によると1985年で、具体的にこの場所で浦上玉堂が作品を描いた場所ということではないようですが、岡山の街を一望できる見晴らしの良い丘ということもあり、ここが選ばれたようです。「松風の響深キ岡山城下に住ス」、玉堂が暮らした岡山の街の面影を、音から感じてみました。
新天地育児院。敷地内には“児童福祉の父”石井十次の記念園もある。
ここまでは岡山市内の、徒歩あるいは車で10〜15分程度で行ける場所でしたが、次は思い切って車で1時間ほどドライブ。岡山市の隣り、総社市の山中にある、「豪渓(ごうけい)」という山の景勝地を訪ねます。
花こう岩がつくり出す岩肌と深い緑の織りなす景色が魅力の「豪渓」。写真集などで見る中国の山の風景と似ているようにも感じる。
山水画家として知られる玉堂ですが、玉堂研究の第一人者である故・鈴木進氏の文章に「玉堂画に関心をもたれた方は画の母胎となった吉備路の山々とか、豪渓の奇岩あるいは、下津井あたりの山肌が露出した巨岩などを自分の目でたしかめてほしい」(『日本の名画9 浦上玉堂』講談社 昭和48年刊)という一節があります。
岡山市中心部から豪渓までは車でちょうど1時間くらい。蛇行する高梁川の支流細谷川に沿って絶壁の岩肌を見せる山の景色が見られます。色をなくしてモノクロにしたらそのまま玉堂の絵かと見まごう……とは言い過ぎかもしれませんが、玉堂の山水画に描かれたモチーフを目の辺りにしているような感覚になること受け合いです。
今回は、初秋の訪問でしたが、こちらは紅葉の名所として人気の高い場所です。例年ピークは11月のようですが、玉堂展は10月の末までの開催。運が良ければ、色づいた豪渓の山の景色を、展覧会と合わせてお楽しみいただけるのではないでしょうか。
左/ばら寿司 右/鰆のタタキ。
さて、岡山市内に戻ってきました。せっかくなので旅の終わりに地元の美味をいただいていくとしましょう。岡山は瀬戸内海に面しており海の幸が大変豊か。たとえば、鰆(さわら)は消費量も取り扱い量も共に岡山県が全国1位。岡山の人たちは鰆を生で食します。「鰆のたたき」も刺し身も絶品でした。またシャコ、下津井のタコなど、季節ごとにおいしいものを楽しめます。
そして忘れてならないのが「ばら寿司」。昔から岡山ではハレの日に食べられてきた伝統食。他の地域の「ちらし寿司」では生の具が入れられることが多いですが、岡山のばら寿司では魚介は煮たり焼いたり酢じめされたりしたものが乗ります。ちなみにこのお寿司は、初代岡山藩主池田光政による倹約令がきっかけで生まれたと伝えられています。その後に生まれた玉堂にとってもきっとなじみ深い食べ物だったに違いない……。そんなことを思いながら箸を進めました。
玉堂の面影を追う岡山旅、ぜひどうぞ。
岡山県立美術館(鴨方藩邸跡)岡山県岡山市北区天神町8-48
岡山藩学校跡 岡山県岡山市北区蕃山町 岡山中央中学校敷地内
半田山墓地 岡山県岡山市北区津島東3
玉堂松風之碑 岡山県岡山市門田本町4-2-30新天地育児院内
豪渓 総社市槙谷2761(豪渓観光案内所の住所)
現在岡山県立美術館では
「文人として生きる―—浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」が開催中です。(2016年9月23日〜10月30日)
その後、千葉市美術館に巡回します。(2016年11月10日〜12月18日)