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2019年5月26日 / 旅の紹介 第92回 山形へ 近代洋風建築をめぐる旅

5/26放送「にほん美の地図 ―山形―」では山形市、酒田市、大石田町、3つの地域を旅しましたが、「出かけよう、日美旅」では山形市内の洋風建築を巡りながら、近代における山形の都市計画に思いをはせます。

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山形市内、七日町。七日町大通りの突き当たりに位置する旧県庁舎(文翔館)。

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洋風建築と言えばすぐに思い浮かぶ横浜・神戸・長崎。これらの土地ではどちらかと言えば住宅建築としての洋館が多いのに対して、山形は公共建築の中で優品が多く残っているのが特徴です。

旧済生館本館(山形市郷土館)

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現在は公園として使われている山形城跡(霞城公園)。

番組にも登場した旧済生館本館(山形市郷土館)は山形城跡にあります。明治の近代的洋風建築が江戸時代の城跡の中にあるのは、ちょっと不思議な気分がします。

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300人もの宮大工や職人を動員してつくった擬洋風建築。横浜にあるイギリス海軍病院を参考にしたという。

大政奉還される前は城が街の中心でした。ところが明治9年、現在の山形県が制定され初代県令(現在の県知事)に着任した三島通庸(みちつね)は、近代国家への転換を知らしめるかのように、あえて城から離れた山形市七日町辺りに県庁舎をはじめとする都市の中心施設を集めました。この計画の中に「病院の設置と医療教育」も掲げていました。そう、済生館も三島通庸の都市計画の一環で建てられ、昭和42年に現在の場所に移築されるまで七日町にあったのです。

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明治11年9月に県立病院として三島通庸がつくった済生館。当時最先端のデザインだった。

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館内には済生館で明治期に使われていた医療器具や教材などが展示されている。西洋医学をベースにした高い水準の医療教育が行われていたことがわかる。

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円状になった回廊。80年以上現役で使用されていたので、移築前には円状の回廊は崩壊していたが、移築時に竣工当初の様子に復原された。

旧県庁舎及び旧県会議事堂(文翔館)

というわけで七日町にやってきました。山形の人々に聞くと「昭和50年に県庁が郊外に移転するまで、七日町の賑わいは本当にすごかった。その頃と比較すると行き交う人の数が減り、元気がなくなってきている」とのこと。ずっと山形市の商業の中心でしたが、その原点には三島県令による明治10年代の都市計画がありました。

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七日町大通り。左の大沼デパートの角を曲がったところに、現在の山形市立病院済生館がある。大通りの一番奥には旧県庁舎がそびえたつ。

三島が赴任して最初に建てたのが県庁舎です。今は大正5年に建てられた2代目県庁舎が山形県郷土館となり、一般に無料公開されています。中に入り資料展示室に進むと、明治10年に竣工した初代県庁舎の写真を見ることができます。木造三階建て、楼閣風の擬洋風建築で、済生館とも似た雰囲気を持っています。

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旧県庁舎。大正5年、三島県令が手がけた木造建築から建て替えられた。レンガ造りの耐火建築。

また番組でも登場しましたが、三島が明治18年ごろ、洋画家の高橋由一に描かせた「山形市街図」が室内に掛かっており、明治始め頃の県庁と、当時、通り沿いにあった施設群の様子を伺うことができます。

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館内の資料展示の中に、明治初期の初代県庁舎の写真が。

この絵が掛かる部屋からはバルコニーに出ることができます。絵を見た後だと、三島通庸がつくりあげた頃の町並みと現在では、道路両脇の施設がどう違っているか、自然と比較してしまいます。

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2階・正庁の壁に掛かる高橋由一の「山形市街図」(複製)。道の突き当りに県庁がある都市構造はこのときつくられた。

高橋由一の絵では、県庁から通りに向かって右手前が製糸場、その向こうに勧業博物館。さらに南村山郡役所(現在の市役所に相当)。県庁から見て左手前が南山学校(小学校に相当)、その向こうは師範学校、そして警察本署。
現在はというと、通りに向かって右手前が山形地方裁判所。その奥が市役所。通りに向かって左手前が県民会館、奥は山形警察署七日町交番。
市役所や警察のある場所は、明治当時とのつながりを感じさせます。 

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バルコニーから県庁通りに現在建つ建物を見て、明治期とどう違うかを比較。 

薩摩出身で大久保利通の腹心でもあった三島通庸は猛烈な政治家で「鬼県令」の異名を取るほどでしたが、いきなり山形にモダンな洋風建築の都市像を出現させた実行力とけい眼には驚きです。「山形は当時で言えば日本のアーバンデザインのトップランナーだった」(『高橋由一と三島通庸』西那須野町・編 1981年)。なお三島通庸という人物はその後福島や栃木の県知事を歴任し、警視総監になって亡くなります。

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館内の展示より。三島通庸は道路交通網を整備した人物としても知られる。高橋由一は三島が手がけた新道を約200図写生し、「山形・福島・栃木三県新道景色石版画三帖」も制作した。

ちなみに三島通庸の長男・弥太郎は日銀総裁に昇りつめたエリート銀行家。五男は日本最初のオリンピック選手。そう、現在のNHK大河ドラマ「いだてん」に登場する三島弥彦その人です。

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旧県庁舎と並んで建つ旧県会議事堂も同じく大正5年築。

ところでなぜ今残っている旧県庁舎と旧県会議事堂が大正築のレンガ造建築なのかと言えば、明治44年に起きた大規模な大火が関係しています。10時間も燃え続けた大火事で山形市北部の大半は焼失。県庁をはじめとする明治期の洋風建築もほとんどが焼けてしまいました。そして大正始めの復興によって、火災に強い建築へと姿を変えることになった。それがこの旧県庁舎や旧県会議事堂の建物なのです。

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県会議事堂内部。固定席でないホール形式で最初からつくられたため、県会がないときはコンサートホールなどとしても使用された。

なお、山形取材に訪れたのは5月10日。偶然にも山形市北大火が起きた5月8日の2日後でした。ちょうど旧県庁舎の近くで江戸時代から続く地元のお祭「薬師祭植木市」が行われていましたが、明治の山形市北大火のときもちょうど植木市の最中だったそうです。

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「薬師祭植木市」。山形の人々が毎年楽しみにしている地元のお祭。

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山形のもり天そばを昼食に食べつつ休憩。なぜか山形のそばにはゲソ天がついてくる。

旧山形師範学校本館(教育資料館)

三島通庸が明治始めにつくった擬洋風建築の多くは大火によって姿を消すことになりました。山形市北大火で焼失しなかった擬洋風建築は、言うまでもなく旧済生館本館です。

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教育資料館として一般公開されている明治34年築の旧師範学校本館。

同じ明治期の洋風木造建築で、大火で焼けなかったもうひとつの建物として旧山形師範学校本館があります。旧県庁舎から徒歩10分のところにあり、現在は教育資料館という県の博物館になっています。前述のように、明治10年代には旧師範学校は県庁前の通りの並びにありました。県庁完成の翌年の明治11年に竣工していますが、明治 34年に現在の位置に移りました。新築移転だったので、明治11年築の建物とは異なりますが、当時の資材が一部使われているということです。

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旧山形師範学校本館の内部。斜めの板張りになっている天井と廊下は全国の洋館の中でも珍しい造り。 写真提供=山形県立博物館教育資料館

昭和38年以降は県立山形北高等学校の校舎として使われるようになったので、地元の人たちの中では旧師範学校としてよりも、旧北高の校舎として認識している方が少なくないかも知れません。今も隣りには北高のキャンパスがあり、授業を受ける高校生たちの声が聞こえてきていました。

山形市立第一小学校旧校舎(山形まなび館)

建物は変われど、三島がつくった都市のインフラはかたちを変えつつ今に引き継がれています。現在、「山形まなび館」として使われている建物は昭和2年、山形県内初の鉄筋コンクリート造りの学校建築として国の登録有形文化財になっていますが、ここも元をたどれば三島通庸とつながります。明治12年に県庁舎の目の前につくられた南山学校はその後いくつかの小学校と統合されて、この場所に移ってきたからです。山形まなび館の隣りには第一小学校の現役校舎があり、今も小学生たちが通っています。

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山形市立第一小学校旧校舎。現在は市民交流スペースや、市の文化財展示室などに使われている。

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山形まなび館の山形市文化財展示室では、さまざまな形の埴輪群なども見られる。

山形市立病院済生館

旧済生館本館は昭和 41年に国の重要文化財の指定を受けるまでは、診療所の建物として実際に使われていました。現在の山形市立病院済生館は大きなビルですが、変わらず地域医療の拠点として山形市民の健康を支えています。山形市立第一小学校の旧校舎からすぐ近くです。

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七日町にある山形市立病院済生館には、昔の済生館の門柱も残る。

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山形市立病院済生館内にあるモニュメント。旧済生館本館がこの場所に建っていたことを示す。

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上の写真と同じアングルで取られた昭和の頃の写真。(旧済生館本館に展示されていた写真パネルより)

千歳館

洋風建築としては他に、旧県庁舎から路地を入ったところに、千歳館という老舗料亭があります。料亭ですが外観は洋館。今回特別に見学させてもらいましたが(通常は見学のみは不可。お食事をされる方しか中に入ることはできません)、室内は純和風。一室だけ洋室があります。千歳館は明治9年の創業で、三島通庸が街をつくっていた頃の開業です。やはり明治44年の大火で焼失してしまい、現在の建物は大正4年築。鹿鳴館を意識して設計されたと言われています。

千歳館の横に展開する飲食店街「花小路」は、大正時代に花街として形成され、現在に至るまでこの町のにぎわいを支えてきました。千歳館の5代目・澤渡章さんによれば「県庁が郊外移転する昭和50年頃まで、この辺りは夜、肩同士がぶつからずに歩くことができないほどだったんですよ」とのこと。

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花小路の入り口にある老舗料亭「千歳館」。創業は明治9年。

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和服姿のお女将さんと洋風の空間がおりなすコントラストが美しい。

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山形市の夜のにぎわいを支えてきた飲食店街・花小路。

長く山形の中心市街であり続けてきた七日町。その原点には明治始めの、三島通庸による近代的な都市づくりがありました。
そういえば、今回登場した近代建築の多くは、「山形ビエンナーレ」の会場としても使用されています。歴史的建造物をきっかけに、街がどのように築かれ、また継承されているかを感じる山形・七日町の旅、あなたもいかがですか?

インフォメーション

◎山形市郷土館「旧済生館本館」
山形県山形市霞城町1-1(霞城公園内)
開館時間 午前9時~午後4時30分
アクセス JR山形駅から徒歩15分
休館日 年末年始(12月29日〜1月3日)
※開館時間・休館日は季節・イベント等によって変更になる場合があります。

◎山形県旧県庁舎及び県会議事堂(文翔館)
山形県山形市旅篭町3-4-51
開館時間 午前9時〜午後4時30分
休館日 第1・第3月曜(祝祭日の場合は翌日)、年末年始
アクセス JR山形駅から徒歩30分 山形駅からバス「市役所前」下車徒歩1分
※開館時間・休館日は季節・イベント等によって変更になる場合があります。

◎旧山形師範学校本館(山形県立博物館教育資料館)
山形県山形市緑町2-2-8
開館時間 午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日 月曜、祝日(4/29、5/3~5、11/3は開館)、年末年始
JR山形駅からバス「北高前」下車徒歩1分

◎山形市立第一小学校旧校舎(山形まなび館)
山形県山形市本町1-5-19
開館時間 午前9時〜午後6時
休館日 月曜(祝日の場合は翌日)/及び年末年始(12/29〜1/3)
JR山形駅から徒歩約10分

◎千歳館
山形県山形市七日町4-9-2
JR山形駅からバス「市役所前」下車徒歩5分

●5月26日放送で登場した山形県のアートスポット

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◎土門拳記念館
山形県酒田市飯森山2-13(飯森山公園内)
開館時間 午前9時~午後5時(入館は4時30まで)
アクセス JR酒田駅からバスで約15分
※展示替えのため臨時休館になる場合があります。

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◎高橋廣道さんのアトリエ「次年子窯」
問い合わせ先 0237-35-3995
アクセス JR大石田駅から車で約20分
※見学の際には、事前に連絡のこと。

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◎ブルーノ・ピーフルさんのアトリエ
問い合わせ先 0237-35-3722
アクセス JR大石田駅から車で約10分
※見学の際には、事前に連絡のこと。