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2020年4月 5日

アートコラム オルセー美術館

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4/5放送の日曜美術館「見つけよう!あなただけのオルセー美術館」にあわせてコラムをお届けします。知っていると番組の内容がより楽しく、美の根源がわかります。

カイユボットの遺産

世界きっての“印象派絵画の殿堂”として広く知られるオルセー美術館ですが、そこには1894年、画家のギュスターヴ・カイユボットが、遺言と共に自身の蒐集したコレクションを国に寄贈したことが大きく関係しています。

番組でもカイユボットの作品を紹介しましたが(「床削り」)、彼は画家と同時にコレクターでもあり、印象派の仲間たちに資金の援助をし、作品も購入していました。
亡くなるとき、彼はルーヴル美術館に印象派の絵画が入ることを願ってコレクションを寄贈しましたが、当時はまだ印象派の価値も定まっていない時代。
アカデミズムの画家などから「あんな作品を受け入れたら国の汚点」などと言われ大反対にあったそうです。

時代が経過してカイユボットから譲られた印象派の作品群はジュ・ド・ポーム美術館やルーヴル美術館に分けて管理されることになりましたが、オルセー美術館開設にあわせてまとめて移管されることとなったのです。

現在オルセー美術館に収められているカイユボットからの寄贈作品はドガ「バレエ」、マネ「バルコニー」、モネ「サン=ラザール駅」、ルノワール「習作(陽光の中の裸婦)」ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」など。
まさにオルセーの屋台骨といって良い名画たち。カイユボットの存在がなかったらこれらの絵は散逸して、今日オルセー美術館で人々が楽しむことはなかったかもしれません。

建物のヒミツ

番組中でオルセー美術館はもと駅舎という話が出てきましたが、オルセー駅がつくられたのは1900年のことです。
新世紀の幕開けを祝って開催されたパリ万国博にあわせてつくられたターミナル駅でした。ただ1939年には廃駅となって、以来行き場をなくしていました。 

一時は建物を壊して国際ホテルを建てる計画が決まりかけましたが、建築許可が降りず取りやめに。
1970年代に入ってようやく美術館として再生させる案が示されました。
そして1986年、ミッテラン大統領のときオルセー美術館は開館しました。

工業建築を大規模な美術館としてリノベーションすることは、発電所だった建物を美術館にしたロンドンのテート・モダンのように近年では珍しくありませんが、オルセー美術館はそうした事例の先駆けでもあります。

駅舎時代の、ヨーロッパ古典様式による王宮のような建築の雰囲気は、現在オルセー美術館のレストランで体感できます。
もともとオルセー駅に併設されたレストランだった部分で、内装や天井のフレスコ画など、当時の内装がそのまま生かされています。  

オルセー美術館は駅舎だったときの吹き抜け空間を使っているため、天井の大きなガラス屋根から自然光が差し込みます。
まさに戸外で描かれた印象派の絵画にはぴったりのシチュエーションとも言えますが、これは駅舎がつくられたのが電気機関車の登場した頃で、蒸気機関車の乗り入れない世界初の幹線鉄道駅として設計されたことと関係しています。
蒸気や煙の排出がなかったためにホームを覆う大きなガラス屋根の設計が可能になったというわけなのです。