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2019年10月27日 / 旅の紹介 第102回 上野・谷中・小平へ 平櫛田中を感じる旅

6代目尾上菊五郎をモデルにした彫刻「鏡獅子」の作者として知られる彫刻家・平櫛田中(ひらくし・でんちゅう/1872-1979)。「六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から」という言葉に表れているように、100歳を超えても創作意欲が衰えることのなかった平櫛田中を肌で感じたいと、東京でゆかりの地を巡りました。

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上野桜木町、谷中霊園の脇にかつての平櫛田中のアトリエと邸宅が残っている。

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24歳で彫刻家を志し上京した平櫛田中。彫刻家として進むべき道を見つける上での大きかった出会いは、臨済宗の僧侶・西山禾山(かさん)と、岡倉天心であったと語っています。岡倉天心は明治時代、日本の近代化・西洋化が進む中にあって日本美術の再評価・再興を促し、多くの芸術家に影響を与えた人物として知られています。西山禾山には、田中が谷中に住み始めた頃に禅宗の講話を聞く機会があり、その後仏教的テーマを題材とした彫刻をいくつも制作しています。一方、岡倉天心と接した年数はその最晩年の4年程度と短かったものの、示唆に富む作品批評を幾度も受けていました。

「このお二人(禾山と天心)がいられなくとも、私は私なりに好きな彫塑の道を歩いたであろうが、それは今日よりよほど、傾向の違ったものとなっていたであろう。それほどこのご両人の影響力は強い」(『伝記史料 西山禾山伝』より平櫛田中の著述部分)。

上野・東京藝術大学

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東京藝術大学美術学部の校門。平櫛田中は同大とその前身の東京美術学校の教授を1944年から1952年まで務めた。 

平櫛田中は天心が没した後、幾度もその肖像彫刻をつくっていますが、その代表作と言えるのが現在、東京藝術大学美術学部の敷地内に置かれている銅像です。

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岡倉天心像は美術学部校門を通って、絵画・彫刻棟に向かう途中にある。

岡倉天心は東京藝術大学の前身である東京美術学校の設立にも尽力し、開校まもなく校長も務めました。ただ、対立する人々との確執などがあり、追われるように辞職しました。それから23年が経ち、岡倉氏の銅像を校内に設置する動きが起こったとき、その像の制作を依頼されたのが平櫛田中でした。

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六角形をしたお堂に納められている岡倉天心像。天心が東京美術学校を去り、茨城県五浦に移り住んだ折に六角堂を建てたことに由来している。

岡倉天心像は今日も美術学部の校門をくぐって絵画・彫刻棟に向かう途中にあり、おそらく東京藝大の学生なら誰もが知っていることでしょう。平櫛田中は1944年から1952年、年齢にして72歳から80歳まで彫刻科の教授を務めましたが、毎朝出勤時に自分のつくった岡倉天心像のところに行き、敬礼をしてから教室に向かったと言います。

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服や帽子は東京美術学校の頃の制服を再現している。

平櫛田中は教授時代、生徒たちから“おじい”と呼ばれて親しまれていたそうです。雪の日など悪天候の日に、学生が今日は休講かもしれないと思いながら登校すると、校門にいる守衛さんから「おじいはとっくに来ているぞ。早く行きなさい!」と諭されることがあったといいます。心身ともに、とても強じんな人であったことが伺われます。

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ブロンズで出来た岡倉天心先生像。こわもてで視線が鋭い。

谷中・平櫛田中旧宅

東京藝術大学から歩いて10分程度のところに、田中が48歳から98歳までの約50年間、暮らした邸宅とアトリエが保存されています。

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谷中霊園。徳川家15代将軍慶喜の墓などがある。

それ以前に住んでいたのもこの近所で、上京してすぐの頃は谷中の長安寺に寄宿させてもらっており、その後は谷中の表具師のお宅に世話になりながら、彫刻の制作を続けていました。

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途中、谷中で古くから親しまれている珈琲店に立ち寄り昼食。

ただ大作などはつくることが難しい環境でした。そこで1919年、同じ日本美術院の横山大観らが支援をするかたちで、平櫛田中のためのアトリエが設けられました。3年後の1922年には、田中は同じ敷地内に家族と暮らすための住居を建てました。

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平櫛田中旧宅。大正期の建築で、機能的かつデザイン的にも洗練された日本家屋という印象。

「転生」など、数々の作品が生み出されたこのアトリエ。鏡獅子の試作もここでつくられ、6代目尾上菊五郎も何度も足を運びました。彫刻がつくりやすいよう、光取りの天窓はあえて真北に向けて取られています(南向きよりも、一日中安定した明るさが得られる)。またアトリエの内壁は一面作り付けの本棚になっていました。

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平櫛田中のアトリエ。北向きに取られた明り取りの窓が特徴的。

田中は98歳で小平市に転居する際、この建物を郷里の岡山県井原市に寄贈しました。現在は井原市の許諾のもとに、地元台東区のNPOや東京藝術大学の有志などによって、建物の修繕や掃除、展覧会やイベントなどの施設活用がされています。

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アトリエの内壁は全面本棚になっている。平櫛田中は生活が厳しいときでも本を読むことを欠かさなかった。

歴史的建物の保全や活用の活動をしているNPO「たいとう歴史都市研究会」は、もう20年近く平櫛田中旧宅と関わっています。「最初足を踏み入れた2001年には、雨漏りがしたり床が抜けたり、かなり傷んだ状態でしたが、そこから現在まで修繕やお掃除会を続けています。また藝大の現役学生さんの中にここで展示をしたいという人たちがいて、そうしたときには、引き換えに修繕を手伝ってもらっています。結果的に、平櫛田中さんの後輩である藝大生たちもこの家と深く関わりながら保全がされています」(たいとう歴史都市研究会・理事長 椎原晶子さん)

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かつての平櫛田中の書斎であった2階では、台東区の歴史的建造物の保全状況についての調査記録が展示されていた。

毎月第4日曜日には、NPO「たいとう歴史都市研究会」と一般社団法人「谷中のおかって」による建物の一般公開もされており、内部の見学やお掃除体験ができるようになっています。また平櫛田中旧宅を再び創造と交流の場にすることを目指して、文化芸術企画の実施や、アーティストの支援事業も行われています。後進の育成にも熱心であった平櫛田中の精神を生かし、平櫛田中アトリエを使って毎年1回若手のアーティストを1、2組選んでこの場所で研究・制作・発表してもらう「DenchuLab.」という取り組みも行われているそうです。

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若い美術学生たちは建物の修繕活動に参加しながら、平櫛田中旧宅を発表の場として活用している。

半蔵門・国立劇場

半蔵門の駅で降りて徒歩5分。次に訪れたのは国立劇場です。歌舞伎や日本舞踊が演じられる大劇場のロビーの中央・壁際に平櫛田中の代表作である2m大の鏡獅子が飾られています。

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千代田区隼町にある国立劇場。

1958年に完成した鏡獅子は、経緯があって国立劇場に置かれることが決まったものの、開館が1966年だったので、それまでは国立競技場に置かれていたそうです。今日では国立劇場の顔と言っても過言ではない存在。歌舞伎や日本舞踊を観に国立劇場を訪れる芝居好きの間で、この像のことを知らない方はいないのではないでしょうか。

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歌舞伎や日本舞踊が演じられる大劇場のロビーにある鏡獅子。観劇をした後、この前で記念撮影をする人も多い。

鏡獅子はいつも上演されているわけではありませんが人気の演目なので、この彫像を見て、本物の芝居や6代目菊五郎と重ね合わせる人も少なくないようです。なお平櫛田中はこの作品を彫るにあたって、20回以上も菊五郎の歌舞伎「春興鏡獅子」を見たそうです。

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動と静、その両方が伝わってくるかのような鏡獅子の像。

なお鏡獅子はヒノキの寄せ木でできていますが、彫りが完成した後に漆をかけ、体の部分は全体を金ぱくで、髪の部分は銀ぱくで覆い、その上から着彩が施されています。重さは像だけで225kg、台座は150kgあるとのことです。

小平・小平市平櫛田中彫刻美術館

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小平市、一橋学園駅から徒歩10分の場所にある小平市平櫛田中彫刻美術館。

最後に、田中が98歳から107歳で亡くなるまでの約10年を過ごした邸宅を美術館として公開している小平市平櫛田中彫刻美術館を訪れました。

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小平市平櫛田中彫刻美術館では平櫛田中が晩年暮らした邸宅も見学可能。邸宅の別名は「九十八叟院(そういん)」。

住み慣れた上野桜木町から小平へ。転居の理由のひとつとして、娘の面倒を見るための環境を整えたいという気持ちがあったそうです。田中は長女と長男を共に10代の若さで亡くしていますが、一人健康で残った次女が、結婚後難病に悩まされ車椅子生活を余儀なくされているのを見かねて引き取り、制作のかたわら世話をしていたということです。

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邸宅内に残るアトリエ跡。平櫛田中の娘さんが使っていた車椅子も安置されている。

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平櫛田中は100歳を超えても彫刻をつくるための原木をたくさん庭に置いていた。そのうちの1本であるクスノキの原木を立ててこの施設のシンボルにしている。

現在の美術館館長を務める平櫛田中の孫、平櫛弘子さんが話をしてくれました。「一人残った娘、すなわち私の母ですが、その面倒を見ながら、私たち孫たちとも一緒に暮らしていました。芸術家ですが同時にとても細やかな家庭人でした」

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「鏡獅子」のための試作。

小平の平櫛田中彫刻美術館は、田中が最後まで手元に残していた作品や資料類などを中心に展示されていて、地下階には、鏡獅子をつくるにあたり6代目尾上菊五郎に衣装なしでポーズを取ってもらった姿を造形した裸像なども見ることができます。

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試作のアップ。こちらは数十センチと小さいながら、やはり芝居の緊張感が伝わってくる。

鏡獅子は完成まで足かけ22年の歳月を要しましたが、6代目菊五郎が何度も田中のアトリエに通い、一人の彫刻家と一人の役者が真剣に向き合ったプロセスがあってできた作品です。菊五郎は像の完成前に亡くなってしまいましたが、「平櫛田中さんは生前、菊五郎さんと“2人でつくった”作品と語っていました」(小平市平櫛田中彫刻美術館学芸員 藤井 明さん)。

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地下階に展示されている、6代目菊五郎の衣装なしでの決め姿の像。

邸宅の庭にはこれから彫る予定だった彫刻用の大きな原木がシンボルのように立てられていました。「わしがやらねばたれがやる」。100歳を超えてなお、平櫛田中はまだ出来ていない制作をやり遂げたいと一心に考えていたに違いありません。平櫛田中のバイタリティに触れる旅に、お出かけになられてはいかがでしょうか。

展覧会情報

◎小平市平櫛田中彫刻美術館(東京)では、「心のふるさと井原―井原市立田中美術館コレクション―」が開催中です。11月17日まで。

◎井原市立田中美術館(岡山)では、開館50周年記念特別展「没後40年 平櫛田中 美の軌跡」が開催中です。11月10日まで。

インフォメーション

◎小平市平櫛田中彫刻美術館
東京都小平市学園西町1-7-5
開館時間 午前10時〜午後4時
休館日 火曜(祝日の場合は翌日)・年末年始
アクセス 西武多摩湖線「一橋学園駅南口」より徒歩10分/西武新宿線「小平」駅またはJR中央線「国分寺駅」より西武バス、「一橋病院」下車徒歩7分

◎東京藝術大学
東京都台東区上野公園12-8
アクセス JR「上野」駅より徒歩10分

◎平櫛田中旧宅
東京都台東区上野桜木2-20-3
※展示、イベント等のない日は内部非公開
アクセス JR「鶯谷」駅より徒歩8分/東京メトロ千代田線「根津」駅または「千駄木」駅より各徒歩15分

◎国立劇場
東京都千代田区隼町4-1
アクセス 東京メトロ半蔵門線「半蔵門」駅6番出口より徒歩5分/東京メトロ有楽町線・半蔵門線・南北線「永田町」駅4番出口より徒歩8分/JR四ツ谷駅より徒歩15分