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2019年12月15日 / 旅の紹介 第105回 長崎へ 奈良原一高を感じる旅

戦後の写真表現を切り開いた奈良原一高(1931-)は3歳から6歳まで過ごした長崎を“夢の町”と語りました。また初期の代表作「人間の土地」のモチーフのひとつは長崎の軍艦島でした。奈良原一高の表現の原点を感じに、長崎の町を旅します。

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グラバー園の第2ゲートから見た、長崎の街と海を一望する眺め。

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1956年の初個展「奈良原一高寫眞展 人間の土地」が大きな反響を呼び、一躍注目を集める写真家となった奈良原一高。写真の題材に選んだのは、桜島の噴火によって集落が埋没した鹿児島の黒神村と、通称・軍艦島の名で知られる長崎県の炭鉱の島・端島(はしま)。そこでの人間の暮らしでした。 

後に活躍の舞台を世界に広げた奈良原一高ですが、福岡に生まれ、幼少期を長崎で過ごしました。その後親の転勤でさまざまな土地に住みましたが、西洋・中国・日本の混交文化や、独特のヴィヴィッドな色彩感覚、祭りや遊びのダイナミックさから、長崎は特別な町として記憶されています。

「ステンドグラスの透過光も赤い支那寺も煙に包まれた阿茶さんのお盆も蛇踊りもペーロン競漕もコッコデショも(引っ越した先には *編集部注)無かった。」(奈良原一高文集『太陽の肖像』より)

長崎での幼少期のことを、詩人リルケの言葉を引いてこうも述懐しています。「おそらく人間は、幼年時代の国以外、どこの国にも属してはいないのかもしれない」。いかに自分にとって特別な、幸福な記憶の場所であったかということが伺い知れます。

東山手地区のオランダ坂

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オランダ坂を上る途中、左手に見えるブルーの洋館は東山手甲十三番館。昭和初期にはフランス領事館だった。

長崎散策、まずはオランダ坂を上るところから始めてみます。1859年の開国以来、外国人居留地が設けられましたが、東山手地区と呼ばれるこの辺りも当時の居留地エリアのひとつ。その頃創設されたミッション系スクールの活水学院も現在まで続いています。奈良原一高は青年期に長崎に戻り、活水女子大の女性と見晴らしの良い丘で過ごした思い出を語っています。

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東山手洋風住宅群。洋館であるが屋根は瓦。

南山手地区の「旧自由亭」(グラバー園内)

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現存する日本最古のキリスト教建築・大浦天主堂。庭には棕櫚(しゅろ)が茂り南国的。

大浦川をはさんで東の丘が東山手、西の丘が南山手。南山手の旧居留地エリアは、大浦天主堂やグラバー園が有名です。丘の上のグラバー園にはグラバーをはじめ長崎開港後に移り住んだ外国人たちの邸宅が保存されているほか、長崎市内の歴史建造物も移築されています。その移築建築群の中に、なんと奈良原一高の実家だった建物が含まれています。

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グラバー園は山の中腹。長崎港を見下ろす素晴らしい眺めが広がる。

旧自由亭という、明治初期に西洋料理店だった建物がそれです。西洋料理店が閉店後、この建物は日本政府に買収され第二次世界大戦後は検察庁官舎として利用されました。奈良原一高の父親は検事正を務めた人物だったことから、この家に暮らすこととなったのです。奈良原一高が軍艦島を撮影した頃に過ごした建物です。   

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グラバー園内にある旧自由亭。現在は喫茶室として使われている。

もっともグラバー園に移築されたのはかつての官舎のうちの、玄関と応接広間として使われていた別館部分のみ。もともと渡り廊下で結ばれた中庭付きの本館があり、住居部分は主にそちらでした。

日本人シェフ初の西洋料理専門店を開業した草野丈吉のレストランであった時代。そして奈良原一高も暮らした検察庁官舎だった時代を経て、現在はグラバー園の中で喫茶室として利用されています。 

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西洋料理店の後には、検察庁官舎として使われた旧自由亭。

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何度かの改築が行われているが、洋風の意匠は官舎時代から引き継がれている。

長崎伝統芸能館で見る「長崎くんち」 

グラバー園内にある長崎伝統芸能館では、毎年10月7・8・9日に開催される長崎の秋のお祭り「長崎くんち」の雰囲気を味わうことができます。長崎くんちとは“おすわさん”の名で地元で親しまれる諏訪神社の秋の大祭で、毎年たくさんの人が詰めかけます。国際色豊かな出し物が人気で、もともと唐人屋敷で行われていた舞踊を日本人が教わったという龍踊(じゃおどり)*注、エキゾチックな衣装に身を包んで踊る阿蘭陀万歳(オランダまんざい)、奉納踊りの中でも特に人気の高い、コッコデショの通称で知られる太鼓山などがあります。

*注……奈良原一高の回顧録では蛇踊りと記述されているが、おそらく龍踊(じゃおどり)のことと考えられる。

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長崎伝統芸能館。「長崎くんち」で奉納される龍踊で使われる飾り。

長崎くんちは奈良原が述懐している「長崎の街のもつ立体感や色彩の豊かさ」「多国籍的な遊びのスリルと楽しさ」を象徴する祭りであったことでしょう。映像を見ているだけでもそのダイナミックな雰囲気が感じ取れます。実際、その場を体験したらどれほどの非日常感が味わえるのでしょう。

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長崎くんちの出し物のひとつ、曳物(ひきもの)。車輪のついた船型を大勢で曳く。こちらは「竜宮船」。

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踊りを奉納する町を踊町(おどりまち)という。それぞれの踊町には踊りの先頭を飾る傘鉾(かさぼこ)がある。町の特色を表すアイコン的な装飾が施される。

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諏訪神社。下に見える駐車場が毎秋「長崎くんち」の舞台となる。

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諏訪神社の一の鳥居。鳥居を出たすぐの場所辺りに検察庁官舎があったと思われる。

唐人屋敷

東山手から歩いて15分くらいのところに、長崎新地中華街があります。中華街を抜けて、ゆるやかな坂を上っていくと奈良原一高の回想に書かれた「赤い支那寺」が残る唐人屋敷が現れます。江戸末期に中国人専用居住区としてつくられたエリアですが、何度か大火に見舞われ、今では数軒の遺構があるのみ。それでも他では見られない固有の色彩感を味わうことができます。

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唐人屋敷エリアにある土神堂(どじんどう)。赤緑黄などの原色が鮮やか。

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天后堂(てんこうどう)。火災で失われたが再建された。

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長崎新地中華街。もともとは唐人屋敷に付属した倉庫区域として埋め立て造成されたエリアだった。

浦上天主堂 

長崎新地から路面電車で30分ほど北上すると、原爆の爆心地に隣接する平和公園があります。その丘から東に見えるのが浦上天主堂。東洋一と称された教会建築で知られていましたが、1945年の原爆では落下地点から500メートルという至近距離にあったため一瞬のうちにがれきと化しました。1959年に聖堂が再建されましたが、その数年前、1955年の『カメラ毎日』には奈良原一高が撮った廃墟の浦上天主堂が掲載されました。原爆の遺構を留めた写真であるのと同時に、実は世に出た奈良原一高の最初の写真でもあります。

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最初の大聖堂は原爆投下で倒壊。1959年に建物が再建され、1980年に現在の姿に改装された。

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がれきの中から発見された、顔の部分だけ残ったマリア像(通称被爆マリア像)。 

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聖堂内。透過光ゆえの美しさを放つステンドグラス。

軍艦島クルーズ

最後に向かったのは、写真家奈良原一高を一躍知らしめたシリーズ「人間の土地」の舞台となった端島(はしま)、通称・軍艦島です。現在、明治日本の産業革命遺産として世界文化遺産登録されている端島は1890年に佐賀藩から三菱が権利を買い取り、炭鉱島として栄えました。幾度となく埋め立て・拡張され、岩礁はコンクリートで固められ高層の鉄筋アパートが連立する、その様子はさながら海の上の城塞のよう。軍艦島の名前は、海から見た姿が旧日本海軍の戦艦・土佐に似ていることから付いたそうです。

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2009年から観光客の上陸と一部見学が可能になりましたが、現在は台風17号の影響で島の施設に損壊があり一時的に上陸が止められています(2019年12月3日取材時点)。海上から見学する周遊ツアーに参加してきました。

最盛期、1960年頃には炭鉱関係者とその家族たちで5000を超す島民が居住し、当時の人口密度は東京を超えて日本最高であったといいます。しかしそこで暮らす人々の生活で見えるのは空の青と、ねずみ色の建物。緑なき島でした。

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見る角度によってシルエットが軍艦のように見える。

奈良原一高が上陸して撮影を行った1954年当時の人口は約4800でしたが、1974年の炭鉱閉山によって島民全員が出ていき、以降は無人の島となりました。今は人っ子一人居ないコンクリートと岩の塊。けれども島の小高い場所に、神社のほこらが壊れずに残っているのを見つけました。そこに人の暮らしがあったときには祭りもあり、この神社からみこしを担いで島内を回ったそうです。いびつな人工島と言いながら、そこで生きていた人々の生活というものが伝わってきました。

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周りをコンクリートで固められ、島というより大きな人工物の印象。

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右手のビルの上の三角屋根の小屋のように見えるのが端島神社のほこら。神社は島民にとっての守り神だった。

長崎特有の文化混交から生じる華やぎ・活力・カラフルさに対し、グレーのアパートといい炭鉱跡の感じといい、モノクロな端島の雰囲気は見事なまでに対照的でした。夢のような幼少期を経て、戦争を通過し、写真を撮り始めた奈良原一高は何を感じてシャッターを切ったのでしょうか。長崎を散策して奈良原一高のまなざしに思いをはせる旅、いかがでしょうか。

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高層の鉄筋アパート群がたくさんの人々の生活があったことを想起させる。

展覧会情報

◎世田谷美術館(東京)では「奈良原一高のスペイン――約束の旅」が開催中です。2020年1月26日まで。

インフォメーション

◎グラバー園
長崎県長崎市南山手町8-1
開園時間 午前8時〜午後6時(※夜間開園期間あり。詳細はお問い合わせください)
休園日 なし
アクセス 長崎電気軌道5系統「大浦天主堂」電停より徒歩約7分

◎旧自由亭(自由亭喫茶室)
長崎県長崎市南山手町8-1
営業時間 午前9時〜午後5時30分(※グラバー園の夜間開園期間は午前10時〜午後6時30分)
休業日 なし
アクセス 長崎電気軌道5系統「大浦天主堂」電停より徒歩約7分
※利用の際はグラバー園の入園料が必要です。

◎唐人屋敷
長崎県長崎市館内町
アクセス 長崎電気軌道1・2・5系統「新地中華街」電停より徒歩約8分

◎浦上天主堂
長崎県長崎市本尾町1-79
拝観時間 午前9時〜午後5時
休館日 なし
アクセス 長崎電気軌道1・2・3系統「平和公園」電停より徒歩約10分

◎端島(軍艦島)
長崎県長崎市高島町端島
アクセス 長崎港より船で約40分
※軍艦島へ上陸するには、各船会社が運航している軍艦島上陸ツアーに参加する必要があります。詳細は各船会社までお問い合わせください。
※2019年12月15日現在、台風による損壊の影響で、上陸ができなくなっています。上陸ツアーの再開は、2020年3月を予定しています。

◎「長崎くんち」は、毎年10月7日・8日・9日、諏訪神社(長崎県長崎市上西山町18-15)など4箇所の踊場を中心に開催されます。