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「日曜美術館」ブログ|NHK日曜美術館

出かけよう、日美旅

第14回 日本アルプスへ 吉田博を感じる旅

2016年7月10日

明治・大正・昭和にかけて世界中を巡って風景画を描いた吉田博。

中でも生涯をかけて題材にし続けたのが、山岳の景色でした。
今回の日美旅では、吉田博の代表的な山岳風景の木版画シリーズ「日本アルプス十二題」に描かれた、北アルプスの山々を訪ねます。

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吉田博の木版画の中でも特に人気の高い「劔山の朝」に描かれている立山連峰の剱岳(つるぎだけ)。

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今回の旅は山岳雑誌を中心にイラストレーター/ライターとして活躍する成瀬洋平さんに聞いた話をもとに構成しています。

成瀬さんは吉田博の足跡を追って日本アルプスの山々を歩いた経験を持ち、「吉田博の見た日本アルプス」という連載記事を書いたこともあります。

幼い頃から山に親しんできた成瀬さん。吉田博の作品との最初の出会いは、アウトドアブランドの記念Tシャツにアメリカ・ヨセミテ国立公園をテーマに描いた吉田の木版画「エル・キャピタン」が使われていたことでした。そのブランドの創業者は、クライミングの聖地を描いたこの木版画を大変気に入って所有していると言われています。

立山連峰 五色ヶ原(ごしきがはら)

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五色ヶ原。高山植物に彩られた高原。雲上の楽園とも呼ばれ、夏山には花々が咲き誇る。

最初に吉田博の木版画を見て驚いたのは、景色の色合いや雲の表現だったそうです。日本アルプス十二題「五色原」に描かれた雲を見たときにも感嘆しました。

「たとえば、向こうに見える雲と手前の雲の描き方を見るだけでも、すぐに天気が移り変わってしまう山特有の空気がうまく表されている。それは山にちょっと行っただけで描けるものではない。長い時間そこに居て、その変化をつぶさに観察しているからこそ出てきた表現。しかもそれをわかったうえで、こんなに巧みな絵画表現にできるんだという驚きがあった」

吉田博は夏の間、数か月も山にテントを張り、たくさんスケッチをして油絵や水彩を描き、下山した冬の間に木版画を制作していました。

山で生活をしながら絵を描く日々の様子は、吉田博自身の著作『高山の美を語る』(実業之日本社)のなかで詳しく語られています。

「雲の変化とか朝・夕方といった色彩が劇的に変化する頃を吉田は特に気に入っていたようで、その時間帯に集中して絵を描き、あとは割とのんびり山の中で生活していたようです」

なお、五色ヶ原とは北アルプスの、立山連峰の途中にある台地。高山植物が咲き乱れる美しい草原として知られています。

穂高山

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穂高山を上高地から望む。

吉田博の山岳の木版画を見ていると「なぜその場所から描いたのか」ということが気になってきます。たとえば穂高山。吉田博は次男に穂高という名を付けるほどに愛着を持っており、事実何度も穂高山を描いていますが「日本アルプス十二題 穂高山」では上高地を前景として描き、肝心の穂高山は遠目。主役というには小さめに描かれています。

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(左)穂高山自体は岩の塊という感じ。(右)テントで野営。

「剱岳(つるぎだけ)はその名の通り、剣のような象徴的な形をしていて絵にもしやすい感じですが、穂高岳はその山自体の中に入ってしまうと周りはゴツゴツの岩ばかり。構図的にはむしろちょっと引いて見たほうが穂高は美しく映える。だから上高地の辺りから眺めた風景として描いたのではないでしょうか」

剱岳

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剱岳。吉田博の木版画「劔山の朝」と頭の中で重ねてみてください。

成瀬さんは、日本アルプスを描いた吉田博の木版画の中でも特に好きな一枚として「劔山の朝」を挙げています。

この絵の特徴である、剱岳頂上付近の赤みを帯びた色彩とその下の青みがかった部分。またそうした色と雪の白とのコントラストや、山上にかかる雲や空の表現も好きだといいます。

「それに加えて、手前にテントが描かれているところがお気に入りなんです。それによってただ客観的に美しい景色としてではなく、その山に自分がいるような気になれる」

日本アルプス十二題にはまた「鷲羽岳(わしばだけ)の野営」という、夜の山でたき火をしている様子が描かれた一枚があります。「こんな場所でこんな時間を過ごしたい、と思わせてくれる一枚なんですよね」

大天井岳(おてんしょうだけ)

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大天井岳。吉田博の描いた「大天井岳より」では右隅に集落のようなものが描かれている。

その一方で、山登りをする人からすればなぜここを選んだのだろう……と不思議に思ってしまう作品も、日本アルプス十二題にはあるそうです。

「たとえば、『大天井岳より』という作品があります。山を知っている人ならば、日本アルプスから12の代表的な風景を選ぶとしたときにこの場所は選ばないんじゃないでしょうか。この絵の左側に描かれている有明山は安曇野から見える、標高の低い山。登山ルートはありますが、行く人はそう多くはないと思います」

ただ、成瀬さんはこのように推測もします。「この絵には小林喜作(こばやし・きさく)という、山のガイドの存在が関係しているのでは。吉田博が山に行くときの案内人であり、とても信頼を寄せていた人物ですが、この絵を描く3年前に雪崩で命を落としています。その小林の郷里が安曇野だったということがあって、この風景をわざわざ入れたのではないか」  

吉田博は『高山の美を語る』でも山は一緒に行く人がとても大事であると語っています。画家であると同時に登山家として、山岳人への敬意や仲間との絆なども合わせて山を表現していたのではないか。 

なお小林喜作が切り開いた大天井岳から槍ヶ岳へ通ずる登山道は現在も山岳地図に「喜作新道」として記述されていますが、その名前をつけたのは吉田博です。

烏帽子岳(えぼしだけ)

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烏帽子岳の岩場と雲海。

この烏帽子岳も、山に精通した人なら知っているけど、山登りの経験がまだ浅い人だとおそらく知らないであろう、北アルプスの中でも割とマイナーな山です。もっと代表的な山岳はたくさんあるのになぜあえてここを選んだのか。そう首をひねると言います。 

「吉田博は岩山の上から雲海を見下ろす風景も好きだったそうで、それで『烏帽子岳の旭』を描いたのではないでしょうか」。

日本アルプス

日本アルプスは、飛騨山脈からなる北アルプス、木曽山脈がつくる中央アルプス、赤石山脈の南アルプスを合わせた総称で、総じて3000メートル級の山から構成されています。3000メートル前後になると森林限界を超え、高山植物をのぞいて木も生えない。普段の日常では出会うことのできない「別世界」が広がっている。そこが一番の魅力だと言います。

「吉田博がこれらの絵を描いた1920年代から100年近くが経っているのですが、山小屋ができたりはしているものの基本的には現地の風景は変わっていません。だから吉田博が見たのと同じ景色を、自分も追体験することができるというのも魅力です」

燕岳(つばくろだけ)

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今回ご協力いただいたイラストレーター/ライター・成瀬洋平さんによる燕岳の絵。

なお、山登りの経験が浅い人はいきなり日本アルプスを登るのではなく、別の場所から経験を重ねるのが良いという成瀬さんのおすすめは「燕岳」だそうです。

北アルプスの山ですが、5時間くらいの登山で山頂にたどり着くことでき、3000メートル級のりょう線にも上がれます。
「僕自身、小学1年生のときに初めて上った北アルプスの山。今でも初めて高い山にチャレンジする友人はだいたい燕岳に連れていきます」。

吉田博も燕岳について「絵描きが好む山」との言葉を残しています。なお、燕岳には立派な山小屋もあり、そこには山岳を愛した画家・畦地梅太郎の版画が飾ってあります。

燕岳の山小屋。ここを皮切りに日本アルプスに、チャレンジしてみてはいかがでしょう。

(文中の写真すべて=成瀬洋平)

住所

● 立山連峰 五色ヶ原 /富山県富山市五色ヶ原
● 穂高岳 /長野県松本市、岐阜県高山市にまたがる
● 剱岳 /富山県中新川郡上市町、立山町にまたがる
● 大天井岳/ 長野県大町市・安曇野市・松本市にまたがる
● 烏帽子岳 /長野県大町市, 富山県富山市にまたがる


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