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2019年8月 4日 / 旅の紹介 第96回 近江八幡へ 後期室町将軍に思いをはせる旅

義満の頃に最盛期を迎えた足利将軍の栄華は、1467年に始まり11年間にも及んだ応仁の乱を境に失われていきます。京を追われた足利将軍はしばしば近江に避難しました。番組の終盤で登場した「桑実寺縁起絵巻」を手がかりに、後期足利将軍の悲哀を感じる旅をします。

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近江八幡市。桑実寺がある繖山(きぬがさやま)の頂上近くからの眺め。手前に見えるのは安土山。

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桑実寺

桑実寺は創建678年。「桑実寺縁起絵巻」で語られているように滋賀で疫病がまん延し、天智天皇の娘・阿閉(あべ)皇女も病にふせったため、藤原鎌足の長男にして僧の定恵上人に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が降臨し、人々の病気が平癒。それに感激した天智天皇の勅願でお寺ができたと伝えられています。 

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山の麓から桑実寺の境内に向け石段を登り始めたところ。すでに眺めが良い。

かつては、延暦寺・三井寺・石山寺・滋賀院と並び近江五大寺院のひとつと称され、境内にはたくさんの子院や宿坊が並んでいたそうです。 
最盛期には二院十六坊の塔頭を持つ寺院で、またそれ以外に、境内の東南に正覚院という子院があり、子院でありながら40余りの末寺を独自に持っていました。

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桑実寺。石段がずっと続く。麓から本堂までで650段ある。

12代将軍足利義晴が1531年より3年間仮幕府を開いたのが、この正覚院であったとされています。寺中には多くの幕府関係者が寝泊まりし、近江守護・六角氏によって警護がされていました。また義晴はここで婚礼を行うなどしたので、要人の出入りも多かったようです。
後に15代将軍足利義昭も桑実寺にとう留していますが、そのときも正覚院を陣所としています。

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桑実寺の山門。

そんな桑実寺ですが山の麓からまず総門に至るまでに150段ほどの石段があって、さらに門をくぐってから本堂までたどり着くのに500段あります。途中石垣を何度も見かけましたが、それが境内に宿坊がたくさんあったことの痕跡だそうです。

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境内に石垣があるのは、かつて宿坊がそこにあったことの証し。

また現在は竹林が茂って立ち入ることは難しいですが、桑実寺の山門をくぐってすぐの右手が正覚院の跡地だったと言われています。 

ちなみに、正覚院はなくなったわけではありません。江戸中期に滋賀県蒲生郡竜王町に移転したのです。ただしその際浄土宗に変わってしまい、天台宗の寺院ではなくなってしまいました。当時正覚院の末寺であった東南寺という天台宗のお寺が現在、安土町上豊浦にありますが、そちらに正覚院の寺務と寺格が引き継がれ、正覚院の扁額などもこちらに残されているということです。東南寺の瓦に、足利氏の家紋の二引両(ふたつびきりょう)が使われているのもそうしたゆかりがあるからです。 

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「桑実寺縁起絵巻」で描かれたのと違わぬ姿の本堂。

本堂は今も室町時代初期の建築様式をそのままに残し、「桑実寺縁起絵巻」に描かれた姿そのままです。
一方、絵巻では本堂の右に三重塔が描かれていますが、こちらは度重なる天災の影響で大破し、危険だからと明治13年に取り壊されたとのことです。

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「桑実寺縁起絵巻」にも登場する三重塔の中に安置されていた大日如来像。三重塔が取り壊しになった折に本堂に移された。

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同じく、今はなき不動堂にあった不動明王像も本堂に移動されている。

三重塔はもともと、足利義晴が滞在することになる前の年に、六角氏が桑実寺に寄進したものです。六角氏は自らの居城・観音寺城にも、義晴が来る前に大々的な改修を行ったとのこと。将軍を迎え入れる上での配慮は並大抵ではなかったようです。

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堂内に飾られた「桑実寺縁起絵巻」のコピー。

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琵琶湖から薬師如来が現れる場面。

番組の中で登場した「桑実寺縁起絵巻」は、義晴が宮廷絵師の土佐光茂に命じて完成させ、桑実寺に奉納したものです。そこでは、将軍の象徴である桑の大樹を寺のそばに描くことで、自分が今いる桑実寺が幕府の正統な場所であると示したとも、薬師如来が琵琶湖へやってくる場面によって、薬師如来の人智を超えた力を借りて都へ戻りたいという願いを込めたとも言われています。
その後、義晴は1534年に再上洛を果たします。(最終的にはまた京を逃れ、近江坂本でその人生を終えます)

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桑実寺本堂内部の様子。

現在「桑実寺縁起絵巻」は九州国立博物館の展覧会に出展されており、境内ではコピーが飾られているのみですが、桑実寺辺りの風景の描かれ方がかなり綿密で、現在の様子と比較しながら見るのはなかなか楽しいです。  

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この辺りに、「桑実寺縁起絵巻」に描かれている三重塔があった。

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桑実寺にゆかりの深いもうひとりの武将といえば、織田信長。この太子堂は信長が安土城の建造を始めた1576年に桑実寺に寄進したもの。(注:現在建っているのは当時の建物ではありません)

観音寺城跡

桑実寺本堂までは山の麓から歩いて20分くらいですが、そこから更に山道が続いており20分くらいで足利将軍家とゆかりの深い六角氏の城跡にたどり着けます。道はありますが、うっそうとした山の中なので、服装や虫刺され対策、飲料水の確保など、山登りの支度はあらかじめしっかりしてから行かれることをおすすめします。

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桑実寺から観音寺城跡への山道。足元に気をつけながら進む。

途中、ハイカーの方たちとすれ違ったりしながら観音寺城本丸跡に着きました。近江守護だった六角氏の城・観音寺城は最終的に信長軍に敗れますが、足利義晴の時代には実質的に将軍の管領としての立場まで昇りつめた大名でした。また、観音寺城は、日本の山城のうちで5本の指に入る名城と言われています。

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観音寺城本丸跡。周りには石垣が散見される。

現在の城跡からは想像もつきませんが、観音寺城を描いた絵を見ると、山頂から山腹にかけて広がる、まさに巨大な山の要塞だったようです。
そして特徴的なのが石垣を多用している点。城に石垣があるのは普通と思われるかも知れませんが、一般的になっていくのは安土城以降のこと。それ以前の城で石垣が多用されている城は珍しかったのです。

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観音寺城伝本丸跡。これ以外にも繖山には観音寺城の遺構の石垣がいくつもある。

六角定頼は12代義晴を支え、厚い信頼を得た大名でしたが、15代義昭の頃には足利将軍との関係が変化します。新興勢力の信長が義昭を補佐し、一方、六角氏はその上洛を阻む存在となります。そして1568年、あっけなく信長勢に戦で敗れ、その力は失墜していきました。
1579年、繖山から程近い安土山に信長が安土城を完成させたことで、観音寺城は廃城となってしまいました。

観音正寺

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観音正寺境内。山腹にあるが、桑実寺よりは高い標高にある。

観音寺城の本丸跡を過ぎてさらに進んで観音正寺に着きました。ここは山の麓から別のルートで、石段の参道を上がってくることもできますが、1200段以上あります。大変ですが、それだけに境内からの眺望は格別です。
もともと繖山にはこの観音正寺(創建605年)や桑実寺が先にありましたが、六角氏がとりでを築き、その後本格的な城へと発展していく中で、観音正寺や桑実寺もそのひごを得て大きく栄えていくことになりました。

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天空にそびえる釈迦如来坐像。

ただ観音寺城の規模が大きくなるにつれて、もともと山頂近くにあった観音寺の方が麓に降ろされることになったり、戦に巻き込まれたりと、戦乱の世の中で翻弄されたようです。その後、1606年に現在地に復興され、今日に至っています。

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今から1400年前に聖徳太子が建立した寺と伝えられる。

三角点〜安土城跡

観音寺城本丸跡から観音正寺に向かう道のちょうど半分くらいの地点から、繖山の三角点(山頂もしくはそれに準ずる見晴らしの良いポイント)へ向かうルートがあります。

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山頂を目指す。ここにも石垣が。

れっきとした登山ルートのひとつですが、道が荒れている箇所も途中にあるので、注意して登ってください。さらに、よくあることですが、かつて最高の眺望ポイントとされた場所でも木の成長によって視界が遮られてしまう場合があり、まさに繖山の三角点もそういった状態でした。

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三角点到達。けれども眺めは今ひとつ。

ただ、安土城跡方面への下山ルートを選べば、三角点から程なく、最高の眺望が得られる場所が現れます。
正面には、安土城が築かれた場所である安土山。その向こうに西の湖。さらにその向こうに琵琶湖の水平線。
西に下るルートなので、言い換えればこれは京へと向かう方角です。近江へ避難した足利将軍はこうした景色を眺めながら、再上洛を心に誓っていたのかもしれません。

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山頂から安土城跡へ降りる下山ルートの途中。この山登り一番の眺望。

安土城考古博物館

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眼下に安土城考古博物館が見えてくる。

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安土城考古博物館。どことなく教会のような外観。

山頂から再び麓に降りるまで30分ほど掛かったでしょうか。登山道から出るとちょうど安土城考古博物館の前に出ました。
名前は安土城考古博物館ですが、観音寺城や瓢箪山古墳なども含めたこの辺りの遺跡についての考古学研究・展示がされている施設なので、足利将軍や六角氏、織田信長などについて興味を持たれた方はぜひ立ち寄られると良いと思います。

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観音寺城の模型。相当に巨大な山城であったことがわかる。

繖山を登ると、室町後期の足利将軍と、そこと運命を共にした武将の物語を肌で感じることができます。さらに、下山してきて安土山を観たときには、織田信長による次の時代の到来を見た気持ちになりました。

室町将軍の栄華を感じるなら京都かもしれませんが、近江を旅すると、もう一度栄光を取り戻そうと奮闘した後期将軍たちの物語を感じることができます。
今回は近江八幡市を尋ねましたが、他にも、滋賀県最西端の朽木や、延暦寺および日吉大社の門前町として知られる坂本(大津市内)などにもゆかりの場所はあります。京への思いをはせた室町後期将軍のロマンに寄り添う旅、いかがでしょうか?

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安土城の城郭再現模型。安土山の周りは現在、陸地だが当時はその部分まで湖だったことがわかる。昭和の干拓によって陸地になった。

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安土城考古博物館の玄関を出ると、正面に安土山が見える。3つの山の真ん中のピークが安土城天守閣のあった場所。

展覧会情報

九州国立博物館では、特別展「室町将軍 戦乱と美の足利十五代」が開催中です。9月1日まで。

インフォメーション

◎桑實寺
滋賀県近江八幡市安土町桑実寺292
開門時間 午前9時〜午後5時(12月〜2月は午後4時まで)
JR「安土」駅からタクシー、ふもとで下車、徒歩約20分(約650段の石段があります)

◎観音正寺
滋賀県近江八幡市安土町石寺2
拝観時間 午前8時〜午後5時
JR「能登川」駅から近江近鉄バス、「観音寺口」バス停下車徒歩約40分
JR「能登川」駅または「安土」駅からタクシー、裏参道山上駐車場で下車、徒歩約10分

◎滋賀県立安土城考古博物館
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日、12月28日〜1月4日
JR「安土」駅から徒歩25分