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「日曜美術館」ブログ|NHK日曜美術館

出かけよう、日美旅

第1回 京都へ 若冲を探す旅

2016年4月10日

日曜美術館を見て、実際にその美の世界を体験してみたくなったという方に向けて、「アートな旅」のコラムを始めることにしました。

題して「出かけよう、日美旅(にちびたび)」。第1回は伊藤若冲です。向かった先は京都。

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現在は宮内庁に所蔵されている「動植綵絵」30幅がもともと奉納されたのは上京区にある相国寺です。その中にある承天閣美術館に行ってきました。収蔵品をまとめて見られる若冲展が、7月1日から開催されます!(写真は「鹿苑寺大書院旧障壁画」の「葡萄小禽図」)

ご存知の通り、京都は若冲が生まれ、暮らし、そして多くの作品を遺した場所です。
また今年は伊藤若冲生誕300年を記念し、京都でも若冲ゆかりのお寺やミュージアムで、相次いで作品の展観を行います。おそらく若冲作品がこれ程までに見られる機会はそうないでしょう。
2016年、京都へ、若冲旅に出掛けてみませんか?

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早速、日曜美術館のスタッフが京都に足を運んできました。

今回伺ったのは「相国寺」「錦市場」「宝蔵寺」「細見美術館」「鴨川」「石峰寺」です。

相国寺

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(左)相国寺内にある承天閣美術館。(右)展示されている「鹿苑寺大書院旧障壁画」(写真はそのうちの「月夜芭蕉図」)。

本格的に絵を描き始めた30代の頃から、若冲作品のうちでも最高傑作との呼び声高い「動植綵絵」30幅を完成させた50代前半まで、彼の作品や人生に深い関わりがあったのが臨済宗の相国寺です。正確に言えば、相国寺の僧であった梅荘顕常(ばいそうけんじょう 号 大典)の存在が30〜50代の若冲には大きく影響を与えています。大典禅師との親交の中で若冲は禅宗に傾倒していったとされ、若冲の作品は仏画の性格を深めていきます。「鹿苑寺大書院旧障壁画」(鹿苑寺は通称“金閣”。相国寺の塔頭寺院のひとつです)や「動植綵絵」が生まれたのも大典禅師とのつながりから。1767年には一緒に船旅にも出掛け「乗興舟」という、大典和尚の詩と若冲の絵のコラボ作品なども生まれています。ただ記録ではっきりとわかるのはその辺りまでで、1772年に大典は相国寺の住職に推され、また若冲も実家の青物問屋の危機に奔走するなどして状況が変わる中で、その後の付き合いがどうだったかまでははっきりわかっていません。

相国寺承天閣美術館/京都府京都市上京区今出川通烏丸東入上る相国寺門前町701

錦市場

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(左)錦市場。若冲生誕300年の幕が掛かる。(右)京都錦市場商店街振興組合理事長・宇津克美さん。錦市場にとって若冲は「単なる画家を越えて、錦市場を救った恩人」であると語ります。

「京の台所」と呼ばれる、魚屋・八百屋・漬物屋などが並ぶ昔からの市。若冲はもともと錦市場にあった「桝屋(ますや)」という青物問屋の生まれでした。長男につき23歳で家督を継いだのですが、40歳で弟に譲って本格的に画の道に進みました。実家から金銭的支援を受けつつ、高価な絵の具を使って制作していたとのことです。
錦市場との関係からは若冲の別の顔も見えてきます。1771年に錦市場が奉行所から営業停止に追い込まれるという事態が発生したのですが、このとき若冲は錦市場の町衆としてその撤回に向けて奔走。策を練り交渉にあたった中心的人物だったと言われています(「京都錦小路青物市場記録」より)。その尽力があって市場は再開、現在まで続く錦市場の繁栄への道筋をつくったのです。この史実により、錦市場の人々からは今も若冲は「錦市場の危機を救った人物」として慕われています。現在、市場を行くと、若冲の生誕300年を祝う幕が掛けられています。
もうひとつ注目すべきことは、数多くの作品を世に送り出した若冲が、50代後半のこの数年間はほぼ絵を描いていなかったという事実です。

錦市場/京都府京都市中京区 富小路通四条上る西大文字町609

宝蔵寺

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(左)宝蔵寺。(右)一番右が両親の墓。真ん中が次弟・宗厳(白歳)、左が末弟・宗寂の墓石。2月8日の生誕会には錦市場から野菜が供えられます。

伊藤家の菩提寺。ここには若冲の父母、先代、そして弟二人のお墓があります(若冲は男ばかり3人兄弟の長男)。両親と末弟・宗寂のお墓を建立したのは若冲とのことです。
このお寺に現在所蔵されている若冲作品は「竹に雄鶏図」「髑髏図」の2点ですが、あの有名な、お釈迦様と羅漢が皆野菜の姿を借りて描かれている、ちょっとユーモラスな「果蔬涅槃図(かそねはんず)」も、もともとは宝蔵寺の本山・誓願寺に寄進されたものだったようです。母親が他界したとき、亡き母のために描いて納めたとか。長男としての責任感や、家族思いの一面を持った人物であったことが伺われます。また家督を兄から継いだ次男も若冲のことを大変慕っていた模様です。「白歳」と画号を名乗り、絵を描いていました。彼の作品も宝蔵寺にあります。なお、宝蔵寺では毎年若冲の生誕会が2月8日に行われ、お軸が出ます。このときには、錦市場の方々が、お供えものとして野菜を持ってこられるそうですよ。

宝蔵寺/京都府京都市中京区裏寺町587

細見美術館

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(左)細見美術館外観(写真提供=細見美術館)。(右)細見良行館長。細見館長は現代美術にも精通されており、かつて東京でデビュー間もない村上隆の展覧会なども行った方でもあります。

細見美術館は、いち早く若冲作品の収集を行った細見家のコレクションを展示する美術館です。若冲人気は2000年に京都国立博物館で大規模な若冲展が開かれ話題となったことから火がついたと言われますが、この美術館では前年の1999年に、若冲の展覧会を行っています。大変に貴重な東洋古美術品を数々収蔵されていることで知られる細見美術館ですが、そうした古美術品を通じて海外のコレクターとも親しくされており、海外で若冲が早くから注目され始めていることを館長の父・實氏は肌で感じていたそうです。現在19件の若冲作品を収蔵されていますが、中でも特に人気なのは「糸瓜群虫図(へちまぐんちゅうず)」。糸瓜と一緒に描かれている11の虫を探しながら見るのも愉しみのひとつです。細見美術館は常設はしていないので普段は若冲作品を見ることはできませんが、6月25日から若冲展を行い、所蔵品すべてが展示されます。

細見美術館/京都府京都市左京区岡崎最勝寺町6−3

鴨川

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鴨川では鳥や花が眺められ、まさしく動植綵絵に描かれたような「草木国土悉皆成仏」の精神を感じることができます。

若冲が「桝屋」を弟に任せた後に構えた居宅兼画室は、五条から六条の間の鴨川沿いにあったと言われています。その名も「心遠館」。実はこの名称は、若冲の魅力をいちはやく見出し、名作を数多く所有するアメリカ人コレクターのジョー・プライスさんが自身の所蔵品を保管・展示する美術館の名前にされています。由来はここにあったのですね。

1788年の天明の大火で燃えてしまったとされていますが、若冲の画室があったはこの辺かな・・・と想いをはせながら鴨川沿いを散歩してみるのも一興ではないでしょうか。

石峰寺

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(左)若冲は晩年、石峰寺の門前に庵を結んで暮らしたとされています。(右)伊藤若冲のお墓。「斗米庵若冲居士墓」と書いてあります。若冲は斗米庵と名乗り、描いた絵と米一斗を交換していたとのエピソードが残っています。

若冲の画家人生の前半において相国寺・大典禅師の影響が大きかったとすれば、晩年における大きな支えは黄檗宗のお寺・石峰寺の存在だったのではないでしょうか。60歳頃から亡くなる85歳(数え年)までの、ゆうに約四半世紀、石峰寺との深い縁がありました。それを表す何よりのものが、今も同寺に残る五百羅漢像の石仏たちです。この石仏群は若冲の生涯唯一の立体作品でもあります。つくられた当初は1000体以上だったと言われていますが、風化などで現存しているのは約500体とされています。誕生、来迎菩薩、説法、涅槃、賽の河原など、釈迦の一生が場面毎にドラマチックに石仏で表現されており、壮大な劇場のようです。百聞は一見にしかず、ぜひご体験あれ。

天明の大火で店も自宅も焼け出されてしまった若冲は、1791年頃から石峰寺の門前に画室を構えて、85歳で生涯を閉じるまでそこで制作したとされています。「象と鯨図屏風」(1795)などの作品はここで生み出されていたことになります。石峰寺との縁が深くなったのは、黄檗宗総本山万福寺の住職・伯珣照浩(はくじゅんしょうこう)との交流が大きかったからのではないかとされており、五百羅漢像も伯珣照浩への敬意からつくられたとも言われています。

若冲自身のお墓はここ石峰寺にあります。石峰寺自体も高台で大変眺めが良いですが、若冲のお墓の前も景色が開けており、お墓の中にいる若冲さんが見ている眺めを感じることができます。なお、石峰寺では毎年9月10日の命日に法要が行われ、若冲の遺した作品を鑑賞しながら、若冲にまつわるご住職のお話も伺うことができます。

石峰寺/京都府京都市 伏見区深草石峰寺山町26

その他

若冲関連では、中京区にある壬生寺(みぶでら)で毎年春秋に行われる狂言がありますが、そこで使われるお面の中に、若冲の手がけた面があるとのことです。それは僧侶の面。運良く僧侶が登場する狂言の年に当たれば、出会えるかもしれません(毎回使われるわけではないそうです)。


最後に、2016年、京都で若冲の作品が見られる情報をまとめてみました。
京都で若冲、ぜひお楽しみください!

2016 伊藤若冲の作品が見られる京都情報

◎相国寺承天閣美術館 (上京区)
収蔵作品「鹿苑寺大書院旧障壁画」(全50点)など
・〜2016/6/19までは「鹿苑寺大書院旧障壁画」50点のうち、「葡萄小禽図」「月夜芭蕉図」2点のみ見られる
・2016/7/1〜2016/12/4 若冲展開催予定 障壁画50点すべて観覧可能
それ以外にも第一・第二展示室すべてを使い、若冲ゆかりの作品が並ぶ

◎細見美術館(左京区)
収蔵作品「糸瓜群虫図」「鼠婚礼図」など
・2016/6/25〜2016/9/4 「伊藤若冲」展 細見コレクションを始めとして20数点を展示予定

◎京都市美術館(左京区) 
・2016/10/4〜2016/12/4「伊藤若冲生誕300年記念 若冲の真実」展

◎建仁寺塔頭 両足院(東山区)
2016/12/9〜2017/1/29「雪梅雄鶏図」特別拝観(12/30、31は拝観休止)

◎京都国立博物館(東山区)
収蔵作品「果蔬涅槃図」「群鶏図障壁画」など
・2016/12/13〜2017/1/15 特集陳列「生誕300年 伊藤若冲」を予定

◎石峰寺(伏見区)  
収蔵作品「虎図」、「五百羅漢石像」など
・2016/4/26〜2016/5/5「生誕三百年石峰寺伊藤若冲顕彰会 特別展示会」開催。「虎図」など10点程度展示予定。
・2016/9/1〜2016/9/10にも展示を行う予定。命日9/10には法要が行われる。


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