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2019年5月12日 / 旅の紹介 第91回 愛媛へ 一遍の故郷を訪ねる旅

激動の鎌倉時代、僧・一遍(いっぺん)は人々を救済に導くためにひたすら全国を行脚しました。
国宝「一遍聖絵」(いっぺんひじりえ)には、旅の内に過ごした一遍の生涯が鮮やかに描かれています。その舞台のひとつ、一遍生誕の地である愛媛県松山市を中心に訪ねました。

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愛媛県・岩屋寺。天をつく岩山に囲まれる本堂。

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時宗(じしゅう)の創始者・一遍(1239~89)は、念仏を唱えることで誰にでも極楽浄土がもたらされると説き、念仏を唱えながら踊る「踊り念仏」などを通して、庶民から武士まで、幅広い層に教えを広めていきました。

国宝「一遍聖絵」(全12巻、1299年)は法眼円伊(えんい)によって描かれ、詞書(ことばがき。説明文のこと)は一遍の弟子である聖戒(しょうかい)が著述しました。
絵巻物としては極めて珍しく全巻絹本(絹地)仕立ての豪華なつくりで知られますが、制作の経緯について、詞書に「一人(いちのひと・いちにん)のすすめによりて」(制作された)と記されていることからも、関白もしくは右大臣などの高位の人物が企画したと考えられています。
絵巻史上に輝く傑作に数えられてきた理由は、その独特の画風です。北は岩手、南は鹿児島に及ぶ一遍の遊行(ゆぎょう。一か所に留まることなく、生涯旅を続けること)を、建築や四季折々の名所までをも盛り込み、まるで広角レンズで眺めたような風景の中に描写している点が注目を集めてきました。

岩屋寺

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岩屋寺参道へ向かう橋。川を渡ったら山門までの急な坂道を行く。

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山門を過ぎると「一遍上人御修行之地」の碑と266段の階段が。

「一遍聖絵」巻2「菅生の岩屋」に描かれた雄大な風景を求めて、松山市中央から1時間ほど南東に車を走らせた浮穴郡久万高原町にある岩屋寺(いわやじ)に向かいました。
岩屋寺は、弘法大師・空海によって創建され、四国八十八か所の第45番札所にあたるため、白装束の「お遍路さん」とよく行き交います。
山門までは、266段の急な階段を上らなくてはなりません。巨大なれき岩や、苔むした地蔵が立ち並ぶ地点など、30分ほどの道すがらは見所が多いのですが、お遍路のベテランも額の汗をぬぐいつつ上る厳しい階段の参道です。歩きやすい靴と服装で臨んでください。

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20分近く歩いたか。ここまでくれば本堂まではあと少し。

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弘法大師ゆかりの伝説が残る岩山の間に立つ本堂。

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本堂脇の絶壁に掛けられた長いはしごを上り、法華仙人堂を参拝する。

266段の階段も残り少なくなってくると、巨大な天然の石壁が目前に現れます。
境内から眺めると、本堂は岩山に囲まれたように立っており、その神秘的な景観にただ目を奪われるばかりです。
岩山にははしごが掛けられ、本堂の屋根と同じくらいの高さにある岩穴に築かれた法華仙人堂跡へと続いています。まさに、「一遍聖絵」巻2「菅生の岩屋」に描かれた、長いはしごを使って仙人堂へと上る図像さながらの光景です。
詞書に「ここは、観音をまつり、むかし仙人が練行したと伝える霊地だった」と記されていますが、岩屋寺には、修行に訪れた弘法大師に深く帰依し、大師に山を献上して大往生した法華仙人という女性の伝説が残されています。

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岩屋寺本堂からさらに30分山道を進み、山岳修行の場「せり割り禅定」入り口に到着。

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鎖をたよりに崖を上り、さらにはしごを使って白山権現峰の頂点を目指す。

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白山権現峰頂点に立つ白山社の祠(ほこら)。

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国宝「一遍聖絵」(巻2、部分) 円伊筆、鎌倉時代、神奈川・清浄光寺(遊行寺)蔵

「一遍聖絵」巻2「菅生の岩屋」には、もうひとつ印象的な風景が描かれています。
頂点に祠(ほこら)を頂き、そびえたつ険しい岩山の遠望です。非現実的なほど長いはしごを使って、祠にたどり着こうとする修行者の姿も描き込まれています。岩山の表現には、日本の絵巻物にはほとんど見られない宋や元の時代の水墨画の技法が使われ、荒涼とした空気も醸し出しています。 

岩屋寺本堂からさらに山道を30分ほど歩いた場所に、この絶景の舞台と考えられている修行の場「せり割り禅場(ぜんじょう)」があります(10メートルほどの崖登りが必要なポイントもあります。自分の体力をよく検討して参拝しましょう)。
「せり割り禅場」を目指すことに決めたら、まずは納経所で入り口の鍵を借ります。
岩山の裂け目に設けられた小さな門の鍵を開け、狭い岩の裂け目を進み、鎖と21段のはしごを使って山頂に上がると、ようやく白山社の小さな祠(ほこら)が見えてきます。
めまいがするような高さにある山頂は、足場が乏しく不安定です。登頂した達成感もつかの間、緊張感で一瞬たりとも気を抜くことはできません。
「一遍聖絵」で山容に施されたデフォルメが、実際に山頂を体験して、むしろ印象をリアルに伝える表現に思えてきました。
一遍が俗世を捨て去ることを祈った場所にふさわしい、古くからの山岳修行の場ならではの厳しくおごそかな雰囲気を体感することができました。

窪寺跡

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松山市中心から約16キロ南東に位置する窪野町北谷地区。里山深くに一遍が修業した窪寺跡がある。

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窪寺跡。貯水タンクの脇に記念碑が2基立つ。

岩屋寺で修業する前、3年間念仏三昧の日々を過ごし、「一度の念仏で極楽浄土に往生できる」という悟りに達した窪寺(くぼでら)です。

伊予国(現在の愛媛県)の武士・河野通広の次男として松山に生まれた一遍は、母の死に無常を悟り、10歳の時に出家します。
しかし、20代中頃のとき、父の死をきっかけに故郷に帰り、僧でありながら武士でもある生活を送りました。結婚もしています。
その7年後、一遍が再度出家を決意した理由について、輪鼓(鼓の形をしたコマ)で遊んでいたときに輪廻から解脱する方法を悟ったからと「一遍聖絵」には記されています。一方、河野家の財産をめぐり、命を狙われるほどの骨肉の争いに巻き込まれたという伝承が関係しているという説もあります。

すべての財産を捨てた再出家後、窪寺に籠もり修行にはげむ様子が「一遍聖絵」には異例なほど、一遍の風貌まではっきりとわかるように描かれています。
窪寺は現存しませんが、松山市窪野町にかつて存在した場所が伝わっています。
県道から分岐した道を、山に向かって上り続けた林の一角に窪寺跡はありました。小川のせせらぎと静けさだけが絵巻に表わされた世界と共通しています。
秋には、群生するヒガンバナを見に遠くから訪れる人もいるそうですが、ここに窪寺があったことは、地元でもあまり知られていません。 

窪寺と岩屋寺での修業を経た1274年、35歳の一遍は3人の同行者とともに遊行の旅を開始したのです。

道後、宝厳寺

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松山市のランドマーク道後温泉本館。

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道後温泉本館の裏手に位置する宝厳寺。一遍生誕の地として知られる。

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宝厳寺・一遍上人堂には、「鋳造一遍上人立像」(「木造一遍上人立像」の復元)が安置されている。

観光の中心地としてにぎわう松山市東部「道後」。
道後温泉本館の裏手にある宝厳寺(ほうごんじ)を訪ねました。
宝厳寺は一遍生誕の地として知られ、生家である河野氏のひ護を受け、四国における時宗の拠点として発展しました。
2013年、宝厳寺は火災により、14世紀末に建立された山門以外の伽藍すべてを焼失するという悲劇に見舞われます。しかし、3年後には再興が完成し、新たに建てられた一遍上人堂には、「一遍聖絵」の複製とともに、焼失した「木造一遍上人立像」(重文)を復元した「鋳造一遍上人立像」が安置されています。
「一遍聖絵」巻12巻末には、一遍の死後、人々が一遍像に礼拝する様子が描かれています。
腰をかがめて合掌する独特の姿は、絵巻に描かれた像を連想させます。
境内では一遍の句碑なども見ることができ、その悟りの世界に思いを巡らすことができます。

湯築城跡(道後公園)

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湯築城跡。上級武士が暮らしたこの界わいには、宴会の後の器を捨てた遺構(中央)などが残る。

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石造湯釜。宝珠の部分には「南無阿弥陀仏」と彫られており、一遍が刻んだとも伝えられる。

道後温泉本館の南側に位置する湯築(ゆづき)城跡でも、一遍と河野氏との結びつきを示す、興味深い文化財を見ることができます。
壇ノ浦の合戦で源氏方として大きく貢献した一遍の祖父・河野通信は、鎌倉幕府より伊予国の統率権を与えられます。ひ孫の通有は元寇・弘安の役で活躍し、その息子・通盛の時代に河野氏は湯築城を軍事的な拠点としたと考えられています。

城内に置かれた石造りの湯釜には、大叔父にあたる一遍に通有が依頼したと言われる「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれています。湯釜とは、温泉の湧出口に設置するためのものですが、一遍ゆかりのこの湯釜、現在の道後温泉本館が明治の中頃に建設されるまで使用されていたそうです!

大三島、大山祇神社

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今治からバスに乗り、しまなみ海道を通り瀬戸内海に浮かぶ大三島を目指す。

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大山紙神社総門。1322年に焼失したが2010年に再建された。高さ12メートル、総ヒノキ造り。

翌朝、瀬戸内海に浮かぶ大三島にある大山祇(おおやまずみ)神社を旅の最後に訪ねました。
JR松山駅から今治駅まで特急で約30分移動し、さらに高速バスで約1時間の道のりです。
一遍は他界する前年の1288年、河野氏の氏神である大山祇神社を参詣しました。その様子は壮大な社殿とともに「一遍聖絵」巻10に克明に描かれています。
戦いの神として信仰を集めた大山祇神社は、祖父・通信が率いた河野水軍(水上兵力)の団結の中心でした。国宝館では、通信が奉納した国宝・紺絲威鎧兜(こんいとおどしよろいかぶと)をはじめ、日本を代表する武具の数々を見ることもできます。

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一遍が奉納したと言われる宝篋印塔(ほうきょういんとう)。

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樹齢2600年と伝えられる「小千命(おちのみこと)御手植の楠」と神門。

神社の南側には、一遍が奉納したと言われる宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建立されています。
熊野では神に教えを乞い、「仏法を修行しようとする人は神明の威光を仰ぐべきである」と主張した一遍。「よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも念仏ならずといふことなし」とも語っています。
神々を悟りの助けとし、自然までをも念仏のあらわれとする一遍の壮大な思想に、数千年を生きた楠の古木に囲まれた境内で思いをはせました。 

日本全国に及ぶと言っても過言ではない一遍の遊行。
心引かれる風景を訪ねるのはもちろん、身近な場所に残る足跡をたどるだけでも興味深い発見がありそうです。
「一遍聖絵」は、はてしない旅のロマンをかきたててくれます。

展覧会情報

現在、京都国立博物館で特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」が開催されています。6月9日まで(展示替えあり。「一遍聖絵」巻2「菅生の岩屋」は5月12日まで)。

インフォメーション

◎岩屋寺
愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468
受付時間:7:00~17:00
JR四国バス・久万高原線「久万営業所」下車バス乗り換え、伊予鉄南予バス・面河線「岩屋寺前」下車徒歩約30分 

◎窪寺跡
愛媛県松山市窪野町196
JR松山駅から車で約45分 

◎宝厳寺
愛媛県松山市道後湯月町5-4
伊予鉄道(路面電車)「道後温泉駅」徒歩7分
受付時間:9:00~17:00 

◎湯築城跡(道後公園)
愛媛県松山市道後公園 
伊予鉄道(路面電車)「道後公園」下車すぐ
資料館開館時間:9:00~17:00 

◎大山祇神社
愛媛県今治市大三島町宮浦3327
拝観時間:8:30~17:00(宝物館入館は閉門の30分前まで)
JR今治駅からせとうちバスあるいは瀬戸内海交通バス「大山祇神社前」下車すぐ。