日曜美術館サイトにもどる

2019年10月15日 / 旅の紹介 第101回 パリへ マネを感じる都市散歩の旅

エドゥアール・マネは19世紀パリの大規模な都市改造によってもたらされた生活者たちの日常をヴィヴィッドに描き出しました。マネの生家周辺から始まるパリ散歩で、その画家像に思いをはせます。

manet_01.jpg
ルーヴル美術館からすぐのところにあるテュイルリー公園。マネがよくデッサンに訪れた。

nb1011_map1.jpg

「草上の昼食」、そして「オランピア」。マネがサロンに出品した作品はごうごうたる非難を受け、大ひんしゅくを買いました。その一方で、後に印象派と呼ばれることになる、若い画家たちからは共感を得て、慕われていました。 

ただ印象派の画家たちと親しく交流はしつつも、結局マネが印象派展に出品することは一度としてなく、サロン・ド・パリで発表し続けました。

またマネは1859年からサロンへ応募し始めましたが、ちょうどその頃パリでは新しい知事に就任したジョルジュ・オスマンが皇帝ナポレオン3世の命を受けて大規模な都市整備に乗り出した頃でした。この都市改造によってパリ市民の生活スタイルも大きく変化していきました。
マネはそうした、パリの新しい都市生活の機微にいち早く反応した画家でした。

マネの生家跡〜エコール・デ・ボザール〜ルーヴル美術館

まずは、マネの生まれた生家の辺りを散歩してみましょう。セーヌ川を挟んでルーヴル美術館の対岸の街区に、今もその建物が残っています。通りを挟んで反対側には、フランスの美術大学で最も権威があるエコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)があります。周りを歩くと老舗パティスリーや、贅沢な豪華本を出すことで知られる有名な出版社などがあるのに気がつきます。

manet_02.jpg
マネの生家の近所。マカロンを生んだことで知られる老舗のパティスリーがある。

manet_03.jpg
マネの生家跡。門が大きい。

manet_04.jpg
中を覗くと、高級アパルトマンのたたずまい。現在も使われているようだ。

マネの生家というプレートが貼られた家の門を見て感じるのは、大きくて立派という印象です。中をのぞくと、お屋敷という雰囲気。2階の窓が大きくて装飾が施されているのはサロンとして使われていたからかもしれません。門があって前庭もあって、裕福さが表れていました。マネの父親は法務省の高級官僚でした。

manet_05.jpg
ボナパルト通りを挟んで、マネの生家のはす向いにエコール・デ・ボザールが。

そしてマネの生家跡からすぐセーヌ川に突き当たり、そこにエコール・デ・ボザールとルーヴルを結ぶ橋、ポン・デ・ザール(フランス語で「アート橋」の意)が掛かっています。

manet_06.jpg
セーヌ川。ボザール側から対岸を見ると、ルーヴル美術館。 

manet_07.jpg
ルーヴル美術館側へ橋を歩いて渡る。

manet_08.jpg
中世のルーヴル宮の建物を使った美の殿堂、ルーヴル美術館。

マネの生家からは徒歩で10分とかからない距離。マネにとっては自分の庭のようなテリトリーに、ルーヴル美術館が存在している感覚ではなかったでしょうか。事実、中学生の頃にはすでに定期的にルーヴル美術館に行っていたようです。画家修業するようになってからも頻繁に通って作品の模写をしました。マネは印象派の画家ドガと親交が深かったですが、ふたりは共にルーヴル美術館のベラスケスの絵の模写をしていて、絵の前で出会ったと言われています。 

テュイルリー公園〜マネの初期のアトリエ

ルーヴル美術館からシャンゼリゼ通りの方に向かって歩くとすぐのところに、マネの1862年の作品「テュイルリーの音楽会」に登場するテュイルリー公園があります。作品では上流市民が社交をする場としての公園風景が描かれていますが、今もパリに暮らす人々にとって、公園は都市のサロンのような存在。ピクニックをしたり、ベンチを自分で引っ張ってきて好きな場所で読書をしている人々を見かけます。パリでは基本的に皆アパルトマンで暮らしているので、ちょっと外気にあたりたいときは、公共の公園を自分の庭のように使うのが常です。また現在も音楽会が公園で行われたりもしています。

manet_09.jpg
マネも描いたテュイルリー公園。今もたくさんのパリ市民が憩う。

manet_10.jpg
好きな場所にベンチを引っ張ってきてくつろぐ人々。

manet_11.jpg
ジョルジュ・オスマンが行った都市デザインの特徴のひとつが並木道の整備。テュイルリー公園の中も並木が多く、パリの都市公園らしさが漂う。

manet_12.jpg
マネは実家を出た後、いろんな場所に住居やアトリエを構えているが、初期に暮らしたのがこの辺り。高級な感じの建物。

ちなみにマネが実家を出て暮らした最初の住居は、テュイルリー公園のすぐ脇であったようです。現在は有名なサロン・ド・テなどが入る建物があって、パリの中でも一等地の風格を醸し出しています。そもそもルーヴル美術館からテュイルリー公園、コンコルド広場とつながり、シャンゼリゼ通りへ連結するこの辺りは、昔から今に至るまでパリの中心とも言うべきエリアです。歩いてみるとマネがどういうところで生まれ育ったかが体感できました。

フォリー=ベルジェール〜イタリアン大通り〜キャプシーヌ大通り

次に、今回の日曜美術館の放送でも取り上げられたマネ最後の傑作「フォリー=ベルジェールのバー」の舞台、フォリー=ベルジェールの辺りを散策しました。マネがこの作品を描いたのが1882年で、パリ伝説のミュージック・ホールとして知られますが、現在も営業が続いています。もっともマネが描いた頃のフォリー=ベルジェールは、歌やダンス、パントマイムからサーカスまで行われていたようですが、現在は演劇のシアターとなっています。

manet_13.jpg
現在も営業を続けるフォリー=ベルジェール。外観はマネの当時とは異なる。

変わらないのは昔も今も、カフェやブラッセリー(カジュアルな居酒屋)、ビストロなどがその周りにひしめき、夜も人々のおしゃべりで熱気に満ちているということです。また大通りがいくつもあります。誰もが思い浮かべるパリのストリートのイメージといえば、高くて連続性のあるアパルトマンに、並木が配された広い路地が挟まれた様子だと思いますが、まさにこれがオスマンによる都市整備の代表的なものです。そして通りに沿って、オープンテラスカフェが居並ぶ。オスマンによって現在まで続くパリの都市空間の礎がつくられ、今日まで踏襲されているのです。

manet_14.jpg
オスマンによるパリ改造の代名詞とも言うべき、並木が配された広い大通り。

オールド・クラシックなパリで生まれたマネは、次第にバティニョール地区など、貧しい人々と新興ブルジョワが隣り合って住む新市街に暮らすようになっていきました。劇場やカフェに集う人々、高級娼婦……。富裕な生まれのマネにとってそうした人たちの生活風景がことさら新鮮に映ったのではないでしょうか。

manet_15.jpg
1875年創業、まさにオスマンのパリ改造の頃に始まったカフェ。

manet_16.jpg
夜更けまで人々の熱気が立ち込めている。

ちなみにキャプシーヌ大通りの途中に、1874年第一回印象派展が開かれた写真家・ナダールのスタジオ跡地があります。今は高級ブティックなどが入る商業ビルになって面影はありませんが、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、シスレーなど、サロンという保守的な画壇から拒否された画家たちの発表の場が出来、新しい絵画の潮流がここから生まれていったと思うと胸が熱くなります。けれども、マネはそこには参画しませんでした。

manet_17.jpg
第一回印象派展が開かれた跡地は今このような感じ。キャプシーヌ大通り、オペラ座の近く。

サン=ラザール駅〜ベルヌ通り

パリの中でも伝統的規範の色が強いマネの生家辺りと、大衆的な劇場やカフェやブラッセリーが集まる下町の両方を散歩して、雰囲気の違いを感じました。最後に、パリの主要ターミナル駅の1つであり、マネやモネが画題にしたことでも知られるサン=ラザール駅の辺りに立ち寄ることにしました。

manet_18.jpg
サン=ラザール駅に出入りする電車が見えるヨーロッパ橋。

サン=ラザール駅は、オスマン時代、1867年に拡張されました。当時としての“最新文明”、大きな煙を吐き出しながら走る蒸気機関車をひと目見ようと、人々は集まってきたに違いありません。1873年に描かれた、鉄格子ごしに駅を覗いている少女が描かれたマネの作品「鉄道」も、そんな当時の様子を伝える一枚ではないでしょうか。

manet_19.jpg
ヨーロッパ橋からサン=ラザール駅を発着する鉄道が見えるのは現在も同じ。

manet_20.jpg
モネが描いた「サン=ラザール駅」と見比べても、駅舎のつくりは変わっていない。ただし走っているのは、蒸気機関車ではなくTGVなどの電車。

manet_21.jpg
マネの作品「国旗の掲げられたモニエ通り」で描かれた辺り(現在の通り名はベルヌ通り)。

マネはアーティストとして、新しいものに敏感であったのでしょう。一時期サン=ラザール駅のすぐ横のアパルトマンをアトリエにしていました。フランス国旗が通りいっぱいにはためく様子を描いた、1878年の作品「国旗の掲げられたモニエ通り」は、当時のアトリエから出たすぐのベルヌ通り(当時の名前はモニエ通り)が舞台と考えられます。バルコニーの感じが、その絵をほうふつとさせます。

manet_22.jpg
サン=ラザール駅そば、「マネのアトリエ跡」のプレートが掛かるアパルトマン。重厚で上質。

ただマネがアトリエに使っていた、サン=ラザール駅すぐのアパルトマンは立派な建物。そこは上流階級出身のマネらしいというべきでしょうか。

一日の散歩でしたが、いくつかのエリアを横断することで、マネがどんな環境のもとで暮らし、また絵を描いてきたのかについて思いをはせることができました。言い換えれば、マネをきっかけに、異なるパリの街の顔を感じられた旅です。パリの街を散策するきっかけにしてみてはいかがでしょうか?

今回の「出かけよう、日美旅」は、フランス在住の庭園文化研究家・遠藤浩子さんにご協力いただきました。ありがとうございました。

展覧会情報

◎東京都美術館では「コートールド美術館展 魅惑の印象派」が開催中です。12月15日まで。

インフォメーション

◎マネの生家
5 rue Bonaparte, 75006 Paris

◎エコール・デ・ボザール
14 Rue Bonaparte, 75006 Paris

◎ルーヴル美術館
Musée du Louvre, 75058 Paris

◎テュイルリー公園
113 rue de Rivoli, 75001 Paris

◎フォリー=ベルジェール
32 rue Richer, 75009 Paris

◎サン=ラザール駅
13, Rue d'Amsterdam 75008 Paris